今日は音楽に関係のないことです、すみません。
秋葉原の「通り魔」事件で、容疑者の掲示板(日記)が明らかになり、連日マスコミで報道されている。僕は今回の事件には、大きな関心を寄せている。
犯罪には、犯人なりの動機や背景がある。ほとんどの事件は、事情が明らかになっても一般的には理解されにくいものだ。しかし今回の事件に関しては、ネットでは「自分と同じだ」などと同情や共感をするコメントも多い。
容疑者の犯行そのものは、被害が最大限に大きくなるように用意周到に計画され、冷静な判断力で実行されたもので凶悪極まりなく、被害者の無念さや苦痛を思うと、同情の余地は全くない。しかしその背景として、容疑者が孤独や閉塞感で満たされたことが犯行の引き金となったと考えられる。
そんな容疑者と同じような状況で、同じような不安を抱えている若者は膨大な数がいると思われる。つまり、こういった犯罪は今後ますます増加する予感がしている。
もちろん、凶行に及んだ容疑者が許されるわけではない。
が、容疑者だけの問題として片付けられる問題ではない。
たとえば、容疑者は「彼女がいない」「顔が不細工」であることを根深くコンプレックスに持っていた。
世の中、マスコミをはじめ、広告も商品もすべてが即物的で、うんざりすることがある。街を歩いたり、テレビをつけて飛び込んでくる情報は、お金や、快楽(なかでも努力や苦労がなく、すぐ手に入るもの)や、道楽のことばかりだ。
年収、学歴、年齢、正社員か臨時雇用か、戸建かマンションか、結婚しているかしていないか、子供がいるかいないか、などで何でも「勝ち・負け」の尺度で測ろうとする短絡的な思考が蔓延している。そうやって、人をカテゴライズして、その「カテゴリーらしさ」を押し付ける。これは、新時代のカースト制度ではないのか、と思う。
人間はもっと多面的な存在だし、誰しも得手があれば不得手もある。何の良いところも無い人間なんて、いない。なのに、1点にだけスポットをあてて、切り捨ててしまう安直さは危険だ。そうやって疎外された人間が社会を恨み逆襲を考えることは、無いとは言えないのではないか。
今回の犯行を受けて、ネットで犯行予告が行われたから、犯行予告を検知し、犯罪予防に役立てようという試みが検討されているそうだ。また、ネットの匿名性を危険視し、ライセンス制にしようという考えもあるようだ。それで問題は解決すると思っているのだろうか。より、犯罪予備軍が「潜伏」してしまいそうな気がしている。
ずばり、同世代人として派遣・請負労働は非常に問題だと思っている。現代は収入格差はもちろん、将来に希望が持てなくなる
「希望格差」社会だといわれる。
自分もまた、就職活動をしたから共感する部分があるが、今の若者は非常に不安定な立場におかれている。新卒で正社員になり損ねたり、一度病気などで正社員から外れてしまうと、それより良い環境で仕事に就くことは困難で、待っているのは派遣やアルバイトである。
一度不安定雇用に身をおくと、正社員に戻ることは難しい。不安定雇用である限りは専門性も見に付かず、年齢ばかりが上がっていってしまう。そうやって、働く意欲はあるのに派遣やアルバイトをしている若者が何百万人といる。
もちろん、ガッツや才能のある人間は、どんな時代のどんな環境であっても、やっていけるだろう。しかし、世の中強い人間もいれば、弱い人間もいる。弱い人間を社会から疎外し、生きづらくしてはいないだろうか。
そんな状況なのに、
移民1000万人を労働者として確保する、という構想もあるそうだ。弱い日本人はのたれ死んでしまえ、といわんばかりだ。人も社会ももっと優しさがあってもいいのではないか。
このような事件を繰り返さぬように、社会から誰も疎外しない方法を、疎外された人を救済する方法を、考えていかなければならないと思う。