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アイリッシュフルート
ケルトの笛レッスン、楽器や書籍、CDの販売


★東京でレッスンを開講。3/21、4/18
詳しくはこちら


ケルトの笛の世界
~ 独奏コンサート ~

【日時】 5月17日 (木) 20時~
【場所】 京都アイリッシュ・パブ field
【料金】 チップをお願いします。
【内容】 
旅をしたケルト文化圏で覚えた伝統曲や、古い楽譜からの曲を演奏します。

・スコットランドの古いフィドル曲
・ウェールズの不思議なメロディ
・18世紀イングランドの複雑な変奏曲
・アイルランドの厳選したダンス曲
・ブルターニュのダンス音楽ほか。

ケルト伝統音楽はライフワークです。
とびっきりのメロディをお届します。
ぜひ、応援にお越しください!

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笛博バナー

アイリッシュフルート&ティンホイッスル・ブック
楽器の研究を紹介する別サイトです。
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随筆
作品への評価を受ける
2011年4月 6日 07:22
ソロCD「縁 -enishi- 」はもうすぐ編集&ミックス作業が終わり、来週には入稿です。

初めてのソロ・アルバムで、スケジューリングや予算組みなど慣れないことも多々ありましたが、後は出来上がりを信じて待つばかり。

今回の作品については、自分のやりたいことを全て出来て、満足しています。期待されている音楽と違うため、実力不足のために批判的なコメントを頂いたとしても、余り気にならないというか、冷静に受け止められると思っています。

例えば好きな人がいたとして、その人に気に入られるために自分のキャラクターを作ったのに嫌われてしまったら、自分の努力は何だったんだろうって傷つく。

でも、気に入られなくてもいいや、これが素直な自分の姿ですって誠実に接して嫌われてしまったら、それは仕方ないよねって思える。

そんな気持ちに似ているかも。達観、というか...

この作品を日本だけではなく、世界に届けたいと思っているし、未来100年先の子孫に届けたいと本気で思っている。現代の日本の評価にとらわれずに、思いのたけでやっていこう。

僕を長いこと見てくれている、ある大先輩のコメントです。

「自分の才能を信じて、最高レベルの音楽を目指すことです。海外のプレイヤーとの共演など、hatao君には十分にやれるし、hatao君が取り組んでこそ意味のあることかと思います。

またその共演を通して、新しい世界、次に目指すものも見えてくるかと思います。

実行するには事務的なことや不慣れなこと、財政的なこと、色々あるかと思いますが、出来うる限り高く理想を掲げてまい進することです。」

心に響きました。

やるべきことを、やるのみです。

録音のミックス作業
2011年3月30日 08:58

CD「縁 --enishi -」の先行ご予約を頂いた皆様、ありがとうございます。お陰さまで多数のご予約を頂いています。特典の音源(ピアノとフルートでの8曲)についても、好評頂けて嬉しいです。

現在、録音作業はすべて終えて、編集とミックス作業に入っています。これは、アンサンブルを調整したり、音量のバランスを決めたり、リヴァーブ(残響)を加えるなどの作業で、演奏と同じくらい大切な作業。昨日は1曲の、ほんのひと部分で1時間もかかってしまいましたが、根気良く進めていきます。

今回のCDは、僕の代表作として生涯販売できるものを、また、購入して頂く方も同じように長く聴いて頂けるものを目指して作っています。これまでの作品は、バンドまたはゲストとしての参加だったため、自分だけの意思ではどうにもならない部分がありました。今回は、全て自分の責任ですので、妥協なく、納得いくものを創りたいと思っています。もちろん、色々な制約はありますが、現時点での自己ベストを出します。

録音や編集で失敗が残ってしまうと、そこを聴くたびに「あ~ぁ」と思い、胸が苦しくなります。そういう作品にはしません。入稿まであと2週間。がんばります。

リズムの安定性について
2011年3月22日 23:55
伝統音楽、特にダンス曲を演奏していて一番楽しいと思うのは、良いノリが出ている時です。アイルランド、スコットランド、ブルターニュなど、もともとは伴奏がつかずメロディだけで演奏されていたので、無伴奏で1人だけで演奏してもノリが出る仕組みにできています。

録音スタジオではメトロノームに合わせて演奏することもあるのですが、自分の演奏を聴くと拍にきちんと合っているのに、ノリが不安定に感じることがあります。

アイリッシュでは、ジグでもリールでも、正確な分割ではない微妙なリズムの「揺れ」があります。これは音楽的な理由からではなく、ダンスの重心移動と関係があるようです。
ノリとはつまり、不規則なリズムの揺れが、同じ揺れ方で周期的に繰り返すことで増幅されて生まれます。コンピューターのように均等に演奏してもノリが出ないのはそのためです。つまり、拍にジャストで演奏していても、同じ揺れ方が保たれていないと、不安定なノリになります。

去年に共演したパイパーのディックさんによると、リズムの安定性には3つあるそうです。

(1)テンポの安定性
(2)拍の安定性 (拍をどのようにとらえて演奏するか)
(3)揺れ(ディックさんはリルトと言いました)の安定性

さらに音程が正確であることは言うまでもありません。

これが完全にコントロールできていると、1人でもコンサートが成立するくらい、素晴らしい演奏をすることができます。アイリッシュ・フィドルのケヴィン・バークは独奏のライブCDを発表していますが、一人とは思えない豊かな演奏で、飽きることがありません。

逆に、コンサートで共演者とノリが合わないと、ノリのマジックは崩れてしまい、一人だけのほうがマシ、ということにもなってしまいます。

アイリッシュに耳馴染みがない人にとって無伴奏というのは変化が無く退屈に感じられるかもしれませんが、リズムを楽しめるようになると、伴奏があろうとなかろうと、リズムが良い演奏であれば最高に楽しく感じられることでしょう。

伝統音楽は、楽譜を読んで演奏するだけであれば楽譜に強い人なら簡単に演奏できるのですが、こういう基礎が伝統音楽を演奏するうえで難しく、また楽しいところです。

これができた上で、さらにヴァリエーション、装飾、抑揚などを駆使してその曲の良さ、真髄を引き出すのが、伝統音楽家の仕事なのです。

震災からの学び
2011年3月20日 10:01
地震から一週間が経ちました。原発の封じこめが成功の兆しを見せ、テレビなど報道が少し落ち着いてきました。これだけの大災害でも、人は慣れてしまうのだな、と怖く感じる一方で、慣れるからこそ、地震の前の暮らしを取り戻すこともできるのだろうかとも感じています。

地震や津波はこれまでも人類を脅かしてきましたが、地震による原発災害、ライフラインの停止はまさに現代社会特有の災害で、地震そのものよりも深刻な影響を与えかねないのだと痛感しました。安全性が不確実である原発に頼っていること、自国で食糧をまかないきれていないこと、都市に人口が集中しすぎて難民や食糧難を誘発しやすいことなど、私たちの社会への警鐘なのではないかと思います。

また、緊急時にはだれもが情報を求めてマスコミを頼るので、意見が作られやすいという危険性も感じました。マスコミが地震を報道しなくなったころ、被災地のことや原発のことも忘れられ、また同じことを繰り返すのではないでしょうか。

命の危険にさらされている時に、その人の本心が現れることも知りました。ある人は子供さえ助かればと言い、ある人は這ってでも仕事に行くと言いました。楽器の先生をしている人は、生徒さんの安全を一番に考えると言いました。震災は自分の価値観を見つめる機会にもなったようです。

僕個人としては、海外からたくさんの心配や応援のメールを頂けたことが嬉しかったです。普段楽器を輸入しているドイツのティン・ホイッスルメーカーのゴールディさんから、一番に僕のことを思ったと読んで世界とつながっていることを感じ、暖かい気持ちになりました。アメリカのパイパー、ディック・ヘンソールドさんからは、いつでもうちに逃げておいでとありました。台湾の友人からもたくさんメールを頂きました。

世界が小さくなってきた時代だからこそ、世界中とのつながりによって日本がより早く立ち直ることもできるのだと思います。地震の教訓を糧に、明るい未来を信じて、がんばろう日本!

僕たちに出来ること
2011年3月17日 01:15
コンサート中止のお知らせ

地震の影響により、予定していました3/20(日)の福岡でのコンサートおよび、4/1~4/6の東北ツアー、4/30の龍野市でのコンサートが中止となりました。楽しみにして下さっていた皆様には、大変申し訳ありませんが、またの機会を必ず作りますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

それ以外のコンサートについては、続行いたします。また何か変更がありましたら、こちらでお知らせ致します。

地震が起きてから、この世のものと思えないような光景を毎日、目にするようになりました。被害に遭われた多くの方達には本当に心が痛み、今夜も飢えと寒さに苦しんでいらっしゃる方が同じ日本にいらっしゃると思うと、無力な自分が情けなくなります。

私自身、再来週の東北ツアーを心から楽しみにしていました。主催者からは津軽地方は影響が少なかったので、こういう時にこそ元気を出して決行するつもりだと聞いていたのですが、原発が崩壊したことやガソリン難などで、やむをえず開催を見合わせる結果となりました。
同じ日に原発が崩壊したことを大阪駅前の号外読み、生きた心地がせず、東北の人たちの心配はいかほどだろうかと案じました。

今日、被災地には雪が積もりました。津波の惨状を綺麗に覆い隠してしまう美しい、真っ白な雪。自然の前には人間など及ばないのだと教えられているようです。
今日、せめてもの気持ちとして募金をしました。

被害を受けなかった私達にできることは、東北の方達の分まで今まで以上に働き、その収入の1%でも寄付をして、日本を盛り上げることだと思っています。

日本中の皆さんに呼びかけます。
どんな困難にも私達は耐え、希望をつないで力強く生きていきましょう。

録音スタジオにて
2011年3月11日 08:58
今の録音技術はすべてコンピューター化していて、本当に驚くほど。例えば、気に入らなかったらそこだけ何度でも録り直すことも出来る。

製作中のCDの中で、フルートで即興ソロをする場所があるのだけど、最初に1回録ってみて、どうもタイミングやフレーズが気になったので、録り直すことにした。何度もトライしてみたけれど、最終的になかなか思うようにいかない。

だんだん、やることを決めて行き、それを再現する方向になってくる。その方が、狙った通りのものができるからだ。

エンジニアの水谷さんがおっしゃるには、「最初の1回目がベストでしたよ。タイミングがずれていても、それが感情の高ぶりを表現していて、こちらもグッときましたから。後のは、タイミングが正確でフレーズがつながっていても、お仕事でソツなく吹いてますって感じなってしまってましたね。」

なるほど、確かに聴き返すと、正確で色々やっているけど面白くない。
結局1つめのテイクを採用したのでした。

自分の音楽をやろう
2011年3月 5日 22:47
時々、you tubeで最近人気のあるアイリッシュ系バンドをチェックすることがあるのですが、既に成功を収めた何がしかのプレーヤーを連想させてしまう人が多いです。

テクニックとしては上手いのですが、皆同じに聞こえてしまいますし、フォロワーは、同じやり方ではパイオニアにはどうやってもかなわないです。

松本人志さんが、「誰のものでもない、自分だけの山を登れ」と著書に書いていたことを印象深く覚えています。

曲が違っても、主張が同じだったり、目指している音楽性が誰かと同じなら、曲を変えてまで自分がやる必要、ないんじゃないかな?

日本人プレーヤーの中にも「~スタイル」の、とか「日本の誰々」(←海外の有名プレーヤーの名前が入る)と呼ばれる人もいらっしゃいますが、僕だったらそう言われて嬉しく感じないですし、自分の存在が否定されたかのような気分になってしまうでしょう。それが、たとえ自分の尊敬するプレーヤーだとしても。

もちろん、誰かの演奏をコピーしたり、影響を受けるのはとても大事なことだと思いますが、その先が大切。親は乗り越えなくてはいけませんからね。

それから、「売れ線」を狙って、自分の音楽性を決めるプレーヤーがいます。最近では、「癒し」が売れると聞けば、「癒しっぽい」サウンドを作る、20~30代女性がケルト好きだと聞けば、その層に受ける曲を演奏するとか。

そういう方向性の方は、売れるまでガマン、売れてからやりたいことをやる、と言います。売れるまでの間、それで幸せでしょうか。仮に売れたとして、満足できるでしょうか。

本人が本当に好きで、自分の音楽性に満足しているのなら良いと思うのですが、そうでない場合は、きっと「あざとさ」や「いやらしさ」が音楽に滲み出て来るはずで、カンの良いお客様にはきっとばれます。売れたくてやっていることが、結果的に遠回りになるでしょう。

誰のものでもない自分らしさ、こだわり、愛着、まごころを大切にすることが大前提だと思いますし、そこからしかオリジナリティ、説得力は生まれてこないのだと思います。

僕が考えるやり方はいたってシンプル。

大好きな人と、大好きな音楽を、やりたいようにやる。

30代になって、やっとそれが出来るようになりました。
これだと、目標に至るまでのプロセス自体が楽しいし、成功できたら勿論幸せだし、金太郎飴のように、どの段階でもハッピーです。

そういう音楽をしている人を、僕はアマチュアでも上手くなくても、とても尊敬します。

自分の音楽をやろう!

録音スタジオにて悩む
2011年1月31日 06:39
この春に発売を予定しているソロ・アルバムのタイトルが「縁 Enishi 」に決まりました。

現在、レコーディング・スタジオにて録音中を進めています。
これまで何度もコンサートで演奏してきた曲も多いのですが、いざレコーディングとなるとこれまでのアレンジのままで良いのだろうかと悩みます。

一度決めたら頑として変えない音楽家もいますが、僕の場合は演奏を重ねるうちに
メロディを変えていったり、共演者や会場の雰囲気に合わせてその場限りの変化を楽しむタイプ。録音ではそれをしっかりと決めなくてはいけませんので、迷うのです。

テンポ設定やゲストの参加パートのアレンジも、色々な可能性が考えられますので、これで行きます!と、リーダーシップを発揮しなくてはいけないのですが...

昨日は、録音しながら自分のメロディパートですら、非常に悩みました。
アーティキュレーションはどうするか、装飾や強弱はどうつけるか、音の方向性や歌い方、音色、ヴィブラートの付け方...すべてが残るのだと思うと、コントロールすべきこと、考えるべきことが多すぎです。

普段のライブから、そういう細かい所まで全てこだわって音楽を作っている方もいるのだろかと思ってしまいます。細部にこだわり過ぎると、一番大切な「流れ」を見失う危険もあります。

そう思いつつも、録音では言葉の思考をストップして、音と一体になるよう集中します。
一生残る、きっと僕の死後も聴かれ続ける、初めてのソロ・アルバム。

一音一音、納得の行く音を吹きこみます。

女性の美しさについて
2010年10月11日 22:51
北海道から帰ると、金木犀が香っていて一気に秋を感じた。

北海道の紅葉は、それは美しかったけれど、関西での秋の知らせは、僕にとっては金木犀だ。それは北海道では嗅いだことがなかった匂いだから。

花と同じく、はっと目を奪われるのは、美しい女性。悲しい性か、駅で、公園で、道端で...年齢関わらず、すれ違う女性は必ず見てしまいます。もちろん見るだけです。

よく花を女性に喩えるけれど、本当にそうだと思う。種類が違っても、それぞれの魅力がある。舞台に花束を飾るように、明るくて優しい雰囲気の女性がただいるだけで、その空間が華やぐというのは、コンサートやグループ・レッスンでもよく感じる。

花の命は短い、という言葉があるけれど、花に、最も美しい時があるように、女性にも人生で最も美しい時があるように感じる。

知り合いや友達で、いつも見慣れていて、別段、服装や化粧や髪型が変わったわけでないのに、「うわ~、綺麗になったなあ!」と思う時がある。だいたいそういう時は恋愛中だったり、結婚間近だったりと後から聞かされて、「なるほど...!」と思うことが多い。

花のつぼみが開いて、きらきらと光るような時。人生で2回とないような気がする。もちろん、いつも、その時その時の美しさ、良さがあるのだけど、最も輝く時、という意味です。年齢は関係なく、気持ちの問題だと思う。

ところで、美しさとは、もちろん骨格や顔のパーツの作りも大切な要素だけど、もっとも大切なのは表情や動作、言葉や行いの美しさだと感じている。

世の中、あまりに容姿「だけ」にこだわりすぎているように見える。綺麗なのに性格が悪いということはありえず、すべて内面は外見に現われるものと信じている。内面を向上させると、必ずその人それぞれの良さが引き出され、外見上の良い結果が付いてくるはずだ。

男は、生まれた時から老いるまで男なのだと思う。もっと正確に言うと、赤ちゃんであり、少年の部分をずっと持っている。その点、色々な年代の女性を見ていると、女性は中性的な姿から徐々に女性になり、もっとも美しく花開く時期を経て、年を取り再び中性的に還っていくように思う。

結婚や出産の適齢期を考えると自然の摂理なんだけど、僕は、女性には結婚していても、子供がいても、いつも、いつまでも綺麗であってほしい。通り一遍の綺麗ではなく、その人らしく輝いていれば、綺麗だと思う。

この世に本当に妖精がいるとすれば、それは子供と女性なのだから。

地球管弦楽の理想
2010年9月30日 23:24

笛博の後20日は、伊丹市のいたみホールにて、コンサート「地球管弦楽」を開催。

僕と共同の主催者であるフィドル奏者の大森ヒデノリさんとは長い間、舞台でご一緒させていただいています。

大森さんは民族音楽系の弦楽器を集めたコンサート"Stringroove"を毎年数回主催されていて、いつか笛博と一緒に何かできれば・・・と語り合っていたのですが、この度、いたみホールとの共催という形で実現することができました。タイトルは僕の命名です。

伊丹ホールには街角のお店や路上を舞台に生演奏で街を活性化させる「オトラク」や「まちかどバル」といったイベントを仕掛ける若手のプロデューサーがいらっしゃり、その方が僕達の企画に乗って下さったのです。

今回は実験的に、大勢の奏者を集めて、様々な音楽を共演で繋ぎながら地球をぐるっと一週し、最後は大合奏をするというシナリオでプログラムを組みました。

何しろ20数名の出演者、しかも関西、関東に別れていますので、中には本番当日に初めて会う人や、本番にしかリハが出来ないという曲もありましたから、本当に挑戦でした。

大森さん自身は笛博と同じ日程に「かわちながの音楽祭」のプロデュースを担当されていたので、僕と同じく本当に忙しかったことと思います。

出演者が多いために、集客数上限の200人を動員しなければ赤字という中で当日はなんと230名の集客、お陰様で黒字を達成しました。コンサートは2時間の予定が4時間近くにもなる長丁場でしたが、それでも一人一人、楽器のお話をして頂く時間も取れないほどの濃密さでした。

そして、フィナーレは多久潤一朗さん作曲の「地球管弦楽」の上演。

笛博のコンサートが人類の地理的、時間的な営みを「笛」という切り口で俯瞰する壮大な試みだとすると、地球管弦楽は、まさに21世紀の日本でしか鳴り響かない、日本人による世界の音楽の表現だと思います。

あの舞台で、様々な背景を持った楽器が一堂に会し鳴り響くという状況だけで鳥肌が立つのに、多久さんの楽曲のすばらしさが一層感動を引き立てていました。僕など、感極まり泣きそうになって困ったものです。目の前のお客様は泣いていました。

最後の全員での共演は、どこかの地域の民族音楽に偏ってはいけない、しかし、既存の曲では全員が共演することなど困難だ・・・。多久さんに相談したところ、二つ返事で作曲を引き受けてくださったのです。

まだ会ったことのない奏者の、見たこともない楽器のことを考えながら32枚にもなるスコアを書くことの労力たるや計り知れないものがありますが、多久さんは僕を信頼して、気持ちに応えて下さったのです。

あの仕事は多久さん以外には誰にも出来るものではありませんでした。本当に感謝しています!

地球管弦楽は、大森さんによるとアコースティック音楽による大きな野外フェスに育てていきたいのだそうです。笛博とは異なるコンセプトです、僕も大森さんと同じ夢を描き、笛博と機会を合わせて関東の奏者にも協力して頂きながら、今後も企画して行きます。

笛博の夢は、もう一つの大きな夢を生み出しました。

万笛博覧会の理想(2)
2010年9月29日 07:40
昨日はコンサートのことを書きましたので、レッスンについても触れることにします。

先日のレッスンのアンケートを読むと、実技の講座で、「難しくて全然ついていけなかった」という声もいくつか寄せられました。おそらく、笛を始めたばかりの方や、指遣いが分からない方、音が鳴らせない方からのご意見だと思います。いきなり曲の練習となると、難しいことは僕もよく承知しています。

初回~数回目までの万笛博覧会では、僕のレッスンでは指使いからレッスンをしていたのですが、毎年それでは発展がありませんし、この日のために高度なレッスンを期待してご来場下さった方にはご満足頂くことができません。音の鳴らし方、指遣いなどについては、どの笛にもある程度共通の部分がありますので、そこは省略してしまって、やはりそれぞれの講師にしか習えない、専門的な内容に特化すべきだと思っています。

一人の講師に与えられたレッスン時間は80分だけなので、濃縮されたエッセンスを受講者の方がお持ち帰り頂き、その後の1年間の宿題として頂く、または、ここで受けた「ついていけない悔しさ」をバネに、もっともっと興味を持って頂くことができれば成功と思います。マーケティングの本に、「すべての人を満足させることはできない、すべての人を満足させようとすると、誰もが満足できなくなるのだ」ということを読んだことがあります。

もちろん、初心者の方を見捨てるということではありません。無料の入門講座をもっと充実させて、音の鳴らし方講座のほかに、6孔笛を使った簡単な曲の練習や、運指、タンギング、呼吸法などのテーマで開講すると、もっと間口が広がるかと思います。

この点、昨日のコンサートの話しに通じますが、僕は万笛博覧会ではスタンダードを設定すべきではないと思っています。クラシック音楽で言われている腹式呼吸、お腹の支え、音程や強弱の処理などは、他の音楽とは全く違う場合があります。演奏姿勢ひとつとっても、立って吹く音楽、椅子に座って吹く音楽、床に座って吹く音楽と、まったく違うのです。入門講座では、いろいろな演奏スタイルを紹介し、受講生が選択することになろうかと思います。答えが一つじゃないって、面白いですよ。

こんなシーンがありました。「合奏体験講座」の時間に、講師の方々が集まり、音程やリズムの合わせ方について色々な意見が出ましたが、中には講師同士でまったく違うことを言っていました。これも、議論をしても仕方のないことなので、答えを出さないままにしました。

アイルランドでは、笛をギネスビールに浸すと良い音になる、と信じている人たちがいたそうです。これを間違いだと議論しても、しょうがないことです。僕は、そういう文化があっても面白いと思うのです。

そういう点に、多文化の面白さがあるのではないでしょうか。

万笛博覧会の理想
2010年9月26日 08:27
今回の万笛博覧会で、これまでと変わったことの一つに、コンサートやレッスンの売上の集計方法があります。

第二回目では、1人の講師に1時間の出演枠をあて、別々のコンサートが連続して開催されるシステムにしました。お客様も毎回コンサートが終わるごとに退場して頂き、またチケットをお求め頂いて入場...を繰り返していたので、入退場に時間がかかり、不評でした。

それ以降は、毎回の退場は無しにしましたが、ひきつづき各講師への来場人数をカウントして、謝礼の計算の根拠にしました。レッスンも同様に人数をカウントしました。

万笛博覧会としては機会を提供するにとどめて、結果(報酬)については、参加する講師の努力次第、とすることで、積極的に関わって欲しかったのです。多く宣伝して集客した講師ほど謝礼が増える仕組みを作ることで、個々人の努力が全体の盛り上がりにつながるようにしたかったのです。

ところが、それではティン・ホイッスルやリコーダーのように認知度が高く人気のある講座と、そうではない講座との差が広がりすぎてしまいました。また、関西に基盤のある講師とそうではない講師にも不公平感が生まれました。

そこで今回は、全体の売上金を、講師の参加や貢献の度合いから、私が判断してお支払いする仕組みに変えました。ひとつのバンドのような連帯感を作りたいと思いました。事実、例年の講師の方々はここで旧知の講師と再会することを喜びあい、そこには競うなどという発想は微塵も感じられません。

コンサートを4時間すべて一つの枠として、個別の講師の集客人数はカウントしませんでした。レッスンはカウントしましたが、査定の参考にとどめる程度にしました。無料講座や参加日数なども考慮して、私情をはさまずに、費やして下さった労力や時間に対して公平になるようにお支払いすることにしました。バランス感覚が難しいのですが・・・。

万笛博覧会には、様々な個性を持った講師が集まります。

エンターテイメントのタイプもいれば、求道的な人や、寡黙な研究者タイプもいる。華々しくてテクニックがあり、人気がある奏者につい注目が集まりますが、一見地味な演奏や人柄にも、じっくり耳を傾けてみると独自の世界観を持って、引きこまれるものがある。

声が大きい人が勝ち、お客様を笑わせ、圧倒した人が勝ち、ではなく、色々な魅力がそれぞれに光っている万笛博覧会でありたい。舞台芸術と、生活の中での音楽とでは目指しているものが全然違うのだから。お互いの違いを認め合い、尊重し、学び合う場にしたい。だから、文化をもって「競う」「比べる」という発想を無くしたい。その講師の人柄、考え方、音楽への姿勢を評価してもらいたい。

グローバル化とは、アメリカの大衆文化に世界を取りこむものだとの批判があるならば、万笛博覧会はその対極を行きたい。それぞれの講師の最も魅力的な部分を引きだし、自然な姿で味わえる環境を提供したいと思っています。

地球管弦楽では、違う音楽ジャンルが共演するコンセプトでしたが、万笛博覧会では必要がないと思っています。

今回の催しとは全く別のお話の中で、インドの笛バーンスリーの太郎さんが言いました。

「全く違う音楽を掛け合わせると、それぞれが素晴らしくても、時として寿司にカレーをかけるようなことになってしまう。」

僕もまったくその通りだと考えています。

それぞれを尊重するからこそ、万笛博覧会では無理な共演は設定しません。

そんな中でも、津軽の佐藤さんとアンデスの岡田さん、古楽の前田さんと中世の近藤さんのコラボや、僕と太郎さん、石田さんとの共演など、奏者の自主的な交流から生まれたものであれば、良い結果を生むのではと思っています。

普段のコンサートでは一般のお客様向けにアレンジしたり、分かりにくい部分を省略したりすることがあるのかもしれませんが、万笛博覧会には根っからの音楽好きなハイレベルなお客様が集いますから、その奏者のありのままの姿でも、充分コンサートが成立します。

つまり、音楽を通して、演奏者の生き方や考え方を見つめるコンサートでもあるのです。

万笛博覧会の楽しみ方
2010年9月25日 05:23
笛博の楽しみは、なんといっても「出会い」そして「学び」。

知らない文化と出会い、興味を持ち、どんどん吸収する。
初めて参加した方は、世界が変わった、と言う方が多いです。

これまで一つのジャンルで一生懸命に頑張って来た方は、他のジャンルの人たちの全く違う考え方に驚いたり、逆に、違うジャンルの人が、同じようなことを考えていたりするのに共感し、音楽への認識が変わる体験をすることでしょう。

関西という土地柄が良いのだと、誰かが言いました。
東京であれば、自分の音楽ジャンルだけにしか興味がない人が多いので、こういう企画は成立しにくいかもしれない。それに、お金を払ってサービスを受け取る文化が定着してしまって、それ以上の交流が生まれにくい、とも。本当でしょうか?
講師の半分以上が関東の方になった今、東京での開催もありだと思っています。

笛博は、レッスンやコンサートに参加するだけではその醍醐味を味わえないと思います。泊まりがけで講師と寝食をともにし、打ち上げに参加したり、ボランティアとして内側から関わることで、よりインパクトのある体験ができるのです。

「出会い」を大切にしたイベントですが、いまや「再会」を楽しみにしてくれる参加者が大勢います。日本各地から参加者が集まりますので、ここで年に1回会うことが人生のリズムになっているような方もいます。主催者として、嬉しい限りです。

何事も、人なのだと思います。

ここで出会った人が、このイベントの印象を決めます。
笛博には、講師も参加者も、僕が自信を持ってお勧めする、愛すべき笛バカ達が揃っています。
よき人に出会うこと、それが笛博の最大の楽しみ方ではないでしょうか。

「おまえ」って使いますか?
2010年8月 6日 10:03
先月、人づきあいについて書いてから、時々そのこと考えています。

僕は、同じ人と常に深く付き合うことがなく、大勢の方と適度な距離感で付き合うのが向いているようです。証拠に、「おまえ」と友達口調で語り合うほどの親しい人がいません。

そもそも北海道を18歳で出るまでは友達同士「おまえ」と呼び合っていたような憶えがありますが、関西に来てから、身の回りでもほとんど「おまえ」と言うのを見聞きしません。

昨日現場でご一緒したギターの江口さんは仙台のご出身ですが、『「おまえ」って使いますか?』と聞いたところ、「俺、言っちゃうんですよ。あれは 関東の言葉なんじゃないですか?こっちではよく怒られるんです」と仰います。関西では「あんた」だという説もありますが、どうなのでしょう。

「お前」と言われると、僕は不愉快な気分になります。上から目線で言われているような気がしますし、どこかしら悪意を感じてしまいます。僕だけでなく、アンケートによると大半の人がそう感じるようです。

http://60-58.at.webry.info/200810/article_20.html

でも、「おまえ」は歌謡曲では男性が恋人や妻を呼ぶ言葉として一般的ですし、アニメや漫画でも親が幼い子供に対して使っている印象があります。

僕は、もちろん後輩にも妻にも「おまえ」とは言いません。後輩には「~君は」といい、妻には「きみ」と言います。「きみ」は関西では気障(きざ)な響きがあるようですが、どう思われますか?

ここで雑学なのですが、日本語では2人称の「あなた」は失礼にあたるようです。「あなたはどう思いますか?」と聞かれただけで、攻撃されたような気分になりませんか?まして、上司や
先輩に対して「あなた」はタブーですね。

日本語では、もともと名前を軽々しく呼ぶことがタブーとされ、「あなた」「そちら」「手前」「当方」「彼」「奥」すべて方向しか表していません。不思議なことです。

さて、「おまえ」って使いますか?

反捕鯨ドキュメンタリー映画"The Cove"
2010年7月22日 07:18
和歌山県太地町のイルカ・クジラ漁を告発したドキュメンタリー映画"The Cove"(入り江)が、先月日本でも公開になりました。

"The Cove" Wikipediaのページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4

手短に紹介すると、本作品は、アメリカの反捕鯨団体が取材スタッフを組織しての和歌山県の南端で太平洋に面した漁村「太地町」に潜入してイルカ漁 の様子を無許可で撮影し、告発した映画です。アカデミー賞のドキュメンタリー部門を含む多くの賞に輝きましたが、その悪意のある編集やねつ造が問題ともな り、日本では公開を自粛する映画館が多く、殆ど見ることができません。

映画が指摘する問題点は食文化や捕鯨の伝統を批判することではなく、(1)イルカは海の食物連鎖の頂点であるため水銀を多量に含み肉食に適さない こと、(2)その肉が小学校で鯨肉として出されていること、(3)伝統とは言うが日本人の多くが捕鯨の事実を知らされていないこと、(4)生きたイルカは 水族館などに高額で売れるため、ヤクザが絡み裏で取引している、等としています。

去年、熊野で新宮のともこちゃんが、地元の人と撮影スタッフが揉めていたことや、自然を映すと言って地元の漁師さんが騙されたことなどを教えてくれました。

1月に台湾に行った時には、僕のフルートの先生のクリスさんが話しかけてきました。

「カナダから台湾に乗った飛行機で、Coveを上映していた。あれはショックだった。hataoはどう思う?」

「僕はこの映画を見ていないけれど、ねつ造が問題になっているみたいですね。でも、どうしてクジラやイルカを獲ってはいけないのでしょうか?」

クリスさんは、イルカは高等な知能を持っていて感情豊かな動物だから、殺しては可哀そうだと言います。この意見は反捕鯨の主な根拠になっているよ うです。では、知能が低い牛や豚や鳥は殺しても問題ないということだろうか。それは、白人がアメリカやオーストラリアやアフリカで、白人より劣っていると 見た有色人種を虐殺し、奴隷にしたことと同じ論理です。
そういった感情論を、この映画では水銀の問題とすり替えている点が見事です。

ドキュメンタリーとしての信ぴょう性は低いと言わざるを得ませんが、エンターテイメントとしては楽しめるものになっていると評価を受けています。

尚、太地町がイルカ漁の中心地のように描かれていますが、日本でイルカは年間2万頭捕獲しており、太地町はそのうち1600頭(8%)くらいしか占めていないそうです。

僕は3年前に太地町に行き、鯨肉を出すレストランで食事をしてきました。もしかしたら串本だったかもしれないけど。映画に出てきた捕鯨記念館や、鯨の慰霊碑も見ました。
だから、いっそう自分のこととしてこの映画を見てしまうのかもしれません。

"The Cove"の全編が見れます。英語字幕付き。

http://www.tudou.com/programs/view/Glj06QX32qg/

あなたはどう考えますか?

後悔しないために
2010年6月29日 11:25
昨日、「悔いなく生きる」ことについて書いていたところ、ちょうどテレビ番組で「親が死ぬまでにしたい55のこと」というテーマでタモリさんが司会をしていました。

これは、検索してみると本になっているようです。

55、どんなことがあるのかというと。こちらをご覧ください。

http://thanatology.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/52-4d47.html

僕自身、北海道を出てから、帰省は1年に1回できれば良いほうで、会うたびに老けたなあ、あとどのくらいの時間、僕と過ごせるのだろう?と切なく感じます。 父はまだ還暦を迎えたばかりですが、元気なうちに両親との時間を大切にしたいです。 こんなことを言うと、縁起でもないことをと怒られそうですが。

両親の息子は3人とも本州に住んでいるので、実家で両親と暮らしている人をちょっとうらやましく思います。

今年は11月に知床に両親と行く約束をしたので、思いっきり甘えよう。なんてね。

もうひとつ、「死ぬときに後悔すること25」大津修一著 という本を見つけました。


こちらの25ことは・・・
http://jully0716.cocolog-nifty.com/maki/2009/11/post-cfb0.html

僕が普段考えていることが多く含まれていたので、あてはまることは少なかったです。もし今、死んでも悔いはないと思えるでしょう。 そう思っている人ほど、長生きしてしまうものだそうですね。

映画の「シックス・センス」を見て、怖いというより、切なくて泣いてしまいました・・・

想い残すことがないように生きよう。

小噺
2010年6月27日 00:04
三宮でギターの「えぐちひろし」さんとのライブ。
えぐちさんは落語好きなので、ついつい一緒に悪乗りして、冗談を言ってしまいます。

今日はすごい雨でした。

アンプ(スピーカー)を持っていったのですが、ずぶ濡れで、
「感電しないようにしないといけませんね~」と僕。

えぐちさん「今日のギターはロウデン(有名なメーカー)じゃないから大丈夫ですよ。
       ところで、このアンプは充電式なんですか?」

      ・ ・ ・ ・
僕「ええ、かんでんちで動くのですよ。」

えぐちさん「へえ!それはすごい」

僕、電池のふたを開けて 「単三が6本ですね」

そこへ店員がやってくる。「何かお飲みになりますか?」

          ・ ・ ・ ・
僕&江口さん「たんさん下さい!」

これは、どう頑張っても英語に訳せないなあ~。

僕は、僕なりに
2010年5月23日 00:01
昨日の福岡公演に、大分県から泊まりがけで見に来てくださったファンの方と、世間話をしていた。

普段あまり絵を買うようなことがないのに、ある時に妙に雰囲気が良い絵に出会ったそうだ。1万円くらいしたけれど、買って部屋に飾ったところ、と ても部屋が明るくなった。その絵を描いた人に興味が出て、会いに行ってみると、絵に描いたように暖かい雰囲気の人だった。サインの隣にその画家が書いた一 番好きだという言葉が、「ありがとう」だった。

音楽も絵と似ているという。僕の音楽は、聴いていて前向きになれる、僕の人柄そのものが音楽になっている、と言ってくださった。

嬉しい言葉だった。いつも僕は、僕の音楽を聴いた人が人生の素晴らしさを感じ、その人の夢や成長につながっていける存在でありたいと願っている。

舞台上でワルぶって女性ファンの心をつかむタイプの音楽家もいるし、
カリスマを発揮して何も語らずとも伝えてしまう音楽家もいる。そういうタイプの演奏者には憧れるけれど、僕には僕のやり方でしか、表現できない。

コンサートやレッスンに来ていただいた人に、一人ひとりと語りあうように、誠実に、対等に向き合っていたいと思う。どんなに広い会場であっても、そうありたい。「会場の皆さんに」ではなく、「あなたに」音楽を届けたい。

使命とか、豊かさとか、幸福とか、愛のことを日記に書くのはファンにとっては、重いだろう。そんな深い内面まで知りたくないと思うはず。自分に都合の良いことや、旅やグルメなどの当たり障りのない事を書いていれば、もっとファンが増えていたかもしれない。

実際、「hataoさんの日記を読むのはエネルギーがいる」「説教されていると感じることもある」と言われてショックだったこともある。でも、僕は思ったことを隠せないし、ぶっきらぼうであっても、伝わる人に伝われば良いと思っている。

先日の日記に「幸福とリスクのマネジメント」を書いてから、正直、後悔した。どうして、音楽家の僕がこんな事を書くんだろう?でも、僕の個性や想いが僕の音楽を作っているのだから、言葉と音楽は切り離せない。

ところが、何人もの人が個人的にメッセージを送ってくれた。僕の想いをちゃんと理解してくれている読者がいることが、嬉しかったし、自信にもつながった。

等身大の自分を表現していこう。

僕は、僕なりに。

英語の発音
2010年2月22日 23:38
英語を話していて、発音が弱いな~と感じています。

僕が、会話の中からピックアップした、良く似た発音の単語です。
英語が得意な皆さんには、これらの発音の区別が出来ますか?
僕にはよくわかりません・・・。
発音記号を調べていないのですが、実は一緒の音も含まれていると思われます。

too、 two
cold、 called
for、 four
sea、 she、 see
year、 ear
our、 hour
work、 walk
eye、 I
by、 buy、 bye
bat、 but
read(過去分詞形)、 red
shit、 sit (書くのも恥ずかしいですが、そう聞こえていたら本当に恥ずかしいのです)
us、 ass (上と同じく)
son 、sun
poor 、pour
heard(hearの過去分詞形)、 hard

今年はさらに、中国語を勉強しようと考えている僕です。

源泉徴収票が届く
2010年1月20日 23:51
毎年この時期になると届く、嬉しいお手紙が源泉徴収票(支払調書)。

確定申告で還付金となって帰ってくるので、現金が届くのも同然なのだ。 個人事業主にとっては、一年間お疲れ様、と言われているような気がして、うれしい。

確定申告を始める前は、源泉徴収票が来ても何のことか分からずに、捨てたり 無くしたりしていたので、今はとても後悔している。 クライアントに出演料の見積もりを聞かれて、「額面はイチ並びですね?」などと言われても、さっぱり意味が分からなかった。

こういうことは大事なので、プロを目指す後輩がいたら、しっかりアドバイスをしてあげたい。 僕は誰にも教わらなかったので、損をしてしまったのだから......。

そんな、昔の僕に届いていたのはむしろ、請求書。 請求書が届くとうんざりしてして、開封する気力すらなかったものだ。

「金持ち父さん」だったかを読み、請求書は喜んで支払おう、とアドバイスがあったので、 支払いは嫌なもの、という考えを取り払い、支払は優先してなるべく早く済ませている。

支払いが早く済むと、早く入金があり、キャッシュが流れて、ビジネスが回転しているイメージが鮮明になるので、気分が良い。

コンサートの仕事をして、請求書を送付するのを忘れているときに(めったにないけど)、クライアントが、「早く支払いを済ませたいので請求書をお願いします」と言われると、 好感がもてるものだ。

逆に、まとまった金額の仕事なのに、税金の支払いに無頓着なクライアントもある。
そういうところは、源泉徴収票を送ってこないばかりか、出演料を振り込み手数料を差し引いた金額で振り込んだりと、無神経だと感じる場合もある。
企業のレベルが現れるのはそういうところだ。人は言葉よりも行動を敏感に見て取る。
そういう会社は、手数料や税金以上の損をしているのだ。 一流の会社は、そのようなところで失敗したりはしない。

仕事もお金も、人のつながりが運んできてくれる。
いつも人に感謝をしながら、気持ちよくお金を流していきたい。
そんなことを思う、この時期なのです。

苦行者に会う
2010年1月13日 23:18
フィットネス・クラブに通い始めてから半年経った。夕方、ジムを出て、なんとなく寄り道がしたくなって本屋さんに自転車を停め、店内へ。新刊、ビジネス書、雑誌コーナーなどざっと見て回り、帰ろうと自転車に戻ると、前かごに入れていたジム用品の袋から運動靴が無くなっている。一瞬、ジムに忘れてきたか?と思ったけれど、いやいや、そんなわけがない。そうか、盗まれたか...。

それにしても、ABCマートで買った全然高価でもない運動靴。しかも、綺麗に使っていたとはいえ新品でもないのに、一体だれが欲しがるのだろう。悔しいとかいう思いの前に、そっちが心配になってきた。

もし靴にも事欠いているホームレスの方だったとしよう。それならば、大切に使ってもらえるのかもしれない。でも、さして必要もないのに人を困らせてやろうという悪意や、興味本位で盗んだのだったら、許せない。

どちらにしても、罪を犯すような人は、今回は誰にも見つからずに逃げおおせても、苦難の道を歩むのだ。そのような徳の低い人間は、同じようなレベルの人を呼び寄せるからだ。

そして、お互いに憎しみ合い、威嚇しあい、盗み、だまし、傷つけあう。怒り、ねたみ、嫉妬、嫌悪、恐怖などの渦巻く恐ろしい世界で生きなくてはならない。誰かに捕まり、咎められ、自らの過ちに気づき、反省し、罪を償うことができる人は、幸いである。なぜなら、それにより自分が変わり、その地獄から脱するチャンスを得られるからだ。捕まらないままそのような世界に暮らすほど、苦しいことはない。

罪を犯す人は、苦行をしているのだと思う。それほどの試練を自らに課さないと成長できないほどの苦行者なのだ。立派とは思わないが、気の毒だとは思う。

苦しみは、無知から生まれる。学びの無いところに、幸福もない。

この世界が、奪った者勝ち、わがままを言ったもの勝ちという世界だと考えれば、同じ価値観の人を引き寄せ、もがき苦しむことになる。
この世界が、富を分け合い、助け合う世界だと考えれば、そのような人を引き寄せ、富や愛情の中で生きることができる。

世界は、その人の思ったとおりになる。

ああ、僕も前かごに物を入れたままにしないように、学ばないと。


人生で実現したい夢ができました!!
2010年1月 3日 00:02
毎年お正月は、人生についてじっくりと考える時間。
昨日、喫茶店でコーヒーを飲みながら考えてきたら、あるイメージが降ってきました。

僕の大好きな曲をかけながら、お読みください。

Another Division on a Ground by Mr. John Baniste
By Andwer Laurence King, Paul O'Dette

テーマは「出会いと成長」。

それは、笛博のコンセプトとして2008年に思いつき、
やがて僕の人生のテーマとなりました。

ある人との出会い、ある場所との出会い、本や映画との出会いによって、
考え方が代わり、人生が良い方向に向かった経験はありませんか?

僕にはあります。

笛博で出会った様々な魅力的な人達。
自分で歩いた、白神、立山、熊野、石見、阿蘇...。
今の僕があるのは、素敵な出会いのおかげです。

僕の音楽活動の使命は、出会いとご縁に恩返しをすること。
僕の音楽や生き方で、誰かの人生が少しでも良い方向に向かっていけば...と
思っています。

人生で、これができたらもう最高!という目標って何だろう、考えた時、
「誰かの人生が少しでもよくなるような場所を自分が作る」というアイデアが
降りてきました。

それは、人生を考えるきっかけになる良質な本や映画を自由に貸りられる図書館です。

色々な分野の魅力的な人の講演会が開かれる講堂です。

素敵な音楽を奏でる演奏者のコンサートを聴くことができる音楽室です。

アロマテラピーやマッサージの達人が時々やってきて、治療を受けられる診療所です。

地域の農家が、有機栽培の新鮮な野菜や果物を売りにきます。

腕のいい料理人による、おいしい料理やコーヒーを楽しむことができます。

常に魅力的な人が集い、一人で来てもすぐに人と仲良くなれます。

ひとりぼっちになりたいときに、静かに、暖かく、そっとしておいてくれます。

旅人が、噂を聞きつけて遠くから体を休めにやってきます。

そこは、人と人が、心で結びつく場所です。

その建物のそばには、温泉も、果樹園も、牧場も、運動場もあります。

その建物は、南紀熊野の、山をちょっと入った自然豊かな場所にあります。

全国から、人生を学びに、自然を学びに、心と体を癒しに、人が集まってきます。

カフェでも宿でもない、居心地の良い不思議な空間。

僕は、そこの館長として、色々な才能を持った、素敵な仲間たちと一緒に
暮らし、ともに学んでいます。

そんな場所が作れたら、僕の人生に思い残すことはありません。

お正月:お金と仕事の話の続き
2010年1月 1日 05:59
新年あけまして、おめでとうございます!

お正月は、毎年「獅子舞」の笛を吹くことが恒例になっています。学生時代から続けているお仕事で、年末になると衣装と笛が支給され、1回だけ稽古 に行きます。お正月くらいは休んだら?と言われそうなのですが、この時期にしかしない仕事なので、自分にとっては獅子舞がないと、お正月を迎えた気がしま せん。

ブログ(http://www.irishflute.info/)では、2007年から毎年の様子が読めて楽しいです。今年は1日に淡路島のウェスティンホテル、2日に堺市の住宅展示場で演奏をしています。

横笛での循環呼吸法を習得したので、今年の獅子舞は時々ノンブレスで吹いています。誰か気づいてくれるかな~。

去年もお正月にお金の話を書いていたんですね。僕のブログは、当初は音楽のことを中心に書いていこう、海外のティン・ホイッスルやアイリッシュ・フルートの情報を紹介していこうというコンセプトだったのですが、いつの間にか人生や学びのことを書き綴るブログになりました。
ブログを始めた頃は「日本一のプレーヤーになるぞ」という気負いがありましたが、今はそこは気にならなくなり、音楽とは人生であり、人間的な成長 なくしては音楽が良くなることはありえない、と思うようになったためです。音楽以外の楽しいことがたくさん見つかったから、ということもあります。

お金の話しを続けましょう。

3年前に事務所を立ち上げた時、人生の目的と使命を深く考え、「仕事」「教育」「家庭」「健康」「精神」「経済」「人」の7項目について、目標と行動計画を立てました。それを手帳に挟み常に読み返して自分を律してきました。

3年経って、その多くが達成できたか、達成のために現在も取り組むことができています。例えば、仕事上の目標である「ケルトの笛の第一人者にな る」は教本の出版とともに、ほぼ達成できました。健康上の目標のお陰で、お酒は一切飲まなくなりましたし、少肉多菜の規則的な食事習慣も身につきました。 ジム通いも続いています。清潔で物の少ない家、妻と毎日食事を供にするという家庭上の目標も達成。必要があり気に入っている物だけに囲まれる、質素倹約と いう経済上の目標もクリア。友と師を持つという目標も達成しました。3年前に欲しかったものも、ほぼ手に入れました。

毎年お正月は時間をかけて、集中してその年の目標を定めることに取り組みます。1日元旦は獅子舞が午前中で終わったので、午後から梅田で目標と計 画立ての時間を作ることにしました。よし、せっかくだから世界最高クラスと言われるリッツ・カールトン・ホテルの喫茶室で書こうと思い、西梅田へ。
ところが、なんとお茶とケーキだけで4000円という値段に仰天。しかも、高層階の見晴らしの良い場所で、少ないお客さんの中で静かに執 筆・・・とイメージしていたのに、1回のフロントそばで、子供連れの家族客でにぎわっていました。イメージと違ったのでショックを受け、結局は自宅に戻っ て作業しました。

コーヒー1杯1000円でもいいから、BGMのかかっていない、机の広い、全席禁煙の静かな喫茶店はないものでしょうか。目標リストに早速、「リッツでお茶をするにふさわしい人物になる」と書き加えました。

リッツのお客さんを見て思いました。みんな、お金持ちなんだろうなあって。日本には、純資産が1億円を超える人が130万人、100人に1人の割 合でいます。つまり、僕のマイミクに2、3人はいることになります。りッツのような富裕層を対象にしたサービスが成立するわけです。一方、年収114万円 にも満たない貧困層は100人に16人います。中間層が少なくなり、富める者と貧しいものに二極化しているそうです。

突然ですが、みなさんの周りに、企業のオーナー、財団の理事、公務員の次長クラス、芸能人やスポーツ選手といった「セレブ」はいますか?国税庁の 法人税統計によれば、平成17年度で国内の会社は約277万社あるそうです。社長は277万人いるということです。こう考えると、社長職ですら全然珍しく ないですね。

また、都心を見ていると大きなビルが林立していますが、当然、すべて誰かがお金を出して建てたものです。皆さんの住宅街には、商店やスーパ-、レ ストランがあります。それらすべてに経営者がいます。日本には都市部から離れると、多くの手つかずの土地があります。それらもすべて、誰かが所有していま す。

それなのに、私たち20~30代の若者の多くは、誰かのもとで従業員として雇われ、賃貸マンションの狭い一室を借りて住んでいます。財をなすことも、土地を持つことも、経営者になってビルを建てることもなく人生を終えるのです。あなたは、それでいいのですか?

仕事や職場を提供して従業員を雇う人がいる一方で、労働力を提供して報酬を得る人がいる。

土地や建物を提供して家賃収入を得る人がいる一方で、それを借りて家賃を払う人がいる。

僕は、絶対に、前者を選びます。

その方が楽しいに決まっています。

Boys & Girld be anbisious !!
若者よ、野心家たれ。

夢は大きく、志は高く。楽しい人生を生きよう!

一年の締めくくり
2009年12月31日 21:01
年末の狂乱的な、かつ充実し毎日を書き綴ろうと日記を書いてきたけれど、最後の最後で風邪をひいてしまい、穴をあけたまま、新年を迎えることにします。2009年、本当に多くの人に助けられて、一年を終えることができました。僕の演奏を聴いて下さったお客様、生徒さん、商品を買ってくださった方、演奏させて頂いた場所や関係者の皆さま、ほか、僕を支えてくださった皆様。本当にありがとうございました。

一年の総括、というわけではありませんが、仕事とお金の話で締めることにします。

大晦日である今日は、ヴァイオリンの天澤さんのご自宅に食事に招待して頂きました。大変美味しいお料理を頂いて、デザートまで楽しみました。

天澤さんのお父さんは作家であり、お母さんはイラストレーターです。お二人ともフリーランスで、天澤さんは実家にいた頃から、春先になると確定申告を手伝っていたそうです。天澤さんご自身も、才能を生かして、好きなことを仕事をしています。

典型的なサラリーマン家庭に育った僕にとって、仕事とはお金を稼ぐことであり、すなわち従業員として誰かのもとで働いてお給料を得ることでした。親から言われたわけではないものの、「好きなことを仕事にしようなんて、甘えた考え方だ」、「仕事は頭下げてナンボだ」、「仕事は辛くて当然だ」、「音楽家なんて、まともな仕事じゃない」といった、仕事へのネガティブな考えに染まりきっていました。
それが今のように、自分の才能を活かして、人に喜ばれ感謝されながら、組織に属することも誰かに使われることもなく、好きなことをして生きられるなど、思いもしませんでした。本当に感謝しています。

音楽家になったのは、半ばやけっぱちでした。大卒後、アルバイトをしつつプロを目指して活動するも稼げず、諦めて会社員になるも仕事が辛くて続かきませんでした。自分はどう生きていったらいいのだという絶望の淵にあった時、どのみちダメなら好きなことをして生きよう!という諦観が、逆に才能を伸ばし、運を開いたのでした。それから5年が経ちました。

先日、小学校で公演をしたときに、小学生のみんなに「好きなことをたくさんして、才能を伸ばしてください」と伝えました。勉強やスポーツだけが才能ではない。人を楽しませることが好きならコメディアンでもいいし、絵が好きならデザイナーやイラストレーターという道もある。人と交わるのが苦手なら、フリーランスという生き方もある。僕は、みんなが自分の才能に気付き、それを生かした職業につけば、もっと社会が健全で皆が幸福になると信じています。

今年は、活動の幅も増え、質・量ともに充実した年でした。と同時に、自由時間の確保が課題となりました。音楽家にとっては、練習や学び、創作に費やす時間が、長く現役を続けていくためには一番大切です。今のスタイルでは、レッスンと演奏が増えれば増えるほど自由時間が無くなり、常に多忙な状態に追い込まれてしまいます。 「収入=消費した時間」である限り、経済的ゆとりと時間的余裕を両立させることは困難です。演奏やレッスンの単価を上げても、収入の増大には限界があります。

演奏活動は、お金にはなりづらいものです。東京ツアーも、先日の宝塚でのコンサートも、経費以上の売上は上がりましたが、か けた労力・時間をコストとして計算すると赤字です。しかし、コンサートは自分の成長のためにするものであり、お客様のためにするものです。ですから、コン サートを興業として考えて、そこから生活費を得ようとすると、しんどい思いをすることになります。演奏活動を安定して継続するには他の収入源を確保するこ とが必要になります。一方、レッスンはお金にはなりやすいですが、自分が常にいなくてはいけないので、増えすぎると時間に追われることになります。
殆どの演奏家は、その二つのバランスをうまく取ることが必要になります。

そこから脱するには、自分が時間をかけずとも収入が入る仕組みをつくり、不労所得から演奏活動のコストを得ることだと気付きました。音楽に関わることでは、CDや本などソフトの販売、著作権料と印税、音楽教室の経営、物品の販売などがあたります。もちろん、音楽にこだわる必要もありません。株や不動産収入だっていいのです。来年は、商品開発や投資も含め、その仕組みを作ることを実践していきます。

理想的な状況は、お金の多寡で仕事を選ぶ必要がないようになること、必要があるときにすぐに海外に滞在ができること、好きな場所に暮らし、お金のためだけでなく成長のために仕事をすること。つまり、経済的・時間的な自由を得ること。

僕の音楽仲間に、「自分が音楽をするのはお金儲けのためだ」とばっさり言った人がいました。当時の僕は「音楽家はお金儲けに走らず清貧であるほうが好ましい」という考えでしたので、軽いショックを受けました。今もお金は目的などとは当然思ってはいませんが、理想の状態を現実のものにする手段であると思っています。

僕の考え方は普通の「演奏家」とは、ずれていると思います。むしろ「起業家」であると思っています。方法は違えど、音楽を愛し、人が必要とするものを作りたいと言う気持ちは同じです。僕のようなアプローチが、後に続く人の励みになれば、とてもうれしく思います。

来年は、一層精進します、皆様、どうぞ宜しくお願いいたします!

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大晦日の月。お正月は満月になります。

働きすぎ
2009年12月17日 00:50
(12月27日に書いています。)

12月に入って、めまぐるしい毎日を過ごしています。大小数えてコンサートを月に20本くらいしています。レッスンも増えてきて、毎日ひっきりなしに生徒さんがやってきます。やるべきことと、したいことが山積していて、いつも大慌てです。

今日は、高松で大学時代のサークル仲間の結婚式がありました。お知らせをもらった時点ですでにコンサートの仕事が入っていたので、どうしても行くことがかないませんでした。全国から高松に集まった学友達と電話をして、寂しくなりました。

大物の芸能人が亡くなると、有名人が大勢お葬式に参列しますが、彼らはどうやって予定を開けているのでしょうか。もちろん暇であるはずがありません。仕事を調整してきているはずなのです。我々芸事を仕事としている人間は、自分以外の代わりがありません。時には誰かに代理を頼めるような仕事もありますが、自分の名前で告知してお客様にチケットを買って頂いている場合は、何があっても自分が舞台に立たなくてはいけないのです。

来年はすでに7割くらいの週末が埋まっています。福岡、名古屋での教室も始まり、旅仕事が今年以上に増える予定です。仕事の量も質もキャパシティ限界まで引き上げるつもりです。身近な人の大切な日があっても参列できないくらいの覚悟はしています。

どうして、こんなに忙しく頑張っているのだろう?

お金持ちになりたいから?

有名になりたいから?

実力を認められたいから?

それは否定はしません。欲や野心があることは、良いことです。

今生の人生の一番の目的は、自分にしかできない最高の経験をたくさん積み、人生を味わいつくすことです。すなわち、天から与えられた才能を存分に生かして人の役に立ち、学びと成長を続けて、幸福と愛情の中で生きることです。もう少しでこの狂ったような忙しさから一歩上の段階へと進めるような気がしているのです。人生で最高のものを実現するために、今日も気持ちを新たに舞台に立ちます。

滝で笛を吹く (1)
2009年11月28日 23:14
夏の暑さも残る9月のことだった。熊野の山奥の滝に、見臺さんが連れて下さったのは。地元の人もほとんど知らないばかりか、登山道も整備されておらず、ひっそりと山にたたずむ滝だ。ここは、ある神社の聖域とされているのだ。

山奥を歩くこと1時間ばかり。水の音が近づいてくる方向へ歩くと、その滝は姿を現した。落差は20メートルくらいだろうか。さらさらという音を立てる、女性的な、優美な姿である。ここの滝つぼのそばで、休憩をしようということになった。実は、見臺さんには、神様への奉納の意味で、滝に演奏をしてはどうかといわれていた。

もちろん、このような信仰の場所で演奏させて頂ける機会など、そうあるものではない。しかし、見臺さんにお会いするのも、笛を聞いて頂くのも、この日が初めてなのだ。自分という存在を試されているように思えた。どんな曲を吹こうかと、前日の晩は悩んだ。

夜中に車で出かけて山中に停車し、数時間、真っ暗闇の中で一人で練習をした。アイルランドの曲をたくさん練習したが、どうも、ふさわしい気がしない。結局、何も決まらないまま、その日を迎えた。

滝の前で、「それでは、準備ができたら始めてください」と見臺さんは言った。しばらく、僕は無言のまま滝の前に座り、音に耳を傾け、心を静かにした。心が清められていくような気がした。その時がきた、と感じ、アイリッシュ・フルートを取り出し、思うままに、感じるままに、即興で笛を吹いた。すると、信じられないようなことが起きた。

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晴れた空の明るい日差しのまま、大粒の雨が落ちてきたのだ。しかし、驚くこともなく、楽器も服もびしょ濡れになりながらも、演奏を止めようという気にはならなかった。何かに祝福されているような、静かで、暖かな、柔らかい雨だったのだ。雨粒が水面を叩き、水がダンスを踊っているようだった。周りで同行者達が見ていることなど、気にならず、好きなだけ吹いた。

2曲目は、ティン・ホイッスルでアイルランドのエアーとリールを演奏した。すると、演奏が終わるころ、ぴたりと雨がやんだ。滝は、もとの静かな姿のままである。

演奏を聞いて、見臺さんはこう言ったそうだ。「古来の日本で、音楽には、雨を呼ぶんだり、雨を止ませる力があると信じられていました。きっと、神様が聞き届けてくださったのでしょう。」

那智の哲人の言葉
2009年11月26日 17:25
那智の哲人は言いました。

「病気や怪我は、一見、マイナスとしか思えない。しかし、マイナスであることが、大きくプラスに転じることはある。私は昔、病弱だったが、鍛えたことで心と体のコントロールの仕方を学び、人よりもずっと丈夫になることができた。物の見方を変えることで、弱点は弱点ではなくなるのだ。

良いところも悪いところもあるのが、人間。完璧でなくてはならない、などというのは誤った思いこみだ。完全を目指すこと自体が、自然の摂理に反した、障害なのだ。自然のものを見ていると、どれ一つとして完全なものはない。それぞれが補い合い、一つの調和を作りだす。男が女より優れていると考えられている時代もあったが、この世の中が男だったら、社会は成立もしないし、命をつなぐすることすらできない。男と女があって、人間なのだ。」

太陽に愛された私たち
2009年11月23日 09:00
熊野に行って、考えたり、学んだことはたくさんあります。

熊野を知り尽くした山の人である見臺(けんだい)洋一さんは言いました。「人は人間語を話すから、人から学ぶことは比較的簡単です。ところが木や滝は人間語を話さないので、それらと意思を読むことは難しいことです。しかし、自然からは人間から学ぶ以上のことを学ぶことができます。」

熊野に来ると、樹齢何百年という大木や、いくつもの個性的な滝と出会うことができます。

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陰陽の滝

自然の姿を見ながら、愛について考えました。人間は、感情によって結びついています。中でも最も強くて尊い感情は愛だと思うのです。男女の愛、友情、家族愛・・・。ほかにもいろんな種類があります。愛の本質は、与えること、想うことだと近頃考えてきましたが、熊野で確信しました。

20代の頃は、僕にとって愛は奪うことでした。若さだったり、美しさだったり、時間だったり、感情だったり。ちょっとピンときませんよね?自分がどう愛を楽しむか、どう自分にとってプラスにするか、ばかりだったように思います。常に自分が中心にいました。愛されたい、注目されたい、大切にしてほしい、独占したい。まるで赤ちゃんのようですね。

恋と愛の違いは何か、という問いへのひとつの答えとして、恋は「請い」であり、自分に向けられた感情だということ、愛は相手に向けられた感情だということを聞いたことがあります。今なら、理解できます。

ビジネスにもあてはまります。お客様に買わせよう、少しでもお金を使ってもらおう、自分だけ儲けようという姿勢では、人に益することはできません。与えること、人の役に立つこと。これにより、商売がうまくいくのではないでしょうか。

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愛は、ギブアンドテイクでもありません。自然を見ていると、はっきり理解できました。太陽は、地球を暖め、植物を育ててくれます。そのおかげで地球上の生き物は暮らすことができます。太陽が、何かを私たちから奪ったでしょうか?人間は、自然の恵みを利用して生命を維持し、文明を発展させてきました。私たちは自然から奪うばかりです。自然が私たちから何かを奪ったでしょうか?

私たちは、太陽に、自然に愛されている。これが実感できた時、ああ、ありがたいな、と心から思えました。太陽から祝福された気持ちになり、生きているだけで素晴らしいと思えました。太陽のような愛し方を、したいものです。


最近聞いた良い話
2009年11月16日 02:37
忘れないうちに、書いておきたい言葉たち。

(1)去年、赤ちゃんを出産した、プロのフルート奏者の方との会話で。

hatao「お子さんを生む決心をしたとき、キャリアのことを考えてためらったりしませんでしたか?大学の先生になるとか、海外で演奏活動をするとか、夢もおありかと思います。」

先生「ためらうことはなかったですね。大学の先生は私でなくても、誰かができる。代わりはいくらでもいる。でも、私の赤ちゃんには私しかいないで すから。誰かに絶対的に必要とされることって、子を持つこと以外になかなか経験できることではないですよ。それに、人生で育児にかける時間って、ほんのわ ずかだと思うんですよ。育児が終わってからでも夢は追えますからね。」

(2)クリスマスとサンタクロースのことを生徒さんと話していて

hatao「プレゼントをそっと枕元に置く家庭もあれば、買い与える家庭もありますね。」

生徒さん「たとえ大人になってサンタクロースの正体が分かったとしても、子供時代に、そういう神秘的な存在を信じて、心に『サンタクロースの部屋』を作った子供は、大人になってからもスピリチュアルなものを大切にするようになるらしいですよ」

(3)その会話をうけて、別の生徒さんが

「うちの子には、サンタクロースは、実はお母さんだったんだよ、って白状しちゃいました。でもその時に、サンタクロースは世の中に確かにいて、大人にも子供にもたくさん贈り物を配り続けてくれているんだよ、と説明をしました。」

(4)インド音楽奏者のTaroさんとの会話で

hatao「練習をすごくしていそうですね」

Taroさん「練習をして、何かができるようになることよりも、常に調子の良い状態をキープし続けることが、練習をする理由だと思う。一度ゾーンから外れると、調子を取り戻すのは大変だからね」

(5)同じく、Taroさんのmixi日記より

「営業や制作は、誰かに手伝ってもらうことができる。宣伝も事務作業も、誰かに代わってもらうことができる。でも練習はできない。誰にも代わってもらうことができない。自分しかいない。」

※引用させて頂きました。



自分以外はみな「師」。

学びを得ました。ありがとうございます。

僕にとっての万笛博覧会
2009年11月 8日 09:03
・・・というタイトルでブログを書こうと思い、30分くらい長文を書いてみましたが、あまりにも思い入れが強すぎるので、消してしまいました。代わりに、僕のカメラにある写真を並べます。

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<津軽の笛奏者佐藤ぶん太。さんとのコンサート>

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万笛博覧会のテーマは、チラシにも書いてありますように、「出会いと学びの場」です。万笛博覧会を通じて、異文化や普段出会わない人と交わり、気付きと成 長を得ること。参加者から「目を見開かされました」「人生が変わりそうな体験ができました」という声を聞くと、苦労が吹き飛びます。

僕にとって、万笛博覧会の準備のために割くエネルギーと時間は、膨大なものです。そのエネルギーと時間をお金を稼ぐために使えばそれは大きなものなのでしょうが、万笛博覧会を通じて、お金以上のメリットを感じているからこそ、苦労をいとわないのです。素晴らしい出会い、気づき、学び、成長が得られれば、それはお金には代えがたい財産です。僕だけではなく、講師のみなさん、参加者のみなさんにとっても同じ価値観を共有できれば、最高だと思っています。

個人的な話になりますが、僕にとっての幸福とは、愛情や、喜び、成長、感謝といったポジティブな感情で満たされた世界。万笛博覧会は、大好きな人に囲まれて、幸福を感じることができる機会なのです。

これが、僕が万笛博覧会を実行する理由です。

落ちこぼれてエベレスト
2009年11月 5日 22:44
先日訪れた別府の「山猫軒」。

ここの本のセレクションは、なかなか面白い。去年は若手落語家・桂三若さんがバイクで日本各地を旅して落語をする道中記と、飢餓問題についての本を買って帰った。帰りのフェリーの中で真剣に読んだ。どちらも面白かった!

今年は、ふと、本棚を眺めていてアルピニストの野口健さんの本が目に留まった。この人のことは、ネスカフェのCMに出演していたので名前を知っていたくらいだったけれど、最近興味のある登山の話だというので、買ってみた。

大阪に帰ってからしばらく読まないままだったけど、昨日から読み出したら止まらなくて、一気に読んでしまった。これは面白い!

野口さんは、最年少で7大陸の最高峰を踏破したことで有名。現在は、エベレストや富士山の清掃活動や、南方の旧日本軍の遺骨収集をしているそうだ。

最初のシーンは、いきないエベレストの山頂間近のところから始まる。

高度8000メートルの、極寒の死の世界。凍傷や滑落でけがをしても、誰も助けには来てくれない。
いつのものとも知れない力尽きた登山家の遺体がごろごろしているのだが、バクテリアすらも凍りつき、朽ちることなく、そのままの姿で眠っているのだそうだ。

いつ倒れるかもしれない巨大な氷の塔や、突然現れる深いクレバス。百戦錬磨の登山家を飲み込む、悪魔のような雪崩。高山病や凍傷や飢えや眠気などの死の恐怖とも戦わねばならない。まさに、命がけの登山。

これは、実際に上った人でないと描写できない世界だ。野口さんの書き方も上手で、引き込まれてしまう。「深夜特急」にも似た、そこに自分がいるかのようなリアルさに興奮した。

エベレストのことを調べていたら、橋本龍太郎前総理もまた登山家であり、エベレストを登頂したそうだ。また、昭和50年に、女性だけでエベレスト登頂を果たしたグループもあったそうだ。

山の魅力に僕もまた、惹かれつつある・・・。毎年30万人が登るという、富士山に登りたいという気持ちが、どんどん膨らんできた。

エベレストの映像。

「~なさい」の本
2009年10月28日 12:41
本屋さんの話題を続けます。

本屋さんで一番先にチェックするのは新刊ビジネス書なのですが、この夏くらいから、「~なさい」というタイトルの本が多いの、気付きましたか?(写真をご覧ください)

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情報は1冊のノートにまとめなさい
だから、新書を読みなさい
サラリーマンよ「2つの財布」を持ちなさい
社長! そんな税理士はいますぐ替えなさい
お父さん、お母さん、ゴメンなさい...。

最後のは違うか冷や汗

「金持ち父さん、貧乏父さん」みたいに、両極端なものを比較して並べるのも昔から定番になっています。

こういうのって、発端は何かがこのタイトルでヒットしたからだと思うんですが、今回の「なさい本」は何がきっかけだったんでしょうね。

僕の本のタイトルを、「笛が上手にふける人、下手な人」にしたら、とてもやる気をなくすでしょうし、「ティン・ホイッスルを吹きなさい」にしたら、誰も買わないだろうな~と思います。

やっぱり、ビジネス書だから、こういうタイトルで通用するんでしょうね泣き顔

素敵な女性の話
2009年10月27日 22:05
火曜日は四ツ橋教室でレッスン。

いつも帰り道に本屋さんに寄るのですが、売り場が広い紀伊国屋よりも、大阪駅地下のキオスク(書店)が、結構ポイント高いんです。小さいお店ですから、かなり焦点を絞ったセレクションを並べていて、棚の本の背表紙を読むだけでも、今、何が売れているのか、面白いのか分かります。また、このお店は本の陳列や客層を見ていると、女性をターゲットに絞っているようで、女性の視点やニーズを捉えるためにも、かなり参考になっています。

女性といえば・・・先週の日曜日は一日中教室で、千里⇒京都と2箇所で開催したのですが、生徒さんも、店員さんも、職員さんも女性にしか会話しませんでした。こう女性にばかり接していると、自分が男性だという自覚すらなくなってしまいそうです。男って、どんな風なんだっけとか、本当に男性は世の中に必要なんだろうかー・・と悩んでしまいます。

21世紀は女性の時代だと言われますが、感性豊かで、実力も経済的豊かさも併せ持った、独立した女性が幸福に生き生きと暮らせる社会になってきているように思います。そうなることが、一番の平和への道でもあります。僕の周りにも、そういう素敵な女性がたくさんいますし、支えてもらっていることに日々、感謝しています。

素敵な女性といえば・・・音楽的なパートナーの、ピアニスト上原奈未さんとのライブ録音を、公開します。人間的にも音楽的センスも、とても尊敬しています。目がハート来年は、2人の演奏を中心としたアルバムを出す予定ですので、どうぞお楽しみに!

hatao & nami @タナ・トラジャ (大阪のカフェ)

http://www.irishflute.info/mp3/hatao&nami.mp3

曲目はCoolin(Slow Air) ~ Christy'Barry's(Jig) ~ Honeymoon Reel ~ Drunken Landlady ~ Islay rand です。

手を抜かない
2009年10月19日 01:03
先日、土曜日はタップ&アイリッシュ・ユニットJ-Clickの自主公演企画"ART OF THE DANCE"を、ピッコロシアターで共演させて頂きました。半年以上前から仕込み、練習に入っていたという今回の公演。ゲストのダンサーが多彩で、いつも以上に気合が入っていました。

ゲネプロでのきびきびした動き、開演直前の楽屋へのあいさつ回りなど、音楽家である我々には忘れていたような、緊張感と集中力がみなぎっていました。90分一本の舞台も、転換、演出、照明などすみずみまで工夫されており、あっという間でした。

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この1回の公演のために、大勢の人がエネルギーを注いできたことでしょう。一人の力だけでも、本気になれば大きな成果をあげることができますから、全員が一致団結した舞台がどれほど素晴らしいかは、述べるまでもありません。

打ち上げにて、団員の方とお話をしていて、焦点を絞って活動することの大切さを痛感しました。公演依頼がたくさん来て忙しく活動することは、ある意味、良いことです。しかし、時間も体力も限界がありますから、公演が増えるほどひとつひとつに100%のエネルギーを注ぐことができなくなるのは事実です。すると、公演の難易度や重要度で優先順位をつけて、一定レベル以上に仕上げたら良しとするケースが出てきます。

「勉強法」の本で読んだことがあります。100点満点のテストの、50点を90点に上げることは、90点を100点にすることよりもずっと簡単である。また、資格試験においては、合格すればよいのだから、100点を目指すよりも合格確実の80点くらいまでの勉強で充分なのだ、と。

つまり、どの仕事も80点くらいで仕上げて、数をこなすスタイルになっていきます。リハーサルを1回ですます、楽譜読みと即興演奏の能力に頼って現場でなんとかする、オリジナリティよりも無難な演奏でソツなくこなす。

しかし、それで何が得られるでしょうか?お金と、対応能力、効率よく手抜きするコツ、といったところでしょう。その代わり、達成感や進歩は得られません。ある意味、そうやって平均点以上を安定して保つのは、プロ的であると言えますが、自分が目指したいのはそこではありません。

達成感を得たい。良くなっているという進歩を確信したい。成長したい。

自分がこれほどまでに忙しくしているのは何故なんだろう。ひとつは、何を言っても、いろいろなことをすることが、忙しいことが結局は好きなんだということ。ひとつは、暇にしていたら、生活ができなくなってしまうのではないかという、フリーランス独特の漠然とした不安。

一日に2万円稼ぎ毎日休みなく働く暮らしと、週末に10万円稼ぎ、平日は公演の準備をする暮らしと、どちらがいいのか?収入は減っても、後者が絶対に良いと思う!それに、数は少なくても100点万点の公演を打ち続ければ、1回100万円くらいのもっともっと大きな公演依頼が来るに違いない。

ますます、働き方を変えていきたいと思いました。今日も、重要な気付きを頂きました。ありがとうございます。

前世のお話
2009年10月18日 23:05
1か月ぶりの千里教室で、和歌山の熊野旅行であの不思議な体験の数々を生徒さんにしたところ、ちょうど前世の話をしたところで、生徒さんの一人(40代・女性)が、実際に体験したお話を語ってくださいました。

その方のお嬢さん(イニシャル I ちゃん)が、小学校1年生の時。ご主人の帰りが遅く、 I ちゃんと、その弟との3人でだんらんの時間でした。その方は昔、インスタントラーメンの開発をしている研究員をしていましたから、お子さん達に、昔 会社員として働いていたころのお話をしたのだそうです。そんな子供たちが生まれる前のお話を聞かせたところ、 I ちゃんは、「そのお話知っているよ」と言うのです。

7歳の子供ですから、また適当なことを言って・・・と思いつつも、よく話を聞くと、ただの想像とは思えないような話が聞けたそうです。

I ちゃんは、生まれる前、美術館に行ったんですって。そこは、男と女と入口が分かれていて、子供たちがいっぱい集まっていたそうです。 I ちゃんが美術館に入ると、そこには女性の絵がいっぱい飾ってあったそうです。その中から、工場で働く女性の絵を選んだんだそうです。それがお母さんだった と。だから、ずっと工場で働いていたところを見ていたんですって。

今でも、弟がぐずって、「お姉ちゃんもお母さんも嫌いや~!」と泣くと、「あんた自分で選んで生まれてきたんやから、わがまま言うな!」と怒る I ちゃんだそうです。

さて、そんな弟君(イニシャルM君)にも不思議なことが。

実は、お母さんがM君をみごもっていた時、切迫流産しかかったことがありました。
「もうだめ、この子は落してしまうかも・・・」そう諦めかかっていた晩、夢で知らない子供達が、小さな子を引っ張っている場面を見たそうです。

最近、M君に不思議なお友達がいて、言うのだそうです。「僕たちは昔、お空の雲の上にいててん。M君はすごいわんぱくで、ある日、遊んでいたら、雲から足を滑らせて、落ちそうになってん。で、うちらが頑張って、ひっぱりあげたんやで」。

お話の細部までが一致し、きっとこの子がM君を助けてくれたのね、と思ったとのことでした。

不思議な前世のお話し、続く、かもしれません。

来年の仕事の展望
2009年10月 8日 02:15
この秋から冬に向けて、これまで以上にいろいろな方との共演の機会や、複数の方からレッスン入会や問い合わせなどが来ています。新たな出版の計画も立てています。

事務所を立ち上げた3年前の状態を思うと、かなり理想的な状態になりつつあります。生活レベルを維持しながらも、貯金する余裕も出来てきました。

しかし、そろそろ忙しさの限界。

生徒さんを増やすとか、演奏の回数を増やす方向では、これ以上に頑張ることは不可能です。

現状でも、朝から昼間はレッスンやリハーサルがあり、夕方には演奏に出かけ、深夜に帰宅したあとで明け方まで事務作業をするような生活。このような暮らしが40代でも続けられるとは考えられません。

先日、ノコギリ演奏家として第一線で活躍されているサキタハジメさんにお会いしたときに、僕を紹介して下さったギターの「えぐちひろし」さんが、「hataoさんは、引っ張りだこで、めちゃめちゃ忙しいんですよー!」と、良いニュアンスで紹介して下さったのに、サキタさんは、「自分で忙しくしているんだよねー。」と、自分の首を締める動作をして答えられました。

これは、「忙しい=人気者、繁盛している」と考えがちな僕に、気づきを与えてくれたました。

自分の時間をしっかり持ちなさい。忙しさに振り回されずに、将来のために着々と仕事を積み上げていくようにしないと、いけないんだ、と。

このスタイルの仕事を続けている限りは、収入もこれ以上大きく増えることはないでしょう。儲けることが仕事の目的では決してありませんが、売上を大きくするということは、より大きな、良い仕事をするということを意味します。仕事をしている以上は、これは非常に大切なことです。

マーケティングの定石では、売上を増やすには、
①顧客を増やす ②販売回数を増やす ③単価を増やす があります。

この①や②では、体ひとつで仕事をしている僕には限界があります。③に進む時が来たのだと感じています。

ところで、先日あるホールの担当者の方と打ち合わせをしました。来年秋の公演のプレゼンテーションでした。

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僕の音楽仲間は、ホールでの演奏はコンセプトがすべてだと言います。ただ上手いだけではダメ。何を伝えたいのか。舞台を貫くテーマは何なのか。ライブを重ねるうちに、それが、しっかりできてきました。頼りになる共演者も揃いました。

来年以降は、平日の昼間の学校公演、週末のイベント出演、コンサート・ホールでの演奏にプロモーションを集中していこう。

いつまでも、アイリッシュ・ミュージックやケルトの笛を、飲食店やライブハウスだけにとどめていてはいけない。僕の進むべき道は、そっちじゃない。

20代は助走の時、30代は飛翔の時。30代でいかに高く跳ぶかが、40代以降の人生を全く違ったものにすることでしょう。

サキタさんや、去年出会った和太鼓奏者・時勝矢さんのような一流の方たちが、早くこちらの世界へ来なさい、こちらで待っているよ、と言っているように感じています。

ブレイクスルーを与えてくれた、状況に感謝!

暮らしを「好き」で埋め尽くそう
2009年10月 1日 22:28
芸術の秋は、キリギリス音楽家にとって、繁忙期!毎日、精一杯のエネルギーで夢に生きることができて幸福です♪

しばらく更新が滞りがちですので、巻いて更新していきます。読者のみなさんついて来て下さいねー!

さて、今日はお気に入りの雑貨達を紹介します。先日、須田帆布のリュックを紹介しましたね。まだまだあるんです!

まずは、舞子のアウトレットで購入した、カシオの腕時計。今までつけていたのは、年始に獅子舞の笛の仕事をした際、必要に迫られて現場近くのドンキホーテが買った、思い入れのない安い時計。気に入った時計がほしいなと思っていたところ、商品に呼び止められました。

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オレンジもブルーも大好きな色です。

続いては、4、5年くらい前、会社員をしていたころに仕事先で購入した、甲州伝統の「印伝の財布」。鹿革に、漆塗りで桜の模様をつけているんです。赤の財布は縁起が・・・という噂もありますが、そんなこと、全然なかったですよ!


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小物で大事なのが、文房具。3色ボールペン(シャープペン付き)を何年も愛用しています。手帳にメモするときに、項目別に色分けできて便利。右の2本は、生徒さんに教えてもらった「消えるボールペン」です。こすると、筆跡が消えちゃうんですよ。

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保温性抜群のThermosの水筒。夏場は、朝いれておいた冷たいお茶が、晩まで冷たいまま飲めます。とても重宝しています!

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最後は、イギリス・ファイロファクスの手帳。会社経営者の熊谷正寿さんの本を読んで知りました。バイブルサイズで、たっぷりの容量が入り、ファスナーで手帳を閉じることができます。牛革で、当時の僕にはかなり高級品でしたが、使うごとに愛着がわいてきます。


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身の回りのものを、すべて「好き」なものばかりにしたら、どれほど楽しいでしょう。つい、値段やその時の品揃えといった条件の中で選んでしまいがちですが、一生使い続ける気持ちで、ちょっと良いものを、こだわって選んでみる。それだけのことで、暮らしがずいぶん楽しくなるものです。

今、欲しいものは、オーダーメイドのフルートケース、パナマ帽(夏は過ぎましたが)、いい香りのボディソープです。皆さんの、お気に入りの雑貨など、ぜひ教えてください!

性格は良くなるのか?
2009年9月27日 00:25
ここ数日の間に、立て続けに「性格」を考える出来事がありました。

1つめ。
とあるクライアントから、依頼どおりに演奏者を手配したのに、演奏日間近になり一人
減らして欲しいと言われる。しかも、その予算を他に充てたいので・・・と(かなり失礼!)。

もう演奏日が近づいており、リハーサルや曲の段取りに入ってるため、この段階でキャンセルは困ります、と伝えると、「じゃあ、キャンセルできないってこと?」と、タメぐちで、高圧的な態度に出られる。こちらが熱くなってはいけないので、事情を丁寧にご説明さしあげる。その後も、タメぐちで、「~しといてくれる?」といった調子。
どうも、「こちらはお金を払っているのだから無理は聞いてもらえるのが当然」と考えているように感じる。
サービスは、受ける方も与える方も、お互いの感謝の上に成り立ちます。「お金を払っているのだからやってもらって当然」という気持ちでは、お金に見合ういい仕事をしてもらえることは少ないでしょう。

2つめ。
急な、しかもやや大きな演奏依頼があったのでメンバーを集めていると、準備期間がないから失敗は目に見えている、急に決まったのはクライアントの方で何かトラブルがあったからに違いない、練習できずに中途半端なステージを作って恥をかくのはいやだ、他の共演者とは経験がないから不安だ・・・と、まだ何も始まってもいないのに、ネガティブなことばかり言う演奏者。

最後に「やってもいいけど・・」と言うので、こちらからお断りしました。やるなら、成功を目指して、楽しんでやってほしい。チャンスを自分から逃しているのは、勿体ないことです。

3つめ。
デパートのエレベーターに乗っているとき、ドアーが閉まる直前に駆け込んできた人がいた。その人が同じエレベーターに乗っているにも関わらず、「これやから、いつまでたっても出発できへん・・・」と文句を言いあうおばちゃん二人。とても感じが悪いです。

4つめ。
とにかく不機嫌な人。言いたいことがあるような感じで、もごもご言うのだけど、よく聞こえないので、「え、何?もう一回言って」というと、「何でもありません。」の繰り返し。
自分から何かを言い始めたかと思えば、「やっぱりいいです」とか、「言ってもしょうがないので」と、しぼんでしまう。こういうのは「遠慮」とは言わないです。

以上のどれも、性格が良いとは言えないでしょう。

学生時代には、「性格が悪い」人がいたように思いますが、今は自分からこういう人に近づかなくても良い環境にいるためか、ずいぶんとこういう人と出会うケースは減りました。

そもそも社会人になると、「性格が悪い」という言葉自体、あまりを聞かなくなりました。その代りに、「癖がある人」、「変わった人」、「アクが強い人」などと表現し、性格のゆがみも個性の一つとして認めることがマナーのようにも感じられます。

今の時期になってこのような人たちを惹きよせてしまうのは、自分に問題があることを警告しているのか、それとも、今の人づきあいから新たなステージへ向かうように仕組まれた試練なのかもしれません。

さて、「性格が悪い」とは何でしょうか。

それは、すべて行動に現れるということです。
つまり「行動が悪い」ことになります。

まず、その人の心に、問題的な心理状態が発生します。
恨み、そねみ、嫉妬、怒り、悲しみ、苦しみ、迷い、虚栄、欲望、傲慢、怠惰、臆病、強欲などがあげられます。

こういう悪感情は、人間である以上、程度の差こそあれ誰でも持つものです。ところが、いわゆる「性格の悪い人」は、悪感情をうまく対処できずに、行動に移してしまうのです。

意地悪をする、蔭口を言う、嘘をつく、裏切る、人前で恥をかかせる、ケチをする、邪魔をする、すねる、ふてくされる、独占する、見栄を張る・・・。探せばいくらでもありますね。

ですから、感情コントロールが大切なのです!!

1)自分に起きた感情を言葉に表現する
 「イライラしているこの気持ちは怒り?疲れてる?眠いのかな?」

2)なぜそういう気持ちになったのか?観察する。
 「そういえば、昨日友達と喧嘩したのをひきずっているんだ」

3)自分の気持ちを偽らずに、ありのままを受け入れる。
 「イライラしているから、今日は心を落ち着かせて、ゆっくりしていよう」

心を言葉や行動に出すと、取り返しがつきません。悪感情は、それを受け取った人の心にたまり、そこから悪感情が回りに連鎖していきますから、みんなが不愉快な気持ちになります。

出す前に、観察し、受け入れ、対処する術を身につけましょう。

性格の良し悪しよりも、行動の良し悪し。

とても気づきが多かったです。

成功するミュージシャンのタイプ
2009年9月26日 00:41
昨日の豪華客船で、ご一緒頂いたアイルランド人のバウロン奏者ショーンさんが、ミュージシャンには3つのタイプがいる、というお話をしてくれた。

ひとつは、アーティストタイプ。演奏家として技術が高く、音楽は音楽だけで成立すると考えているタイプ。演奏がすごい一方で、人を惹きつける魅力に乏しいことも、ままある。

ふたつめは、パフォーマータイプ。演奏はそこそこだが、お客様とのコミュニケーション能力が高く、ステージの構成や演出も上手い。表現したいことに技術が追い付いていかないことも、ままある。

このどちらかひとつだけでは成功には結びつかない。

三つ目が、どちらも兼ね備えたタイプ。このタイプは稀有なのだけど、成功へいち早くかけあがることができる。

ところで、ショーンさんに、非常に成功したアーティストには、しばしばほとんど楽器が弾けない人がいる、ということも聞いた。僕でも知っている有名な人ばかりだった。成功したミュージシャンに共通しているのは、ものすごいエネルギーを舞台で発散していること。それが、人を惹き付ける魅力にもつながるのだろう。

会社経営の本で、読んだことがある。資格を取ろうと頑張るのは優秀な従業員になりたい人だ。経営者として成功したい人は、資格を取ることなどよりも、経営や法律のエキスパートを雇うことが成功への早道だと。楽器が弾けないアーティストも同じく、その道のエキスパートをサポートメンバーに雇えば良いのだろう。

話は変わるけれど、とても有名な日本のアイルランド音楽家のステージを見た感想を、昨日と今日、立て続けに別々の人から聞いた。これも何かの偶然なのかも。

一人は、すごいカリスマ性でお客さんを魅了していたと言った。もう一人は、取りまきの人だけに向けられた演奏で、音楽の解説もなく、とっつきにくいステージで、居心地が悪かったと言っていた。興味深い・・・。

さて、僕は3つめのタイプに入ることができるだろうか?

本物との出会い
2009年9月23日 12:25
ある頃から、映画や本や音楽、人など、好奇心の赴くままに出会っていきたいと思うようになりました。

中でも、

「この作品は本当に素晴らしい!」
「この曲は、一生弾いていきたい」
「この人とは、ずっと付き合っていきたい」

と思える出会いは、ごくわずかでした。

ところが、数多くの出会いを経験し、自分が何を求めているのか、自分が何を与えられるのかが明確になってくると、だんだんと、良いものとばかりと出会うことができるようになっていきました。

悪いものからは遠ざかりたい、良いものだけに触れあって暮らしたい...そんな自然な感情を、大切にするようにしました。

昔は、一流の作品や人に出会っても、自分のレベルが低すぎて、十分に良さが理解できないことが多かったように思います。

ところが、何かをきっかけに一流の一流たるゆえん、凄さを知ると、その作品や人など、一流のものが発する独特のエネルギーに自分が高められることがわかりました。

今は、むしろ、一流のものをどんどん求めていきたい。

映画や本や音楽、人。
たくさんの出会いがあるけれど、一瞬で、その本質が見抜けるようになりたい。

映画なら最初の5分で、本なら最初の10ページで、人なら最初の3分の会話で、これが自分にとって意味のある出会いなのかどうかを、見抜きたい。

そのためには、少しでも多くの本物と接することです。

「目が腐る」という言葉がありますが、悪いものと接するだけで運が落ちたり、判断が鈍ったりするものです。

意味があるものには、どんどん食いついていきたい。
意味がないものには、1分でも関わるのが惜しい。

感性を大切にし、感じたものに素直にありたいです。

写真:和歌山県で出会った木彫りの仏像。

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死ぬことと、出会うこと
2009年9月22日 00:16
世の中には、不思議だと思うことがたくさんあります。

時間が経つこと。

生まれることと、死ぬこと。

人が出会うこと。

人と人が惹かれ合ったり、反発しあうこと。

成長すること、老いること。

忘れること、忘れ去られること。

何も答えは出ないけれど、いつも不思議さを感じています。


たとえば、人が死ぬこと。

家族でも友達でも、その人と会っていない時は、相手が「存在していること」が実感できない。もちろん存在しているんだけれど、時々会ったり、話したりすることで相手が存在していることを「点」的に実感する。 その点を頭の中で結んで、「線」を想像して、相手が存在していることを「信じる」。

人が死ぬことは、現世で二度と会うことができなくなるということ。 なのに、今は会っていないだけで、会おうと思えば会えるのではないかと、錯覚してしまう。

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写真:和歌山県の彼岸花。


たとえば、人が出会うこと。

街を歩いていると、何百人という人とすれ違う。
みんな名前も知らない他人。
でも、今すれちがった人とは、将来どこかで出会い、友達になるかもしれない。

そう思うと、ここにいる友達も、出会う前に街ですれ違ったかもしれない。 いや、きっとそうに違いない。

なのに、縁がない人とは一生、出会うことも、話すこともないまま人生が終わる。 人と人が出会うのは、奇跡だと思います。

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写真:酔芙蓉。朝は白く、夕方になると酒に酔ったように赤くなる花。

気持ちを伝える
2009年9月15日 23:14
最近読んだ本で、誰にもお勧めしたい本です。

平木 典子 (著)
図解 自分の気持ちをきちんと「伝える」技術―
人間関係がラクになる自己カウンセリングのすすめ
PHP研究所



気持ちを正確に伝えることは難しい。そこを原点に、どうすれば相手を傷つけたり、抑圧することなく、お互いの気持ちを理解しあうことができるかについて、図解つきで分かりやすく書いてあります。

まず、コミュニケーションの取りかたの傾向を、下記の3点に分類。

1.自分優先(攻撃的)
2.他人優先(非攻撃的)
3.自分のことをまず考え、他者も配慮(適切・アサーティブ)

1・は、自分の気持ちを主張することは当然であり、要求を通すためなら相手を説き伏せても構わないというタイプ。

2・は、自分の気持ちを主張するのは恥ずかしいとか、大人げないと考えて、 相手に同調してしまうタイプ。

3・は、自分の感情を客観的な言葉で相手に理解しやすく伝え、かつ相手の反応をくみとりながら、お互いの心地よいコミュニケーションをとるタイプ。

僕は、3を理想としつつも、相手によって、1だったり2だったりしていると感じています。 ほとんどの人はそうなのではないでしょうか。

人間関係のこじれの原因の多くは、コミュニケーションに問題があるようです。 また、大勢の人のいる中で自己主張できないことや、長電話を断れないこと、他人の話に入っていけないこと、押し売りを断りきれないこと、近づきたいのに表面的でビジネスライクな関係からまったく進展しないことなど、コミュニケーションに問題を感じる場面は、誰でもあるでしょう。

そんなとき、相手を傷つけず、怒らせず、かつ我慢せずに自分の気持ちを正直に伝える。 大切だと思うんです。この本でヒントになること、たくさんありました。

自分の素直な感情を見つめる。
素直な感情を、いつわらずに、相手に伝える。
相手の気持ちを理解するように努める。
お互いがハッピーになれるようにする。

それができたら、もっと人生が楽に、楽しくなるのではないでしょうか。

これまで、思っていたことを言わずに飲みこんでいたことが多かったのですが、 どんな人にも、偽らずに気持ちを伝えていきたいと考えるようになりました。

この方の他の本も読みたいです。

独りじゃないよ
2009年9月14日 23:20
(さきほどの日記のつづき)

教室のあと、和歌山市内のとある墓所に立ち寄り、お参りをさせて頂いた。4年前に自ら命を絶った同い歳の僕の大切な友人のお墓だ。それまで殆どお会いしたことが無かったご両親とは、それから不思議なご縁で、今もこうしてつながっている。

彼女と出会ったのは、僕がUSJで仕事を始めた頃、そう、23、24歳くらいだったと思う。彼女は、USJのステージで音響を担当していた。テキ パキと仕事をし、愛想の良いお嬢さん、そんな印象だった。その後、Butter Dogsの仕事が忙しくなった時に、その場その場の会場の音響スタッフに音を任せるのではなく、僕たちの音楽をよく知っている音響さんを4人目のメンバー として迎えよう、と話し合い、彼女にお願いすることとなった。

和歌山から京都のタイグス(現ゲ-ルズ)アイリッシュ・パブにまで来てくれて、終電の時間があるにも関わらず、最後の曲まで音響を見てくれて、終電を逃してしまい漫画喫茶で泊まって帰る、そこまでしてくださっていた。本当に音楽が、Butter Dogsが好きだった。

そんな矢先の突然の訃報。信じられなかった。

ご家族の気持ちを慮り、少し時間が経った頃に、メンバー全員でご自宅にお参りに行った。ご自宅い行ったのは初めてだった。大きな仏壇に、大輪の花 が飾ってあった。仏壇にこんな若い女性の遺影があるのを見たのは、初めてだった。彼女は、居間を挟んだ向かいの部屋で、亡くなっていたそうだ。

「誰も、疎外されちゃいけない。」

mixiに書いてある、「彼女の好きな言葉」だった。

彼女は、mixiの中で、今も歳を取り続けている。

どうして、こちらから何か頼むばかりではなく、もっと話を聴いてあげられなかったんだろう。彼女の好きな言葉は、僕の胸にも刻まれ、僕ですら、自分を責めた。ご両親やごきょうだい、もっと近い友達の辛さたるや、想像も及ばない。

言葉をかけてあげたかった。

「独りじゃないよ。」 

これから、心の中では、いつもそう叫んでいよう。
コンサートでは、堂々と愛を伝えよう。

彼女は、僕の中で一生、ともに生き続ける。

お墓の傍らに咲いた綺麗な赤い花。

珍しい形なので眺めていると、お母様が、「けいとう」だと、教えてくれた。

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ご縁と、想いのこと
2009年9月13日 23:07
土曜日は、登山の予定が雨に流れて、自宅でお茶会。生徒さんを中心に、10人ほどの集まりとなった。ほとんどは女性で、お互いに始めて会う人どうしだったけれど、お茶とお菓子で、楽しい時間となった。

登 山をする予定だった須磨アルプスのふもとにお住いの、Tさんとお譲さんも来て下さった。一昨年の万笛博覧会でお会いして、その後ミクシィで日記を拝見する 程度のお付き合いだったけれど、来て下さり嬉しかった。思えば、須磨アルプスを知ったのも、この方の日記を読んでだった。写真を見て、行きたくなったの だ。T親子は、夕方に、大阪にコンサートを見に行くと、ひとあし先にお帰りになった。

17時でお開きの予定だったお茶会は、当然それで終わることなく、僕は後ろ髪ひかれつつ、ライブのため大阪谷町のSheep Dogさんへ出かけた。結局、女の子だけで盛り上がり、20時くらいに解散となったようだ。

Sheep Dogでの演奏を終え、梅田の地下鉄駅の改札を出ようとしていたら、ばったりT親子に再開!!まさか梅田で会うことになろうとは、本当にびっくりした。やはり、ご縁の働きを感じずにはいられない・・・。

最後に全員で連絡先を交換しあっていたけれど、このお茶会で出会った人達が、今後人生にどんな影響を与えあうのか。とても楽しみ。

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翌日お昼は、和歌山市のリゾペ英会話スクールに、和歌山で初のティン・ホイッスル講座のため出かけた。もともと、7月にコンサートのお仕事を頂いて初めて伺ったのがきっかけだった。

コンサートのお客様の中に、左手の肘から指先がない、先天的に手の不自由な女性、Nさんがいらっしゃった。Nさんはコンサートにとても感動して、ティン・ホイッスルを吹きたいと言って下さった。僕が、右手の3つの指だけでも倍音を使って曲が吹けることを教えてさしあげると、楽器を自分の手で演奏できることに、涙を流して喜んでくださったのだった。

それから、リゾペ英会話スクールの西田さんのご協力もあり、6人の生徒さんが集まって、晴れて開講となった。

教室では、Nさんだけ時間を早めて個人レッスンをするようお願いしたのだけど、僕が考えていた倍音を使って片手で吹く方法ではなく、右手の4本の指と、左肘で下2個の指孔を押さえることで、猛特訓なさっていたらしい。非常に理解が早く、どんどん曲を吹けるようになったので、本当に驚いてしまった。

そのあと、他の受講者5名と一緒にグループレッスンも受講なさったのだが、他の受講者のほうが指遣いに苦労されているくらいだった。情熱が、想いが、壁を破ったのだ。

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思い出になるまで
2009年9月10日 23:51
先日見た映画が、考えさせられるものだったので、書き留めます。

題名は「Eternal Sunshine of the Spotless Mind」。
「マスク」のジム・キャリーと「タイタニック」のケイト・ウィンストレットが主演。

ジム・キャリーは、いつも顔芸に笑わされる俳優だと思っていたので、しばらくするまで全然気づかなかった(^^;) こういうシリアスなキャラクターも演じるんですね。
演技上手いです。

ケイト・ウィンストレットは、これまたタイタニックの上流階級のお嬢様イメージを覆すような、野性児のような女性を演じています。

以下、Wikipediaよりあらすじを転載します。

もうすぐヴァレンタインという季節。平凡な男ジョエルは、恋人クレメンタイン(クレム)と喧嘩をしてしまう。何とか仲直りしようとプレゼントを買って彼女の働く本屋に行くが、クレムは彼を知らないかのように扱い、目の前でほかの男といちゃつく始末。

ジョエルはひどいショックを受ける。やがて彼はクレムが記憶を消す手術を受けたことを知る。苦しんだ末、ジョエルもクレムの記憶を消し去る手術を受けることを決心する。手術を受けながら、ジョエルはクレムとの思い出をさまよい、やがて無意識下で手術に抵抗し始める...... 。

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失恋の辛さを手術で取り去ろることが出来たら...というSF的な設定で、恋愛が終わったときの感情の揺れを描写した映画。

記憶から彼女を完全に消し去るために、ジョエルは自分の家から、恋人のものや、恋人に貰ったプレゼント、写真や日記、思い出の品々をかきあつめて全部捨てて、催眠の手術を受ける。

術中、事故によって、出会った時のことや、思いを伝えた時のこと、初めてのデートのこと、一緒に過ごした時間・・・などを思い出してしまい、ジム・キャリー演じるジョエルは「忘れたくない!」と催眠状態の世界で闘うことを決意する。

ジョエルの記憶の中を映像化した、時間が交錯する不思議な映像も面白い。そして、脇を固める登場人物たちの人間模様や、最後に待ち構える結末が、切ない。

ところで、僕の生徒さんで、何年も交際した人と別れた経験がある女性が、何人かいる。

最初は、喪失感や怒りの感情に襲われる。

それが、やがて深い悲しみに変わる。

ところが、何年も経つと悲しみは薄れ、遠い記憶となり、

最後には感謝と、幸福感に変わる。

そんなお話をしていた。


人は、回りの人によって形づくられる。
最初は親。そして友達や恋人。

恋をすると、人間的な成長はもちろん、人生観や、習慣や、感性や、食べ物や服や音楽の好み、ちょっとしたしぐさまで影響を受けて、変わってしまう。
失恋した時は「あの時間はなんだったんだろう」と、全てに否定的になってしまう。だって、自分の半分を失うようなものなのだから・・・

でも、素敵な思い出や、幸福だった時間、大切だった人からもらったプラスの影響は、確実に自分自身になり、その後の人生で生き続ける。いつかは、これで良かった、と思える日が来る。

この映画の主題ではないけれど、そんなことを思いました。

ちなみに、この映画の主題は、実は「縁」の不思議なのではないかと、思ってもいます。どうしてかは、ご覧になって考えてみてくださいね。

奇跡のお話
2009年9月 6日 13:37
最近、教室に通うようになった僕の生徒さんのお話です。

その方は、6年もの間、重い病気に苦しんできたのだそうです。病名は、子宮内膜症。相当悪化していて、子宮全摘出の可能性もありつつ治療をしていました。常におなかが痛くて、鎮痛剤を何十錠も飲まないと我慢できないこともありました。

病気により精神疾患も併発して、外に出歩けなくなったり、仕事を辞めてしまったり、とても苦労されていました。ところが、ここ何か月か、歌を歌ったり、気功を始めて、徐々に症状が良くなり、そしてある時、病院に行くと、嘘のように症状が改善していたのだそうです。こんなことは、病院で初めてだと、先生に驚かれるほどでした。

その時のエピソードがすごいんです。

あるとき駅のホームで電車を待っていたんですって。すると、一人の老婦人が近づいてきて、世間話を始めました。電車に乗って、椅子に腰かけながら話を続けていると、その老婦人が、自分はガンを患っていると、告白されたそうです。そして「あなたの病気なんて、私に比べたら大したことないわよ、すぐ治るわ」と言い、電車から降りて行ったのだそうです。

病気のことなど、こちらから一言も言っていないのに・・・。

病院で、完治したことを告げられるちょっと前のことでした。


別の生徒さんのお話。

僕のブログを読んで、再来年にアメリカで音楽活動をしたいと思っていることを知り寂しく思った時、偶然、忘れかけていたポストカードコレクションの中に深井和子さんの言葉を見つけたのだそうです。

「本当の出会いに別れはこない」

これもシンクロニシティかな、とメールを頂きました。引き寄せたんだと思いますよ!

人間の脳って、あることを思い描いていると、それを引き寄せることがあります。悩んでいるときにたまたま読んでいた本や映画にヒントを貰ったり。普段なら何も感じることはないような場面が、その時の心の状態にはぴったり来ることってあります。

最後に、僕の身近な人に起きた、ちょっとした変化を紹介します。

立花駅に、若いお兄さんとお母さんがしている花屋さんがあって、毎月2回、教室の玄関に飾るお花を買っています。とても豪華で綺麗な花束を、信じられないほど良心的な値段で譲ってくださるのです。

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去年は、万笛博覧会のコンサート会場に飾る花束を注文したところ、会場まで花束を運んで頂き、何度も花の入れ替えに来てくださいました。

先月、花束を取りに行ったところ、お店のカウンターにヴァイオリンケースが置いてありました。

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お兄さんが留守だったので、お母さんに聞いたところ、万笛博覧会以来、音楽の魅力にひかれて、かねてから演奏してみたかったヴァイオリンを習い始めたんだそうです。「今日はお稽古の日なので、お店が暇な時に練習をして、早めに仕事を切り上げて稽古に行くんですよ」と、お母さんも嬉しそう。

人と人が出会い、結びつき、人生にちょっとした変化を与えあうことの不思議、素晴らしさよ。

感性の人
2009年9月 2日 10:46
音楽はセンスが大切だと、つくづく思うこのころ・・・美意識、ものを見る目を養いたく、ルーブル美術館展を見に、京都は岡崎にある京都市美術館へ行ってきました。

秋の澄んだ空が綺麗です。

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これまで、興味はありつつも絵や美術を見る趣味はなかったので、美術館へ純粋に絵を鑑賞しに(!?)足を運ぶのは、初めてかも。

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今回の展示、バロック時代の油絵。オランダ、フランスの作品が中心となっています。

大学時代に、一般教養科目で西洋美術史の講義を取っていたことがありました。ルネサンスから現代までの美術を1年を通じて鑑賞する講義で、文学部だったにも関わらずこのような講義があって嬉く、他の講義はさぼりがちな僕も、休まずに通いました。

バロックは、「いびつな真珠」を表わす言葉で、均整の取れたルネサンス文化とは異なり、明暗、静動などのダイナミクス、不均衡さを良しとしました。授業の受け売りですが(^^)

また、バロック時代は修辞学が重要視されて、絵の中の小道具や人物、服装などが意味づけを持っていました。たとえば蛇は邪悪の象徴とか、「お約束」ですね。音楽にも、どの調がどんな感情を表すのか、どんな音形が何を表しているのか、などの細かい意味付けがありました。

絵画を見ていると、強烈な電気照明を当てたかのような光の当て方や、計算しつくされた遠近法、人物の生々しい表情がドラマチックに見るものに語りかけてきます。いずれもキャンバスに油彩で描かれているのですが、布や金属や毛髪などを描写する質感もまた
素晴らしく、画家の技量に感嘆するばかりです。

朝もやの港を描いた作品を前にして、隣にいたお客さんが、写真のようだね、と話しているのが聞こえました。写真に、この色合いが出せるだろうか。朝の、太陽が昇りきらないこの一瞬の色合いやムードが・・・。絵は、写真以上にリアルなのかもしれなと感じました。

有名なフェルメールの「レースを編む女」、レンブラントの自画像もありました。フェルメールは、あまりに小さいのでびっくり。絵画の大きさはどうやって決 まるのでしょう?依頼主が飾りたいスペースの都合で決めるの?画家が決めるの?額縁も豪華なものあり、質素なものあり、額縁の合わせ方は作品の印象に作用 するな、と思いました。

入場したのは午後3時頃でしたが、どうやら混雑のピークだったようで、一枚の絵に近づくのに辛抱強く待たねばなりませんでした。人ごみや並ぶのは好きでは ないので参りましたが、閉館前の5時頃になると、入口付近から空いて来て、もう一度ゆっくり鑑賞することができました。美術館に行くなら、開館か閉館時間 に合わせていくのがいいですよ。

オランダの画家は、鮮やかな色や人物の生き生きした描写が得意なのでしょうか。いいなと思う絵がたくさんありました。

楽器や音楽の絵もありました。ホイッスルを吹いているル・ナン兄弟「農民の家族」です。


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今まで、興味はあったものの絵や美術を見る趣味はなかったので、美術館へ純粋に絵を鑑賞しに(!?)足を運ぶのは、初めてだったかもしれません。

人間には、芸術家タイプと学者タイプがいます。

僕は典型的な学者タイプ。分析したり分類することが得意なので、絵を見るにも、これはいつ頃、どういう背景で描かれて、この人物は何を表わしていて・・・と、分析することが楽しいのですが、感受性という点では弱い。

どんなに「情報」として理解していても、心から感動することが少ない頭の構造なのです。音楽に対しても頭で考える傾向があったのですが、素直に楽しむように心がけてから、いちいち分析しなくなり、心から感動できるようになりました。

センスのいい人には、かないません。僕が時間をかけて分析して、これがいい!と頭で考えて作るよりも、速く、ずっとよいものを直感で作りだしてしまう。感性の人に、なりたいです。

今回も、あえて作品解説は読まずに、ただ、絵をじっと見つめて、感じるままに鑑賞し、好きかどうかを判断していきました。おかげで、気に行った構図や色彩の絵も何点も発見することができました。

美術館めぐり、ちょっとはまりそう。自分で絵を描いてみたいとも、思いました。

こころざし
2009年8月28日 14:09

昨日は、とあるコンサートのための合わせ。
共演は20代半ばの若き女性。



音大を卒業して、今後どのように活動していくか、考えている最中だそう。
すでに演奏活動を始めている友人もいるし、留学している先輩もいる。
気後れしたり焦る気持ち。そういう思い、僕にもあったなあ。



音大を出ても、すぐに演奏活動で生計が立てられるわけではない。



超一流のプレーヤーであれば、オーケストラやレコード会社と契約をして、
正統派クラシックの演奏家として自立する道もあるだろうけれど、
インディペンデントな生き方をするなら、自分で道を切り開かなくてはいけない。



今の時代、クラシック演奏だけで興業を成立させるのは、難しい。



演奏技術だけではなくて、自分のカラー、活動方法、良い共演者、個性的なレパートリー、
どうやって集客して、お金を得るのか、など、考えるべきことは、たくさんある。



こういうことは、音大卒であろうと、そうでなかろうと直面する悩み。



僕の周りの音楽家は、いつもこういうことを考えているし、悩んでいる。
僕だって、「やりたいこと」と「できること」のずれ、「やりたいこと」と「お金になること」
のずれに苦しむ一人。



20代前半の音楽家には、この言葉を送りたいです。



「大丈夫、やりながら見つけていけばいいんだよ」



他人を見て焦るよりも、「自分はこれがしたい!」という熱い思い。

他人を見て感動しても、それに安易に流されない、しっかりとした個性。

高すぎるくらいの志。



大事にしてほしいです。



僕は、人がどう思うかよりも、自分に恥ずかしくない演奏活動がしたい。
今は、正直なところ、できていません。
これまで環境を言い訳にしてきた部分は、あった。
言い訳なんて、探せばいくらだってある。



心というのは、庭のようなもので、綺麗に整えても、放っておけば雑草が伸び、
荒れ果ててしまう。日ごろ、手入れを怠ってはいけない。



6月、7月のツアーコンサートで燃焼してから、志を忘れてしまっていた気がする。
夢の実現に関係のないことに時間を費やして。



何がしたいのか?

どうなりたいのか?

そのために、どう動くのか?



がない人生なんて、目的地も、地図も、櫂もなく、海を漂流しているようなもの。



思い立った時が大切。

いつでも、志あらたに再スタート。

生徒さんが、Akeboshiというアーティストを教えてくれました。
ティン・ホイッスルが入っているのですが、センスいいです!!


愛のある音楽
2009年8月26日 09:55
僕の友人知人は音楽に携わっている人ばかり。 時々、日記をのぞいては、刺激を受けています。

同世代のリコーダー奏者、織田ちゃんのブログ。
http://blog.cangiante.jp/200908/article_14.html

音楽は「愛情のやりとり」、そうだよなー!としきりに納得しました。 舞台の上から共演者、お客様、そこにいない人にも 「みんな愛しています!」と言いたいくらいの演奏がしたい。 実際に言うのは恥ずかしいけど、演奏で伝えたい。

青森の横笛奏者「佐藤ぶんた。」さんのブログ。 長年精進した人ならではの、簡潔ながら生命力の強い言葉に感動しました。

http://blog.livedoor.jp/yokohuehukyuu/archives/51262726.html
http://blog.livedoor.jp/yokohuehukyuu/archives/51262727.html
http://blog.livedoor.jp/yokohuehukyuu/archives/51262728.html

「何を」伝えたいのか。共演者への「思いやり」。
これも、大きくとらえると「愛」だと解釈しました。

口で言うのは照れるけど、「愛」のある音楽がしたいと、思います。


音楽、特に生演奏は、「体」を越えて、心と心が結びつくことができます。

そこには、国籍も、言葉も、宗教も、政治信念も、性別も、年齢も、付き合っている相手や結婚している相手がいようが、何人であろうと、心が一体になることができる。

時空を越えて、人類の叡智や自然とつながることができる。 なんて、壮大なことを考えてしまっています。

なんかエッチ・・・いや、でも、本当のことです。

昔のことですが、音楽的には相性ピッタリだけど、人間的には尊敬できない人と 一緒に音楽をしていたことがあって。演奏は楽しいから何度やってもすごく楽しいし、 全く飽きないのですが、舞台を降りたら関係は最悪・・・ということがありました。

つきあいたての頃(?)はそんなことなかったのですが、人と人の関係は 常に変わりますからね。

音楽が良かっただけにお客様にも喜ばれて、仕事としてもそこそこうまく 行っていたのですが、相当なストレスでした。 きっと、相手にとっても、そうだったのでしょう。

いくらテクニックやセンスが良くても、愛情を感じない人とは演奏したくないなと、 その時から思っています。

愛のある音楽をしよう!

ブレイク・スルー!
2009年8月15日 00:31
今日はチェロのKanaさんと神戸三宮のエイヴァリーズで演奏。

2人だけでの演奏は、2回目かな?滅多にないけど、人数が少ない分、お互 いをよく聴き合えるし、フルートとチェロの組み合わせは安定感があって、いい。アイリッシュでは考えられない組み合わせだけど、スコットランドでは何百年 も前から演奏されてきた。スコティッシュに幅を広げてよかったなと思う時だ。

クラシックという共通項がある2人ならではのレパートリーで、スコッチ・バロックも入れたので、パブでやるにはどうかな~と不安もあったけど、ただひたすらダンス曲を弾くだけよりは、メリハリが出来て良かった。

パブのお客さんで、アイルランドをテーマにした小説を書いているという方に出会った。「語流路 ゴールウェイまで 」という。アイルランド西部の町ゴールウェイは僕も長く滞在していたので、思い入れがある・・・これも何かのご縁、出会いに感激。



著者の中川さんは、世界を放浪して、今は美容室を経営している。ご自分のことを、「旅の人」という。話は変わるけれどエイヴァリーズの大学生のア ルバイトの子は、スイス人の彼氏に会いにスイスに1か月旅行に出るのだそうだ。嬉しそうだった。そんな話を聞いていたらむしょうに外国に旅に出たくなるで はないか・・・。

開演前に、書店に立ち寄ったら『ブレイクの「瞬間」』という本が目にとまり、思わず買った。



第一線で活躍する芸能人、俳優、ミュージシャン、小説家などへのインタビュー集。まだほとんど読んでいないけれど、活動を始めた時から売 れた人なんてほとんどいない。みんな地道に努力を重ねて、30、40代になってブレイクする「きっかけ」があった。やっぱり、ブレイクする人は若いころか ら光っていたんだなと思うし、ブレイクする直前までは、地味でも実力をたくわえていた人が多い。そんな話がまとめて読めるなんて、嬉しい。

僕 も、地道といえばまあ本当に地道に活動をしているけれど、最近、徐々に人の輪が広がり始めた実感を持っている。ファンの方、演奏家仲間、生徒さん、友達、 お店の常連さん、お店の経営者。応援してくださる人がどんどん増えてきた。それぞれがつながったり、一緒になっていくのが楽しい。人のご縁のおかげ。僕を 支えてくれている皆さん、本当にありがとうございます。

僕のまわりでは、民族音楽や古楽というジャンルだからか、世間一般での認知度は低いけれど、実力があり、お弟子さんもたくさんいて、長年その世界で活動を続けてきた30~50代の演奏者が多い。
僕も40代、50代になって、そういった先輩のように、生きていくのだろうか?今の路線だと、確実にそうなる。・・・と思うと、なんだか違う生き方がしたくなってきた。

ポップスとはジャンルが違うだけで、同じくらいの才能と努力をもってしても、収入や世に出る可能性に大きな格差がある現実。どちらがニーズが多いかと言えば当然すぎるのだけど、その状況をなんとか変えたい。

心にあるイメージのひとつは、田舎に暮らしつつ、世界を旅しながら、何にも属さずに自由奔放に生きること。もうひとつは、世界的に知られた演奏家になって、世界を相手に演奏活動をすること。この二つは、僕の本当にしたいことだし、きっと、両立できる。

今は、自分の音楽活動に心から満足できる状況ではないけれど、変えていくことはできる。この状況を、打破するんだ。ブレイクするぞ。ブレイクする!ブレイク・スルー!(なんだ、このシャレが言いたかったのかって?そうです、笑)

ここに、誓います。

来年は、ソロ・アルバムを作ります。「ケルトの笛」をテーマにした、これまで世界に全くなかったスタイルの音楽を形にします。

そして、ティン・ホイッスル教本の続編となる、2冊目の本の出版をします。これには、世界各地のケルトのやさしい名曲を収録して、これまた世界に類を見ない切り口の本にします。

それを携えて、再来年はアメリカで音楽活動をします。

人生、とことん楽しまないと。そうでしょう?

感動をつくれますか?
2009年8月10日 23:33
8月に入ってから、とにかく本を読んでいる。書店に行き、興味のあるものを迷わず買って、電車の移動時間を使って読む。結構いいペース。新書や文庫なら2日もあれば十分。

今日、かなり刺激的だったのは、宮崎駿や北野武監督の映画音楽で知られる作曲家久石譲さんの『感動をつくれますか?』。



実は、ここ数日で僕の中で「久石譲」さんが気になりはじめていた。先月お知り合いになった楽器奏者の方が、学生時代に作曲をしていて久石譲さんのファンだったと聞いて。そして、先日、DVD化された映画「おくりびと」を見て。

この本は、去年に知人から良書として紹介されたのだけど、ずっと忘れていた。ふと思いだして、買って読んでみると、あっと言う間に引き込まれてしまった。

久石さんといえば大ヒットを飛ばす商業音楽の作曲家で、久石節というか、どの作品を聴いてもこの人のだとわかる作風だというイメージがあった。本著では、いかに論理的思考で作曲をしているか、その上で絶対妥協しない物づくりへのこだわり、といったものがビシビシ伝わる。映像への音楽の付け方も考え抜かれている。仕事っぷりが「超」一流なのだ。

だいたい、仕事のスケールが壮大すぎる。3管編成のオーケストラ曲を書き、レコーディングにロンドンや北京へ行く。30代前半で1400万円もの録音機材を買ったというエピソードも、大物っぷりが十分すぎるほど伝わる。

本著を読んでから「おくりびと」を改めて観ると、すべて計算しつくされていて、音楽がじつに巧妙なのだ。音楽に不必要に意識が散逸しないようにしつつも、音楽が映像と一体化してひとつの感情を想起させている仕掛けには本当にびっくりする。

本著を読んでいると、自分がいかに未熟かと思い知らされてしまう。久石さんが「ナウシカ」の曲を書いて映画音楽デビューを果たしたのが34歳で、現在58歳。

僕も一流の表現者になろう、あろうと、強く誓った!

アイリッシュ・パブでの演奏
2009年8月 4日 21:31
東京のアイリッシュ・ハープ奏者 坂上 真澄さんのブログ記事で、アイリッシュ・パブで演奏することについて考察を書かれていました。

僕もパブで良く演奏している身として、興味深く拝読しました。まずはこちらをご一読ください。

http://blog.goo.ne.jp/e-bunting/e/afac5159bccb6dbb86350c230e1af4bd

僕はこれまで学生時代を含めて、長い間パブでの演奏の仕事をさせていただきました。僕に限らず、日本のアイリッシュ演奏家はパブとはなんらかのつながりを持っているのではないでしょうか。

坂上さんご自身がパブでよく演奏されていたというのは意外でした。ハープは、静かな曲で繊細な表現を楽しむことが主になるように思いますから、パブのような喧噪で聴くのが勿体ないように感じるのです。普段は音楽以外のほのぼのするようなトピックが多い坂上さんがここまで書かれたのだから、よほど思うところがあったのでしょう。

僕自身は、これまで、演奏の日に結婚式の二次会が入ったとしても、キャンセルされたことはありませんでした。演奏をパーティに絡めてくださったり、ライブ開始前には二次会を終わらせて頂いたり、配慮をしてくださっています。※ただし、何百回とライブをしてきたので、僕の記憶はあてにはなりませんが・・・。サッカーの試合で演奏が遅れることはありました。

学生時代から演奏していたパブは「させてやってる」雰囲気を感じることがありました。お金は出しても積極的に応援はしない、という立場です。今ではそのようなお店では演奏していません。

自分がレギュラー出演しているお店は、全て、こちらの考えをご説明し、納得して頂いた上で、支払方法、原泉徴収、演奏者の飲食、契約期間、キャンセル、宣伝についてなど、こまかい取り決めをし、契約書を交わさせて頂くようにしています。双方にとってメリットになるように、こちらも宣伝をし、レパートリーにスタンダードを入れるなどしますし、お店にもCDの販売をお願いすることがあります。

お店はエンターテイメントやPRツールとして生演奏を「買って」下さっているのですから、それに最大限お答えするのが当然のことだと思うのです。

坂上さんのおっしゃるように、何もしなければ演奏家の立場は弱いままです。僕自身も「来月からは中止だ」と一方的に言われたこともありますし、長期旅行から戻ったら自分のポジションが無くなっていたこともありました。友人で、毎週演奏のはずが、冬の暇な時期は前日にならないと演奏があるのかどうかわからない、という状態にさせられている人も見ました。

はっきり言いますが、海外と比べて日本のアイルランド音楽プレーヤーは未熟です。自分も含めて、まだまだ底上げが必要だと感じています。それなのに大都市圏にはパブが林立し、演奏者にお金を払ってライブをするという習慣が定着してしまいました。こんな状況は、他の音楽では珍しいのです。ロックで、ポップで、ジャズで、お金を頂きながらレギュラーで演奏(箱バンといいます)できるのは、一握りの人たち。たいていは、ライブをするために自腹を切っているんですよ。

そういうジャンルでは箱バンがやりたい人は大勢いるはずですから、厳選されたプレーヤーがステージに立つことになります。しかし、市場が成長期にあるアイリッシュ・パブでの演奏は、ミュージシャンの売り手市場なんです。

その結果、アマチュアもプロも玉石混合になってしまっていました。ではアマチュアとプロとは何が違うのか?それは、演奏技術は言うに及ばず、お客様を楽しませようと努力しているかor自分が楽しみたいのか、お金を頂いていることへの責任感が強いかどうか、という違いだと感じます。ぶっちゃけ、アイリッシュパブでの演奏は、その日に集まったきまぐれなメンバーで、演目も決めず、お酒を飲みながら、お客様にお話するわけでもなく・・・というスタイルが多いのではないでしょうか?

そのやり方が本場アイルランド流であることに間違いはありません。しかし、それがアイルランドで成立するのは、演奏者のレベルが非常に高く、演奏者同志が何年も何十年も一緒にやってきた仲だからです。また、プレーヤー人口が多く、セッションに集客力があるからです。それに、お客様の方も、伝統音楽をずっと聴いて育った人ばかりなのか、ほとんど聴いたことがない人ばかりなのか、という違いはとても大きいです。パブのスタッフの、伝統音楽への理解度も全く異なります。

日本では、そういった演奏者の姿勢が、パブの方に「させてやっている」という感覚を与えてしまうのではないでしょうか。

僕自身も、3年前くらいまではプログラムもアレンジもなく、お酒を飲みながら淡々とダンス曲を弾いていましたが、あるとき「気づき」があり、セッションは辞めました。以降バンドを作り、プログラムを組み、アレンジをして、リハーサルをしてライブに臨んでいます。唯一セッションを続けているのは、フィドルの大森ヒデノリさんの時だけ。僕と大森さんのデュオは、セッションでも十分クオリティが保てることに自信があるためです。

どうか、アマチュアの方にパブで演奏をしないでほしい、と書いているのだとは受け取らないでください。パブと奏者との間に合意があるのですから、僕がどうこう言うことはありません。ただ、自分はプロとしてパブでの演奏には一線を引いておきたいと思うのです。

僕が、これから先40代になってもパブで演奏しているという確証はありません。それまでに、しっかりと後継者を育てなくては・・・という責任を感じています。

豊かになる誓い
2009年7月27日 00:13
最近読んだ本。

アメリカのお金カウンセラーの著書を、同じく日本のお金カウンセラーの本田建さんが翻訳した本です。



アマゾンのレビューを読んで頂くと、だいたいどんな本かがわかると思いますので詳細は書きませんが、身近な人にはぜひ読んで、豊になってほしいと思う本です。宗教とか精神世界は全然関係ないですし、難しい専門用語や勉強的な雰囲気もありませんので、だまされたと思って読んでみてください。たった数百円で、こんな素晴らしい知恵を授かれるなんて、ありがたい・・・。

読んだ中では、人は、エアコンの自動温度調節機能のように、自分が設定した金額でしか生活することができない、というフレーズにはピン!ときました。思えば、1回で100万円や1000万円を手にするような仕事をしたことは、まだありません。それが現実に起きることだと、自分で心から信じられないうちは、いつまでたっても数万円の仕事をしていくことになるのです。

また、中流の人は安定を求め、大金持ちになる人はリスクを取る、というフレーズにも納得。就職活動をしていたころは、ちょっとでも条件の良い会社を・・・と求人票を見比べたりしていたのですが、「会社から何をもらえるか」しか頭になかったんですね。ところが、今、自分の力で稼ぐようになって、「人に何を与えることができるか」を考えるようになりました。まったく逆の発想です。それだけでも、独立して良かったと思います。

今日、レッスンを受けにいった帝塚山は神戸の芦屋のような高級住宅街。お城のような豪邸がたくさんありました。今までは、豪邸を見ると心の中で、「あのような豪邸を持ったら、泥棒の心配もあるし、警備や掃除にお金もかかるし、大変そうだな・・・」と思う自分がいたのですが、今日は「あのような家に住めたら、どれほど快適で、楽しいだろう。よし、あのような豪邸に住むぞ。」と思ってみました。

第一、住んでいる人の雰囲気が全く違いました。お金の制約の中で、日々長時間仕事をし、お金のことを考えながら食べるものや着るものや住む場所を選ぶ人よりも、ずっと楽しそうだったのです。そんな世界に自分も行きたい。

今年になってやっと、お金をあまり気にせずに好きなものを食べたり、遊んだりできる程度には経済力を手に入れることができるようになりました。たぶん、一般の企業に勤める、30歳男性の年相応の経済力だと思います。

お金に少しでも余裕があるのは、本当に素晴らしいことです。快適に暮らしたり、誰かを助けたり喜ばせたりすることができます。それでも、まだお金の苦悩の中に生きています。 

究極の目標は、「好きな時に、好きな場所に行き、好きなことをして」暮らすというシンプルなもの。これを、この人生のうちに実現するには、どうしたらよいのか。考えて、行動していきます。

豊かになるぞ!!

人と人を結ぶもの
2009年7月23日 01:12
最近、「縁」とはどういうものなのか、とても気になる。
このテーマはもっと深く掘り下げていきたい。

本をたくさん読むのもよいし、実際の人間関係を深く観察するのもよいかもしれない。

教室の生徒さんは既婚女性が多いので、旦那様とはどういうきっかけで知り合いましたか、とか、いつ、「この人だ!」と思う瞬間がありましたか、と、あまり立ち入らない程度にお話を聞いてみた。すると、興味深く、素敵なお話をたくさん聞くことができた。

中でも「シンクロニシティ(偶然の重なり)」が働いている出会い方をした方は、現在もとても幸せそうであることが印象的だった。

たとえば、ある女性が高校1年生の時に、部活の先輩として指導に来た、ある男子大学生と出会った。女性が高校3年生になった時に、その彼は教育実習生として自分のクラスを担当した。その彼と、今度は遅刻しそうになって乗った電車で、偶然隣り合わせた・・・まるで少女漫画のような展開の方がいた。

ちなみに、そのとき電車から見た教会の付属幼稚園に、いまお子様2人を預けているそうです。 ごちそうさまです(笑)

こういうことは、実は不思議でもなんでもないのかもしれない。後から思うと、当たり前のように、一本の線になって見えるはずなのだ。

僕は「運命」は信じないけれど、「流れ」と「縁」はあると思う。

人生は選択の結果なので、いかようにもなる。けれど、「流れ」を読み、逆らわずに進んだほうが、うまくいく。「流れ」や「縁」を無視して、強引に事をすすめたり、人と結びつこうとすると、どこかでゆがみが生じ、いつか破綻する。

「流れ」や「縁」には敏感でありたい。

今日の教室で、脳障害の患者さんのリハビリテーションを職業にしている女性の生徒さんにそのお話をしていたところ、「私も患者さんとの関係には悩みます」。と、打ち明けてくださった。

脳障害によって他人との距離感がなくなってしまった患者さんとの接し方は本当に難しいらしい。近づきすぎず、離れすぎず、必要なときに必要なサポートをしてあげられるように心がけている、とのこと。

「患者さん達を愛していますから・・・」

そういって涙ぐまれたので、このような心優しい人に出会えて本当によかったと、僕も感激してしまった。そして、「僕も、生徒さん達を愛しています」と返事をした。

教室の生徒さんには女性が多いこともあり、看護士、介護士、保育士、カウンセラー、セラピストなど誰かを癒したり、お世話する職業の方が多い。皆さん本当に愛情深い方ばかりで、そのような仕事に触れたとき、僕は心から感動してしまう。

また、愛がある仕事をしている方は、ご本人も愛情溢れる、暖かい幸せそうな雰囲気をしているように思う。きっと大勢の人に愛されてきたのだろう。人間、愛された経験がなくては人を愛せないものだとつくづく思う。

僕の場合は音楽への愛と、生徒さんへの愛か・・・

また生徒さんから学ばせていただきました。

縁と出会いの不思議
2009年7月22日 17:15
中・高校の頃の僕は集団行動が苦手で、グループの中で孤立しやすい子供だった。人に合わせようとすると胃が痛くなってしまうのに、自己主張して自分のペースにもっていくこともできない。人間関係のストレスに弱くて、ストレスを感じると学校に行くのもいやになってしまうことがあった。

今でもマイペースを貫いているけれど、音楽という仕事のおかげで、人間関係のストレスが全くない生活を送れていることには、本当に感謝している。それでも年に1回、仕事関係やプライベートで、この人とは合わないな、と思う人に出くわすことがあるけれど、そういう人とは近付く前にこちらから立ち去ってしまうので、ぶつかることはない。フリーの強みだと思うが、相性の悪い相手とは良い仕事ができないのだから、相手を選ぶのは当然のことだ。

人間には、近さにおいては2種類ある。無関係か、近い関係。一般的には、敵対関係が最も遠くて、次に無関係、友人や家族などが最も近いと考えがちだけれど、敵対関係の人間は、無関係の人間よりもお互いのことを良く知っているという点においてずっと近しい。人生において、敵と友とは紙一重だ。どちらも、人生という舞台を華やかにするためには欠かせないものだろう・・・。

出会ってはいけない関係、というのは絶対にある。お互いによく知っているのに、出会うきっかけがない相手、または意識的に近づきたくない相手というのがある。そういう関係は、無理して出会わない方が良い。世の中にどうしてもソリの合わない人間というのはいるもので、どっちが悪いわけでもないが、一緒にいると不幸になる可能性がある。

また、一時は近かったのに意図的に遠ざけるべき関係もある。自分中心に考えると、近くなる関係(友人や敵対者や家族など)は、何かの役割をもって登場しているのではないか。その役割を終えたとはっきりわかったとき、次に向かうべき関係というのがある。「親離れ」が最もわかりやすいかもしれない。人間にとって、人づきあいには物理的な限界がある。終わってしまった関係を清算することで、もっと素晴らしい、新しい出会いを迎えることができるはず。

ツアーやコンサートでは、本当に多くの、新しい人との出会いがある。最近、直観的に、この人とは長い付き合いになりそう、と感じることがある。そういう出会いには敏感でいたいし、「維持」するだけの関係にこだわらず、どんどん新しい人間関係を築いていきたいと思う。

人間関係は密度だと思う。

どんなに離れていても、たった数時間で旧知の友人のように親密になる人もいれば、
何年近くにいても、知人の域を越えない人もいる。

それにしても、人と人が出会い、縁が結ばれていくことは本当に不思議・・・。

「かっこいい」より「かわいい」
2009年7月20日 22:53
熊野ツアーに出かける前、神戸の三宮に衣装を買いにでかけた。

これまで毎週毎日のようにライブがあったので、ステージ衣装と普段着を分けていなかったのだけど、今後は「ライブ」と「コンサート」を分けて考えることにした。ライブとは、お客様がいるところに行って演奏する気楽なもので、コンサートとは、自分を聴きにお金を払って来て下さるお客様に対して演奏するもの。お客様の立場が違うのだから、こちらの対応もわきまえるのは当然のこと。どうして、そんなことに気がつかなかったんだろう。

妻のすすめもあって、コンサート用の衣装は普段着には絶対にしないことにした。靴も、いいのを新調して、舞台の上だけで履くことにした。衣装を選ぶにあたって、漠然としたイメージはあったんだけど、好みのブランドがあるわけでもなく、あてもなく探したので、途方にくれてしまった。何軒も回って探し疲れたとき、見つかった!デザインも、素材も、仕立ても素晴らしい、ステージにぴったりの衣装が。しかもバーゲン中で、普段は何万円もするものが半額近くになっていた。

衣装は僕にとってのスーツだ。ここでケチっていては、いい仕事ができない。気に入ったのが何着もあったので、この際だから思い切って全部買った。大きな出費ではあったけれど、その分、いい仕事をしてお金を稼ぐのだ。たとえば、こんなの。

Image209.jpg

いい買い物が出来て、本当によかった。20代は、古着とかちょっといい普段着をステージ衣装にしていたけど、これからは違うんだ。一流になるためには、すでに一流のつもりで振る舞うのが近道だ。

ところで、男性服にはチョイスが少ないのが、とても不満。女性服はお洒落で素敵なのが多くて、色も形もよりどりみどりなのに、男性服はシャツやスラックスなど形はどれも一緒。色も、黒や紺や茶など、明度の低い地味なものばかり。思うに、男性は普段スーツや仕事着を着て仕事をしている人が多いから、おしゃれをする機会が少ないためではないかな。もっと男性が派手に、おしゃれになれば、楽しくなると思うな。

話が服からそれるけれど、男性用の化粧品も同じくチョイスが少ない。「男の○○」と書いた商品には、メントール入りのスーッとするものが多い。作り手の、「男ものにはメントールを入れておけばいいだろう」という安直さを感じてしまう。石鹸、洗顔フォーム、シャンプー、ヘアスプレーなどは、男女わけなくても良いと思う。

服を選ぶ時は、「似合っているか」「長く使えるか」と同じくらい、「自分のトレードマークになれるか」をポイントにしている。特に、男性は「かっこいい系」の服を選ぶ人が多い中で、僕はあえて原色や暖色系を使った「かわいい系」を選ぶ。今回買った普段履き用の靴は、ミッキーマウスの靴みたいと言われて、気に入っている。

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それから、これまではTシャツ一枚でいることはなくて、上に柄のシャツを羽織っていたんだけど、この夏はTシャツでいくことにした。Tシャツは全然詳しくないけど、2枚新調。かわいいTシャツがあればいいなあ。

小物で言えば、普段仕事に使うリュック。僕は「須田帆布」のリュックを長年愛用している。部品が壊れたら、それだけを注文するほどお気に入り。これもトレードマークかな・・・

おしゃれに詳しいセンスのいい人(男女問わず)に、買い物につきあってもらって、僕に似合うブランドを紹介してほしいです!マイルス・デイビスがそうであったように、ファッションにも自分スタイルを作っていきたいものです。

恋する遺伝子
2009年7月17日 23:58
スカイプ・レッスンの鹿児島の受講生の男性が、大学での研究テーマについて、面白いことを聞かせてくれました。とても興味深かったので、つい書いてしまいます。

彼は、マウス(ねずみ)を使って、マウスが好みの相手と繁殖をした場合と、そうでない相手と繁殖をした場合、子供にどのような影響を与えるかを研究しています。結果から言うと、好みではない相手との子供には、異常や奇形が発生する確率が高まるのだそうです。

その研究結果には理由を聞かずともなんとなく納得できますが、そもそもマウスに異性の好みがあることに驚きました。その点について深く聞いてみると、動物には病気に対する免疫があるのですが、免疫の内容は個体によって異なり、それが異性の好みについて影響を与えているのだそうです。

Aという病気に対する免疫を持った個体が同じ免疫を持った相手と繁殖すると、仮にBという病気が蔓延したときには免疫が働かず、子孫もろとも絶滅する危険性が高まってしまう。だから、Aという免疫を持った個体は、Bという免疫を持った個体に恋をするのだそうです。

では、相手の免疫の種類をどこで識別しているのか?
それは、匂い(体臭)なのだそうです。免疫に関する遺伝子は、体臭にも関係しているので、マウスはそれを嗅ぎ分け、繁殖に最適な相手を探し出すのです。

人間にもこのシステムは働いています。男女複数のグループを集めて、4日間連続で着続けたTシャツを集めて異性に嗅いでもらい、匂いの快・不快を調べたところ、心地よい匂いだと感じた相手の免疫の内容は、自分とは異なるものだったそうです。汗の匂いは誰のものであれ不快なのではと思っていたので、びっくりしました。

思春期の女の子が父親の体臭を嫌うのは、近親交配により種が絶滅する危険性を避ける遺伝子の働きによるものなのだそうです。なるほど!

さて、こうして理想の相手と出会ったマウスが恋に落ちるわけですが、恋とはどういう状態なのか?

恋愛状態の脳内にはフェニルサイラミン、ドーパミン、エンドルフィン、オキシトシンなどの「恋愛ホルモン」が分泌されるそうです。これらのホルモンは、相手に好感を持ったり、愛着を感じたり、触れ合いたいという欲求を発生させる働きがあります。これらの恋愛ホルモンが一定値を超えると、相手のことを考えてばかりいたり、ぼーっとして何も手につかなくなったり、相手が他の異性といることを気になったり...etc...といった状態になります。これらのホルモンは麻薬と同じ働きをするため、快感をもたらします。つまり、生殖可能な年齢になると、脳は快感を求めて、恋する相手を探し始めるのですね。

中でも「愛着」について働くホルモンはオキシトシンです。大半の動物はツガイ(夫婦)を形成しますが、種によってはオキシトシンの分泌量が少ないものもあり、結果的に特定の異性に対する愛着が薄くなり、縄張り内の異性と乱交配するそうです。こういうの、人間にもいますね・・・。

数多き異性の中から特定の相手を選びだし、恋に落ちる繁殖のシステムって、本当に不思議に思いますが、背景にこういう遺伝子の働きがあったことはとても興味深いです。もちろん、人間は本能だけで生きているわけではありませんので、これ以外にも計り知れない色々なものが絡み合い、「恋に落ちる」のですね。人間ってすごい。

尚、これを教えてくれた彼もまた、恋に悩む独身男性ですが、彼には「妥協しないでね!」とアドバイスをさしあげました。だって、理想の相手と健康な命を育んでほしいですからね。

向いていないから、やめなさい
2009年7月 7日 17:28
島田紳助さんと松本人志さんは、お笑い芸人の中でも特に尊敬している。ダウンタウンの笑いは、僕には高尚過ぎて(?)よく分からないけれど、松本さんのアーティスト性には感じるところがあるし、実業家でもある島田さんは、これまたかなり癖がある人物だけれど、非常に頭の切れる人だ。

この二人が共著した「哲学」という本は、なかなか面白いので、ぜひお勧めします。その中で、松本さんが、「向いていないから、芸人やめろと後輩に言った」ような記述があった気がする・・・手元に本がないのだけど。「好きでやっていて何が悪いのというが、才能がないのに好きでやっているのは悪い」とばっさり斬っている。ずいぶん自信家なんだな。きついこと言うなあ・・・と読んだ時は思ったものだ。

しかし、昨日、精神科医の加藤諦三さんの著書『「本当の自分」はどこにいる』を読み、まったく同じようなことが書いてあり、納得した。いわく、劣等感や間違った思い込みが原因となり、不得意な分野で職業選択をして、苦しんでしまうケースがあるという。

たとえば、本当は営業職よりは事務職が向いているのに、事務は女性のやることだから・・・と誤った思いこみを信じ、営業職についてストレスに耐えられなくなる男性、など。そういう人は、自分の間違った思い込みに気づいて正しい職業に就くことで症状が改善されることがあるそうだ。

僕も大学生のころ、レストランでアルバイトをして、接客がまるで出来ず、メニューも覚えられず、店長から「向いていないから、やめなさい」と首になってしまったことがあった。当時はずいぶんと傷ついたし、接客業に対するトラウマにもなったけど、言ってくれてよかったと思う。少なくとも、向いていないということを自覚でき、他の分野で勝負しようと思うきっかけにもなった。次についたアルバイトは料理店の厨房で、こちらは正解だった。接客よりも、料理の段取りを考えたり、食材と向き合っているほうが、僕にはずっと楽だったのだから(いずれにしても料理が好きだった。)

どんなに優れた人でも、全く違うフィールドでは、常人以下ということはよくあると思う。サッカー選手が事務職に転職しても、もとのサッカー選手のような働きはまず期待できないだろう。正しいところで勝負をする、これは本当に大事だ。楽だし、楽しいし、才能が花開き、チャンスにも恵まれる。逆に、間違ったところで勝負をしていると、苦痛だし、自信がなくなるし、チャンスも逃げて行ってしまう。今の仕事が全く楽しくない、という方は、それには向いていないという警鐘なのかも。

誰かに「向いていないから、やめなさい」というのは、よほど自分の眼に自信がないと言えないことだ。案外、相手に対して、体と心を壊さないように、時間を無駄にしないようにいたわる言葉なのかもしれない。しかし僕にはまだ、それを言う勇気がない。

モテるものとモテざるもの
2009年7月 3日 01:04
先日、北海道に帰っていた時、父親が取っておいてくれた中学校時代の文集やアルバムを地下室で見つけて、つい読みふけってしまった。中学生の自分は、つい最近のことのようでもあり、今とはまったくの別人のようでもある。

中学校のクラスメートの名前なんて、普段の生活で思い出すことはほとんどないのに、写真を見るとすらすらと名前が出てくるのは不思議だ。卒業以来、一度も同窓会なんて行っていないのに。

そうそう、好きだった子がいたんだよ。

結局、告白もしなかったし何の進展は無かったんだけどね。学校では無口な生徒でとおっていたから、通っていた進学塾にその子が来るようになって、塾に行くのが楽しくなっちゃったんだ。席が隣同士のこともあったっけ。なんだか、いい香りのする子だった。今でもその香りをちょっとだけ、思い出せそう。

高校に進学してから、別の学校に進学した中学時代に仲の良かった男友達と久しぶりに会って、その子と卒業後に付き合ったことがあるって聞かされた時は、かなりショックだった。その時には好きな気持ちなんて全然残ってなかったんだけどね。

勉強とゲームだけがとりえの地味な中学、高校時代を送っていたから、何人かの人に恋をしたけれど、結局誰とも両想いなどになったことはなかった。中学くらいから、今みたいに音楽をやっていればモテたりしたんだろうかと、想像したりもする。

今まで人生でモテたことなんてない。誰かに告白されたり、バレンタインの本命チョコを貰ったり、ラブレターをもらったりしたことは、ないんだ。堂々と言うものでもないですけどね。あ、小学校5年生の頃、親の友達か何かで、何時間か一緒に遊んだだけの1年生くらいの子に告白されたことがあった(笑)。小さい女の子の恋って、かわいらしいですね。でも、僕も幼すぎて何も感じなかった。もし、「言わなかったけど、あの頃、本当は好きだったんだよ!」という人がいたら、人助けだと思って(?)教えてほしいくらい。「なんで、その時言ってくれなかったんだよー!」と思うでしょうけどね。

僕に比べて兄はたいそうモテたので、たぶん中学生くらいから彼女が何人かいたようだし(同時じゃないはずだけど)、弟も高校で付き合っている子がいたようだ。僕はヒクツになっていたんだよな。ヒクツな男って、ますます女性を遠ざけそうだ。

大学に入ってからは、モテるとかどうとか、一切、気にすることが無くなった。音楽という自分の熱中できるもの、自分を表現できるものを見つけたから。人がどう思おうと、自分のやりたいことをやっているだけで幸せだった。それでも、ついにモテるということは無かったんだけどね。

「モテる」の意味は、多くの異性から好かれることだと思う。昔はモテればさぞ楽しいだろうと思っていた。何人もの人と変わるがわる付き合う人、つねに切れ目なく彼女がいる人。今はそうは思わない。興味の全く無い人に迫られても困るだろうし、まして誰かとお付き合いしている状態で他の異性にモテても、困ってしまうんじゃないかな。そんな状況になったことがないので、あくまでも予想だけどね。何人もの人と付き合ったと自慢している人も、結局はその誰とも、本当のご縁がなかったわけでしょう。

音楽をするようになってから、自分がはっきりしてきた。だから、好きな人の好みに合わせて自分を変えることが、ばからしく思った。少年よ、ヒクツになるな。モテない君にだって、好きになる相手を選ぶ権利はあるんだ。不特定多数にモテることよりも、自分が好きな1人だけに理解してもらえれば十分なんだよ。好きになってくれれば誰でもいいなんて、投げやりになるな。もっと、自分の人生を真剣に生きようよ。

昔から、僕が好きになる女の子は、ちょっとマニアックだった。同級生の男子にはまったく理解されないような、あまり噂にもならないような女の子が気になった。ほとんどは、女子のなかでも目立たない、大人しい、友達が少なそうな、でも強い芯とかセンスが光る人だった。思えば、その頃から僕の個性の芽があったんだなあ。今でも、いいなあ!と思う女性は、ちょっとマニアックだったりする。

当然だけど、結婚しても、異性をいいなあ!と思うのは自然なこと。僕の周りには魅力的な人が多すぎて、嬉しい限りです。未熟だった昔は心が乱れたけれど、今はその気持ちを客観的に冷静に受け止めることができるようになった。素直に、「素敵ですね!」と言えればいいのかもしれないけど、それは紛らわしいか。結婚相手って、やっぱり別格。僕を選んだお嫁さんも、かなりマニアックだと思う!

そんな人生を歩んできた僕だから、「モテる」ことにあまり興味がなくなってしまったけど、音楽家にとって、「モテる」ってすごく武器になるんじゃないかな。カリスマがあるということだし、熱心なファンが増えそうだ。勘違いしたファンの方も、増えそうだけど・・・。

僕は舞台で花がある演奏家のタイプだとは自分では思っていないけど、知れば知るほど興味を惹かれる、そんな、内側から滲み出るような魅力を持てるようになれれば。万人に愛されなくても良いから、ありのままの自分を気に入って下さるお客様に恵まれれば、それで大満足・大成功です。

次のステージへ
2009年6月23日 00:12
今日、はっきりと、人生の次のステージへ進むべき段階だと意識できました。

さ来年2011年春、アメリカのニューヨークで音楽活動をしよう。
ビザの期限ぎりぎりまで、自分の音楽を演奏しまくろう。

去年からもやもやと考えてきたことなのですが、実行するタイミング逃したまま、仕事に忙殺されていました。ふと、今日、思い出したように決心しました。

来年は台湾で演奏し、本州を北から南へまわる「宝石展示会」ツアーの仕事が半年間入っていて、すでに身動きが取れません。でも、忙しい今年、来年にお金を貯めて、渡米の準備をしよう。去年は解決策が思いつかなかった、旅行中の妻の仕事のことや、収入源も、方法が見つかりそうです。

マイルス・デイビスの自叙伝を読み、津軽でぶん太さんの笛を聴き、舞台上での出来事が重なって、一気に人生を加速させました。

満足に仕事も生活も出来ている今だからこそ、ここに安住してはいけない。もっともっと、自分は伸びるはずだ。ブレイクスルーへ導いてくれた、あらゆる状況に感謝。

(津軽紀行 途中ですみません)

"天才"に会ったことはありますか?
2009年6月19日 22:47
6/19から、青森にツアーに出ています。メールのお返事ができるのは
6/23以降となります、どうぞご了承ください。

尚、急なご用件は、お気軽にお電話ください。

心を制したものが・・・シリーズを書きました。

⑤道とは

④豊かさとは

**************************

毎日、目が回るほど忙しく、新しい刺激がどんどん入ってくるこの頃。

水曜日のライブ後に書店に立ち寄り、明日からの青森ツアーの友として選んだ本が 「マイルス・デイビス自伝」。

マイルス・デイビス(1926年 - 1991年)は伝説的ジャズ・トランペッターで、 常に新しい音楽を切り拓開いていった音楽史に残る偉人。 ・・・というくらいしか知識がなかった。 それに、普段殆どジャズを聴かないのだけど、いつも手に取らないような本を 選ぼう、と思いきって買ってみた。

これが、めちゃめちゃ面白い!

天才的で、自信家で、反骨精神溢れるマイルス。 意外にも医者の息子という裕福な家庭に育ち、高学歴で頭脳明晰だったマイルス。

はっきり言って僕の大嫌いなタイプだ。

絶対、友達になれそうにない。

でも、心底カッコいい。

まだ全部読んだわけではないけど、今日、さっそく第二巻を買ってしまった。

マイルスが音楽で頭角を現し始めた1930年代というと、アイリッシュ・ミュー ジックではジョン・マッケナ(フルート)やマイケル・コールマン(フィドル)など、 今や古典とされているようなプレーヤーが活躍していた時代。

そんな彼らと同時代のマイルスなのに、彼の音楽は「古典的」ではなく、いまでも 斬新であり続ける。時代を一歩も二歩も先を行っていたからだ。

彼のような天才の人生を垣間見ると、いかに自分が平凡かと本当に悔しくなってしまう。だから、こんな本、読みたくなかったんだ...。

マイルスが、その音楽を完成させるまでに弟子を取っただろうか?

マイルスが、自分の音楽を誰かと比べて自信をなくしたりしただろうか?

マイルスが、瑣末な日常の小事に、目的を見失ったりしただろうか?

マイルスだったら・・・

マイルスだったら・・・

天才と呼ばれる人たちに共通しているのは、恵まれた環境があったこと、 幼少期から教育を受けていたこと、行動力と好奇心が並外れていること等・・・ 天才の生涯を研究するのも、面白いかもしれない。

思えば、この人生で、天才と呼べるほどの人物に会った気がしない。 才能ある人ならたくさんいる。でも、マイルスほどの人は・・・

22世紀に名を残すほどの天才が現代日本にいるのであれば、 なんとしてでも会ってみたいものだ。

"天才"に会ったことはありますか?

心を制した人が、人生を制する。⑤道とは
2009年6月18日 00:09
日本の伝統文化には、「道」とつくものが多いです。
茶道、花道、書道、剣道、柔道、合気道・・・

日本人にとって道とは何なのか、一度、ちゃんと調べてみたいものです。

僕は、人生は素晴らしい修行の場だと思っています。
(何度も言いますが、宗教は関係ないですよ。)

さまざまな欲にまみれながら、失敗したり苦しんだりしながら、
自分の使命を見つけ、限られた人生で使命を全うする・・・。

試練や苦しみは、人生からの練習問題。
解けたら次のステージへ。
解けなかったらまた同じ問題をやりなおし。

解けないままタイムリミットを迎える人もいるし、早々と解いて、
他の人の試験を助ける人もいます。

僕にとって、あらゆる人は登山家ですね。

しかも、それぞれ違う山を登っている。
山の高さも人それぞれ全然違う。

登山口を見つけられる人もいるし、なかなか見つけられない人もいる。

登山中、天気が良くて山のてっぺんを見られる人もいるし、
雲や森のせいで見られない人もいる。

登山中、猛獣にあったり崖に転落してしまう人もいる。

滑落して、何度も登り直している人もいる。

それぞれ、自分の山を登るべく頑張っている。

そういう意味では、敵もライバルも存在しない。

きっと、どんな山であれ(剣道でも、会社経営でも、音楽でも、育児でも)
山を登りきった人どうしは、心が通じ合えるのだと思う。

それぞれ違う山だけど、山の頂上は、ひょっとしたら一つの場所なのかも
って思う。そんな山は現実にはありえないけど。

僕にとっては、それが音楽であり、笛だったんだけどね。

でも、最近、音楽や笛は方便で、ひょっとしたらもっと大きな目的の
ためにやっているだけなのかも、と感じてきました。

みんなの登山を応援しています!!


2時間かけてシリーズで書いちゃいましたけど、どうして僕が、今、
「心」に重大な関心を寄せているか、ちょっとは伝えることができましたでしょうか?

幸せも、豊かさも、自己実現も、ぜんぶ心のコントロール次第。

心をマスターした人が、人生をマスターするんです。

心、大切に磨いていきましょう。
自分が一生で一番長く付き合う相手は他ならぬ、自分なのですから・・・。

書きたいこと書いたので、この辺で。

心を制した人が、人生を制する。④豊かさとは
2009年6月17日 23:17
もう、なんだか書きだしたらとまらなくなっちゃいました。

豊かさについて。

これが、心と、どう関係があるのかって?
大いにあると思っています。

まず、経済的な豊かさ。
豊になるにはまず、収入を増やさなければなりませんよね。

なんとなく「お金が欲しいなあ~」、「億万長者になれたらなあ~」と思っている
人は多いと思います。

でも、その中で心の底から「私はお金持ちになるぞ」と思っている人って、
どのくらいいるでしょうか?「想う」と「念ずる」の差ですね。

そして、さらに、「お金持ちになるための計画」を立てて、日々それを実践している
人はどれだけいるでしょうか?

きっと、「億万長者になれたらなあ~」と思っている人の0・01%もないんじゃないかと
思います。

「求めよ、さらば与えられん。」と聖書にもあるではありませんか。
求めないものは、与えられないのですよ。

想いが変わると、行動が変わる。

行動が変わると、結果が変わる。

その積み重ねが、何十年経った時、どれほどの差を生むでしょう?


次に、収入があっても、湯水のように使っていては穴の空いたバケツです。

人間は、どんなに冷静に、理性的に経済活動をしているかのように見えても、
実際には感情でお金を使っているのです。

だって、「これ欲しいなあ」と思うから、買うんですよね。

じゃあ、なぜ「これ欲しいなあ」と思うのか。
それは、必要だから。

本当に?

本当に、それがなくては生きていけませんか?

本当に、その商品でなくてはいけないのですか?

本当に、今、それがなくてはいけないのですか?

どうです?ひるむでしょ(笑)

感情がお金を払わせているんですね。

本当には必要のないものに対して、さも必要であるかのように思わせている
のが、物欲の正体です。

つまり、お金を節約するには、我慢でもアイデアでもなく、
感情をコントロールすること。

物欲を身の丈以上に持たないことが大事です。
逆に、セールスするには、お客様の感情に訴えることが大切なんです。
どれだけ、必要性を感じて頂けるか。


もちろん、経済的な豊さなんてものは、心の豊かさに比べたら、取るに
足らないものです。しかし、衣食住足りて礼節足る。
人間も生き物である以上、体のゆとりなくして心のゆとりもありません。

必要以上に富が集まったら、回りの人を幸せにするために使いたいと、
僕は思います。

心を制した人が、人生を制する。 ②
2009年6月16日 18:07
苦しみはどこから生まれるのだろう?

僕は、これがずっと疑問でした。

お釈迦さまは、この世の苦しみは8つであると説きました。

* この世に生を受ける苦しみ
* 醜く老いる苦しみ
* 病の苦しみ
* 死の苦しみ

の四苦と、

* 愛別離苦(あいべつりく) - 愛するものと別れなければならない苦しみ
* 怨憎会苦(おんぞうえく) - 嫌いなものに出会う苦しみ
* 求不得苦(ぐふとくく) - 欲しいものが得られない苦しみ
* 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 生命としての基本的な苦しみ

これをあわせて四苦八苦といいます。

余談ですが、除夜の鐘を108回つくのは、
四苦(4×9=36)と八苦(8×9=72)を合わせて108ということで、
人間には煩悩が108あるから・・・とのことです。

ちょっとダジャレみたいですが。

あ、この辺でお断りしておきますが、僕は新興宗教に
はまっているわけではありませんので・・・
ウチは「いちおう」というくらい信心の無い無節操な仏教です(浄土宗だっけ?)。

僕の20代は苦しみの時代でした。
人間は、生きながらにして鬼になれるものですね・・・。

それは、自分の歪んだものの見方から生じる、間違った行動によって
引き起こされていた、いってしまえば「因果応報」でした。

すなわち、人より抜きんでたい、注目されたい、愛されたい、
お金持ちになりたい、楽しみたい・・・
という我欲ばかりだったのです。

心が貧困だったのですね。

その結果として、何度か生き地獄を味わいました・・・。
これが、「自業自得」ですね。

この苦しみの時期は20~25歳の頃だったと思います。
そこから大いに反省しました。

色々ありますが、簡潔に言うと「こだわらない生き方」になりました。

お金や物に執着しない、勝ち負けに執着しない、よこしまな欲を出さない、
人に執着しない、、、すべて、「必要以上に」が付きますが、笑。

そして、自分を苛めずに、過去も自分の性格も認めるようにしました。

イヤイヤやっていたことを辞めて、大好きなことだけをして、
自分が楽しむよりも先ず、人に喜んでもらうことを考えるようになりました。

そうすると、どんどん楽しく、ラクにもなってきました。

苦しみとは、やはり、自分で作り出すものなんですよ。

僕の場合は「欲深さ」ですね。
よこしまな欲を出す → 手に入らないから苦しい → 手に入れようともがき苦しむ

これを20代のうちに諌められただけでも、丸儲けの人生です。

人には、それぞれ苦しみを作りだす理由があります。
でも、それは自分次第でなんとかなるもんですよ、きっと。
だって苦しみは幻なんですから。

出来事に、良いも悪いもないんです。
それを悪いと決めつけているのは、自分自身です。

色即是空、空即是色。

(つづく)

心を制した人が、人生を制する。
2009年6月15日 14:45
この頃ぼんやりと考えていたことが、確信できるようになってきました。

具体的なお話(実話)を3つ挙げて説明します。

ひとつめ。僕の生徒さんのうちの一人で、デイケア施設の職員をしている、とても素敵な女性Rさんが語ってくれたことです。その方が勤める施設に通っていた90歳代のお婆さんのことでした。

かくしゃくとしたお婆さんで、60代70代でぼけてしまう人も多い中、背筋もしっかりとされていて、誰の世話にもなるまいと、一人暮らしをしていたそうです。

ところが、去年だったか足を骨折され、職員さんもご家族も、もう寝た切りになることを覚悟されていたそうです。しかし、意思の力できついリハビリを克服し、自らの力で歩けるまでに快復なさったそうです。

その方が、つい先日、亡くなりました。亡くなる前日にもデイケアに通い、Rさんと一緒に散歩をしたそうですが、その時は調子が悪い様子は全然な かったそうです。ご遺体を発見されたご家族によると、一人でお風呂に入ろうとし、服を脱いだところで、老衰により絶命したとのことでした。死ぬその時ま で、意思の力を貫いたのです。

ふたつめは、去年から健康のためにランニングを始めた方のお話。それまでは不健康で、まったく走れなかったのですが、トレーニングを積むに従い徐 々に走行距離が伸びていきました。最初は越えられないハードルのように思えた中距離マラソンが、今や日々のトレーニング・コースとなった。そんなある日、 まだトレーニングでも走ったことのない、フルマラソンに初挑戦されました。

半分の20キロ地点を超えたあたりで体力の限界を迎え、それでもゴールを目指して力を振り絞り、最後の10キロはもうゴールに到達しようという意 思だけで、足を前に出していた状態だったそうです。最下位でゴールをした瞬間、わけもわからず大泣きしたと言います。語りぶりから、その感動たるや、体験 したものにしか分からないだろうと思わされました。

みっつめ。Rさんの友人の、剣道家の方のことです。その方は、先日、7段という大変難しい昇段審査を合格されました。

7段ともなると、「肉体的な強さ」だけではなく、心の強さが大切だと仰いました。その方が戒めとしていたメモを見せて頂いたのですが、剣道とはま さに自分との闘いであることを感じました。正しい姿勢と気迫で臨み、敵に恐れて構えを崩さず、火の中に咲く蓮の花のごとく、どんな激しい打ち合いの最中で も心を穏やかに勝負に臨むこと。これは、音楽にも当てはまることは、言うまでもありません。

**********************

ひとつめの話への解釈。
人間は、自分が思ったとおりの世界に生きています。実際には効果のない薬を、患者に効果があると信じ込ませて投与したところ、症状が改善されるこ とがあります。プラセボ薬と言いますが、人間には思いを現実化する能力が生まれつき備わっているのです。この逆の現象は、「病も気から」というものです ね。このお婆さんは、相当意思の強い方で、肉体の限界を意思の力で乗り越えたのだと思います。

ふたつめの話への解釈。
この方も、意思の力によって、肉体の限界を乗り越えられたのでしょう。人は自分の限界を自分で決めてしまうのです。「できない」と思ったことは、 まずできない。「できる」と思ったことはできてしまう。前者タイプの人は、その後「案の定できなかった」と、自らの限界をどんどん狭めてしまい、後者タイ プの人は「やっぱりできた!」と自信をどんどん深めていきます。その積み重ねは大きな差になります。

みっつめの話への解釈。
恐れとは自分が作り出した幻です。恐れを感じる時、人は、敵のあるがままの姿を見ているではなく、自分の鏡映しを見ています。恐れによって、人 は、心を乱され、限界を作りだし、自分を見失います。トップレベルのアスリートや音楽家を見ていると、自分に勝つことこそが大切なのだとつくづく感じま す。では、敵との勝負とは何か。それは、2人の人間が、お互いに、自分に勝とうと闘っている状態なのです。自分に負けた者が、相手にも負けるのです。こう 思えば、敵はどこにも存在しません(無敵といいます)。対峙している相手は、自らの限界を高めてくれる先生なのです。

********************
第二話 不幸とは

日々生活していて、現実は心が生みだしているということを常に実感しています。

この世は苦しみだ、自分には悪い人ばかり集まり、悪いことばかり起こる、
お金は汚い、人間は欲深い、善も正義もない、人は誰しも孤独だ・・・
という世界観を悲しいかな持ってしまった人にはそのような人生が待ち受けています。
人はこのような思いを持って産まれるわけではないので、本人も可哀そうな存在です。

この世の苦しみには価値がある、自分を助けてくれる良い人が集まる、
出来事には良いも悪いもなくどう感じるかだ、お金は美しい、人間の行いは尊い・・・
という世界観を持っている人には、そのような人生が待っています。

先日、富山から舞鶴へ向かうワンマン電車に乗車中、降り過ごした乗客の男が、
運転中の車掌にものすごい剣幕ですごみ、「今からすぐに前の駅に電車を引き返せ」と
怒鳴っていました。もちろん、彼がボーっとしていたから降り過ごしたのです。
車掌はなんとか なだめすかして、次の駅に電車を停車させましたが、ワンマンカーの
ため、プラットホームで男と揉めて、しばらく電車が止まってしまいました。
車掌がいまにも殴られそうな勢いだったので、生まれて初めて110番をした日でした。

その男が、この先どんな人生を歩むか明らかです。
このような人物が、人に愛され感謝されながら、豊かに幸せに暮らしているとは思えません。
彼は、どんな因果かわかりませんが、この世で苦しみながら心の修業を
しているのだな・・・大変な苦労をされている方なのだな・・・と思います。

先ほどの文章で、「恐怖」は自分が作り出した幻だと書きましたが、「不幸」もまた、
自分が作り出すものだと思います。

世の中をプラスとマイナスだけでとらえていては、不都合なことがあると不幸だと
感じるようになります。恋人がいなければマイナス、子供がいなければマイナス、
生まれた子が障害児だったらマイナス・・・

先日も、盲目のピアニスト辻井伸行さんのおいたちを紹介したTV番組で、夫婦に子供を
授かったときには明るい感じのBGMが、その後、わが子が盲目だと分かったときには
暗黒のBGMが流れ、しかし盲目だが音楽の才能があると分かった時には、
再び明るいBGMになっていました。

盲目=不幸と決め付けては、盲目の方に失礼ではないでしょうか?

不幸か幸福かは、自分が決めることです。
不幸だと思うから、不幸になるのです。

都合が悪いことが起きたからといって、世の中で不幸だとされているからといって
不幸だと嘆く人は、自分の中に軸がない人です。

(つづく)  

明日から北陸に出かけます
2009年6月 6日 00:23
メールのお返事が水曜日までできませんが、どうぞご了承ください。

hatao 北陸ツアー in 富山

日時 2009年6月7日(日) 
開場 16:30 開演 17:00
共演者

赤澤 淳(ブズーキ)

場所 フェルヴェール本店

富山県高岡市福岡町下老子775-2
0766-64-8805
チャージ、予約 ケーキセット付き 2500円
(前売/当日の別なし)

40席限定ですので、お早めに!
090-1637-4457 (一守)
内容 アイルランド、スコットランドなどケルト文化の笛の魅力を伝えるコンサート。

日本でも親しまれている「アメイジング・グレイス」や「ダニー・ボーイ」、映画「タイタニック」のテーマなどの美しいメロディや
楽しいダンス曲を、多種多様な楽器でお楽しみ頂きます。

前半プログラムはやさしい解説を中心にしていますので、 馴染みのない方にも楽しんで頂ける内容です。どうぞご家族でお越し下さい。
同時開催レッスン 13:30から15:00までJR高岡駅前「ウィングウィング高岡」にてケルトの笛グループ・レッスンを開催します。ティン・ホイッスル、モダン・フルートでご参加ください。貸出楽器もあります。事前にお申し込みください。


本日は畑天紅(はてんこう)の京都フィールドでのコンサート、大盛況でした。お越し下さった方、ありがとうございました。天澤さんとは年に2回くらいしかご一緒できないのですが、クラシック仕込みの確かなテクニックと、アイリッシュ&スコティッシュのツボをついた演奏、いつも楽しんでいます。
我々はイングリッシュやスコティッシュも多数演奏します。今日はティン・ホイッスルの出番はナシで、ピッコロをたくさん演奏しました。イングリッシュには合う気がしています。

さて、MCでしゃべろうと思っていたネタ。

昨日、フルートのオールアイルランド・チャンピオンのStephen Dohertyさんの動画を見ていたんですよ。さすがにチャンピオンだけあって、アイリッシュの演奏にかけては僕より格段に上手いな~と素直に思いつつも、ギターの人も含めて流行の演奏スタイルで、二人とも誰かのまねみたいな演奏をしていて、そういう意味では面白みはないな、何がしたいんだろう?と、ちょっと、批判的な気持ちでもいました。

そしたら、妻が二階に上がってきて。「これ、あなたの演奏でしょ?そうでしょ?」と。

ちょっとショックなような、チャンピオンに勘違いされて嬉しいような(重ねて言いますが、アイリッシュの演奏にかけては僕より各段に上手いですから)複雑な気分でしたよ。チャンチャン。






この人、アコーディオンでもチャンピオンで、動画を見ることができます。フルートとアコーディオン両方やる人は少ないので、すごいですよね。

CD店の空洞化...気になるニュースです
2009年5月14日 09:27
金沢市の都心部から、CD店がほぼなくなってしまったというニュースです。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20090515-OYT8T00111.htm

思えば、僕も最近はCD店にはほとんど足を運ばなくなってしまいました。

民族音楽や古楽など、求めるジャンルがやや特殊なだけに、CD店に行っても欲しいと思えるものがない。やがて、インターネットのダウンロードサイトを知り、毎月購入するようになりました。アメリカのE-musicですが、定額2000円で50曲くらい落とせるのかな?CDにするとアルバム3、4枚になります。

CDを買っても、パソコンに取り込んで、パソコンで聴いています。そうであれば、ダウンロードしたほうが安いんですよね。部屋がCDで散らかるということもないし。
また、ネットでは試聴ができたり、トラック単位で購入できるのが便利です。
昔なら、好きなミュージシャンが入っていれば、数曲のゲスト参加でも買ったりしたものですが、ネットなら、あらかじめ、演奏者で検索してピンポイントでその曲を買ったりもします。

それこそ10年くらい前は、京都河原町界隈のJEUGIA、ヴァージンメガストアは面白い品揃えで、特にJEUGIAは民族音楽コーナーが充実しており、足しげく立ち寄ったものです。しかし、いつだったか、コーナーが縮小してしまい、視聴機も減りました。

こうして、ネットで買う人が増えると、CD店はますます売れ線のものしかおけなくなってしまい、そうなるとますますコアな音楽ファンを遠ざける要因に・・・悪循環ですね。

知人にもCD店の従業員が何人かいますが、今後はますます経営が難しいことでしょう。ジャケットを見ながら、どんな音楽が聴けるのかわくわくしながら選ぶ喜び、というのが、今となっては懐かしいです。

尼崎的スローライフ
2009年5月13日 22:43
尼崎は日本の高度成長期を牽引した工業地域として有名です。しかし、僕の暮らしている北部ともなると、田圃や畑がちらほら広がるのどかな風景です。

ここは富松一寸豆という空豆の産地で、5月の収穫期になると、近くの神社でお祭りが開かれます。
自宅の練習室からは、向いの畑が見えます。今朝は、その畑で小学生、幼稚園の学習の一環として、子供たちが豆を収穫していて、にぎやかでした。

Image125.jpg

自宅でも、洗濯物干しスペースを耕したささやかな畑で野菜を育てています。キュウリやゴーヤーの苗。トマト、ナス、ジャガイモ、ラディッシュ、ツルムラサキ、ミントも作っています。みんな可愛い!

Image114.jpg

去年の暮から植えたスナップえんどうが、収穫の時を迎え、毎朝たくさん取れます。

Image113.jpg

買ってきたソラマメ、グリーンピースとともに、調理します。豆は、乾燥したのもフレッシュなものも大好き。

Image121.jpg

春の豆スパゲッティを作りました。ペペロンチーノ風に、塩とニンニク、唐辛子で味付け。

Image122.jpg
おまけで、ウサギの「さくら」です。庭に自生するクローバーを食べてくれます。

Image124.jpg

これから夏にかけて、庭仕事が楽しみです。

尼崎的スローライフ
2009年5月13日 22:43
尼崎は日本の高度成長期を牽引した工業地域として有名です。しかし、僕の暮らしている北部ともなると、田圃や畑がちらほら広がるのどかな風景です。

ここは富松一寸豆という空豆の産地で、5月の収穫期になると、近くの神社でお祭りが開かれます。
自宅の練習室からは、向いの畑が見えます。今朝は、その畑で小学生、幼稚園の学習の一環として、子供たちが豆を収穫していて、にぎやかでした。

Image125.jpg

自宅でも、洗濯物干しスペースを耕したささやかな畑で野菜を育てています。キュウリやゴーヤーの苗。トマト、ナス、ジャガイモ、ラディッシュ、ツルムラサキ、ミントも作っています。みんな可愛い!

Image114.jpg

去年の暮から植えたスナップえんどうが、収穫の時を迎え、毎朝たくさん取れます。

Image113.jpg

買ってきたソラマメ、グリーンピースとともに、調理します。豆は、乾燥したのもフレッシュなものも大好き。

Image121.jpg

春の豆スパゲッティを作りました。ペペロンチーノ風に、塩とニンニク、唐辛子で味付け。

Image122.jpg
おまけで、ウサギの「さくら」です。庭に自生するクローバーを食べてくれます。

Image124.jpg

これから夏にかけて、庭仕事が楽しみです。

たまには人生を語る(3)
2009年4月25日 01:51
今日は数年来の友人の結婚式で京都へ。仏滅で大雨だったけど、キリスト教式だから 仏滅は関係ないし、大雨も、恵みの雨と思えば、今日は結婚式には最高の日だよ、ね。

彼はキリスト教徒だったのかあ。それとも新婦さんの方かな?

キリスト教徒の結婚式は始めて見たけれど、絵にかいたような良い結婚式でした。 宣誓、指輪交換、誓いのキス、フラワーシャワー・・・。

誕生、成長、結婚、死別など、人生のドラマの現場に立ち会うと、大きく心が 揺さぶられ、いろいろな感情や思考がわいてくる。

今日は一日、「幸せ」について考えていた。

結論から言うと、幸せって、「出来事」や「感情」ではなくて、「状態」なんだと思う。

そして、それはドキドキしたり、興奮したりする激しい感情が伴うものではなくて、 ほんわかと心穏やかな感情が、長続きする状態。

よく、「宝くじが当たったら、お金に困らなくて幸せになれる」とか、 「恋人が出来たら幸せになれる」、などいろいろな条件で、今よりも幸せになることを 夢見る考え方がある。「○○なら幸せに...」の○○の部分は、人の数ほどたくさんの 設定ができる。株式上場したら、阪神優勝したら、オーディションに受かったらetc...

そういうことが実現すると、ドキドキする。嬉しくなる。

嬉しい=幸せだと、人間は勘違いしてしまいがち。

でも、「嬉しい」感情は、割とすぐに終わってしまう。

ところで、幸せは数値化できると思う?
恋人が欲しいと言っていた人に、一気に2人の恋人が出来たら、幸せは2倍?
年収300万の人が、3億円にアップしたら幸せ数値も100倍になるのかな?

いや、2人も恋人が出来てしまったら、良心の呵責に苛まれ、いつばれるか ヒヤヒヤして、どちらかを失うのではないかと心安らかにはいられないでしょう。 しょっちゅう恋人が変わるような人も、まるでジェットコースターのような感情の 揺れに麻痺していしまっていて、心穏やかとは言えません。

3億円稼ぐ人も、いつ収入が途絶えて、今の生活水準を維持できなくなるかとか、 誰かにお金を盗まれはしないかとか、やはり心安らかにはいられないでしょう。

結局、何かの条件をクリアしたところで、人間を苦しめる「不安」や「恐怖」は 消えることはなく、むしろ失うものが大きくなる分だけ、増大していきます。 お金持ちにはお金持ちの、モテる人にはモテる人なりの悩みがあるのでしょう。

僕は、「幸せ」というのは出来事とか、条件づけ、激しい感情で客観的に計れるもの ではないと考えました。 もっと冷静で、主観的な感情、つまりは現状に満足しているかどうか。

満足なのであれば、その感情の状態を維持するために、何をすれば良いのか 考える。不満なのであれば、どうすれば満足できるようになるのかを考える。

「幸せになる!」という言葉は、つまり「現状不満」だと表明しているのと一緒です。 現状に満足している人は、「幸せであり続ける」ことを目指した方がよいかも しれませんね。

僕は、「嬉しい出来事」は人生のご褒美だと思ってありがたく受け取り、心穏やかで暖かい感情の状態を常に保てるようにしていきたいと思っています。それが僕にとっての幸せの形。

すみません、まとまりませんが、このテーマは追求したいことなので、また 何か考えたら書き留めます。

新しい夫婦が、末永く幸せでありますように!

朝鮮語と朝鮮人
2009年4月21日 23:28
最近、気になって調べたいことなのですが、日本で「朝鮮人」と言ったとたんに 空気が凍りつく、この感覚ってなんなのでしょう。

とても微妙な問題だし、話をするにはいろいろなことを気にしなければいけない 状況ではありましょうが、だれか、答えてもらえればうれしいです。

決して、無邪気な気持ちでこういう話題を取り上げているのではありません。この日記によって、誰も傷つくことがありませんように。

まず、朝鮮語について。

HNK教育テレビ/ラジオには、「ハングル語」講座があります。 ところが、ハングルとは書き言葉のことで、つまり「ひらがな講座」や「アルファベット講座」 のようなものなんだそうです。しかし番組内容は、ハングル文字の読み書きではなく、 会話が中心の講座なのです。

では、何の言葉なのか?
そこには、命名で揉めた経緯があったようです。

「韓国語」にしてしまうと、「北朝鮮」の方が無視されたことになる、「朝鮮語」にすると、 韓国や在日朝鮮人の方が怒る。「韓国・朝鮮語」にすると、どちらが先にくるかで揉める・・・ 「ハングル講座」は妥協案だったのだそうです。

http://kan-chan.stbbs.net/word/pc/chosen.html

僕は「韓国語」という言葉には、違和感があります。

国は違えど、民族も言葉もひとつ。韓国語が「北朝鮮」で通じないわけではありません。 「朝鮮語」とするのが正しいし、実際、大阪/東京外大などでは正しく「朝鮮語専攻」と なっています。

ドイツが東西に分離したからといって、東ドイツ語や西ドイツ語にならなかったように、朝鮮語は朝鮮語で、よいのではないでしょうか。

そして、「朝鮮人」について。

日本ではこの言葉は差別語としてタブー視されているように思います。 韓国、「北朝鮮」という国がある朝鮮半島に住む民族、それは、間違いなく「朝鮮人」です。 民族の名前を呼ぶだけで、タブー、差別語になってしまうなんて、そんな例を他には知りません。

タイ人、漢民族、ゲルマン人と言っただけで、差別になりますか? なりませんね。

これには、「戦時中、日本に強制連行された朝鮮人が、差別されたことに原因がある」 とする説がありますが、本当にそのような差別的な意味を込めて使っていたのでしょうか。

もしそうだったとしても、どんな言葉であれ、憎しみや蔑視をこめて使えば差別的に なります。「朝鮮人」という言葉のどこにも差別的な意味は見出せませんし、 言葉自体が悪いわけではまったくないと考えています。

国交がない北朝鮮のことは意識的にタブー視、または無視して、 「韓国語」「韓国人」はいいけど「朝鮮語」「朝鮮人」はダメ、ということはありませんか? そうであれば、そういう発想そのものが差別的なのではないでしょうか。

僕は、「北朝鮮」という言葉にも違和感を覚えています。 「朝鮮民主主義人民共和国」のどこにも「北」の文字はありません。

もし、朝鮮半島の北側、という意味で使うのであれば、韓国は「南朝鮮」と 言ってもいいはず。なのに、「南北朝鮮」と使う以外にあまり聞きません。

朝鮮= 朝光鮮麗、つまり朝の光の美しい地 という意味なのだそうです。 朝廷、南北朝、のように「朝」には王朝という意味もありますから、鮮やかな王朝と いうことにもなります。

僕は、朝鮮という言葉は美しいと思うし、使うことになんの問題もないと 考えているのですが、みなさんはどう思いましたか?

欲望なき世代
2009年4月19日 00:26
大阪では特に有名なタレント「やしきたかじん」が、日曜日の午後に読売テレビで
放送している「そこまで言って委員会」が面白くて、今年から見ています。

東京では放送していないのですが、その日のうちにyou tubeに動画が上がりますので、
関西以外の方にも見てほしいです。

殆どのテレビ局が左傾化している中で、中立的というか、保守的な立場です。
ネットでは「右翼番組」と書かれていることもありますが・・・。

特に、「南京大虐殺」について、田母神さんが出た「国防スペシャル」は必見。
いずれリンクを載せます。

いつも、メインテーマ2つと軽い話題を1つするのですが、今日の最後の話題は
「若者の○○離れ」。


確かに、お酒もたばこもしない、車も買わない、パチンコも競馬もしない、
海外旅行しない、結婚もしない、テレビも新聞も見ないという若者が
僕のまわりにも多いです。

あ、海外旅行と結婚以外は僕もそうだ ^^;

あまり努力しなくても、いちおう、満たされている。
それも理由のひとつでしょう。

仕事に生きがいを求めていたりするわけでもなく、アルバイトや
派遣社員をしながら、趣味や友達との世界に楽しみを見つけている。
こういう若者を「覇気がない」とか「夢がない」とか、責めるのはおかしい。

マスコミにしたら、車にもパチンコにもお金を使わなかったらスポンサーが
離れて苦しいのはわかる。

でも、こういう世の中を作ったのは、社会の実権を握っている50~60代の
世代に責任が大きい。

不景気になって、国際競争力が落ちたからと言って、自分たちの身は守りつつも、
いつでもクビにできるアルバイト、派遣労働を増やす。
その結果、低賃金労働の若者が増えて、結婚資金も貯められない・・・。
辛坊さんのコメントは、僕は正しいと思っていますよ。

だいたい、ローン組んで車を買ったり、お酒やたばこにお金をつぎ込んだり、
消費者金融に通ってまでパチンコしたりのどこがいいのでしょう。

それより、スキルアップのために自己投資するとか、事業資金をためるとかの
ほうがよっぽどいいです。海外旅行には行くべきだと僕も思います。

若者は、夢をもとう!
オジサンに惑わされずに、夢のためにお金を正しく使おう!

面白かった動画
2009年4月17日 18:16
三谷幸喜監督作品「マジック・アワー」を見ました。「笑いの大学」も大好きな作品でしたが、こちらも素晴らしかったです。喜劇王ですね、まさに。

舞台っぽい芝居もまた、良かったです。これ、このまま舞台でできますよね。

彼の作品では、西村雅彦小日向文世といった気の弱いオジサン俳優が、すごく良い雰囲気を出しているのも興味深いです。映画スターはカッコ良くなくていいんだ!と教えてくれたような気します。

さて、いろいろyou tubeでも面白い動画を見つけました。



↑ なんかいろいろ勘違いしたスーパーマリオ。




↑ "Where the hell is Matt ?" 「マットはどこにいやがる?」

世界中のネットで話題を呼んでいる動画。もともとはアメリカ人のマット君が、会社を辞めて世界各地を旅行し、各地ででたらめに踊っている様子を録画して、you tubeに掲載したものが、ものすごく反響を呼び、スポンサーがついて本作が作られました。

ただ、各地で踊っているだけなのに、あやうく涙を誘ってくれます。今回は14ヶ月かけて42カ国で撮影したそうです。日本の秋葉原でも踊っています!

地球って美しい、人類って素晴らしい・・・くだらないといえばくだらない動画ですが、甘美な気持ちになります。あなたはどう感じますか?

ストーリーはこちら。

音楽は手段
2009年4月14日 23:20
先週の土、日と、立て続けにコンサートを見てきました。どちらも、お互いによく知った演奏家のステージ。どんなコンサートかは改めて書くとして、とにかく、素晴らしかった。

最近考えていることは、プロの演奏家として、その舞台を見てお客様にどういう気持ちになって帰って頂きたいのか、どんなメッセージを伝えたいのかということ。

20代のころは、とにかく内容と演奏技術にだけ関心が向いた。見るのも演奏するのも、圧倒されるようなのが好きだった。そういう時期があっても、いいと思う。でも、そういう考え方が、ここ1年くらいで一気に変わった。

土曜日に見たコンサートでは、異国の文化や歴史、人々の暮らしへの憧れや敬意というメッセージを受け取った。日曜日に見たコンサートでは、日本音楽への挑戦、日本人としての感性を現代にどう生かすかというメッセージを受け取った。

演奏技術やレパートリーといったものは、それ自体が目的なのではない。ある曲がうまく演奏できるとか、すごいテクニックとか、そこで満足していては、それだけのコンサートになってしまう。もちろん、それは大事だし、プロである以上、一定の水準を保たねばならない。

しかし、もっと大きな意味でコンサートをとらえると、ステージでのトークや、お客様とのコミュニケーション、たち振る舞い、衣装、会場の雰囲気、といったトータルなものを通じて、お客様にどういう気持ちになってほしいか、なのだ。

そういう意味では、異なる音楽ジャンルどころか、文学、美術、演劇、映画、スポーツなどあらゆるものに通じる、ひとつの視点が得られる。まったく音楽に関係のないものから音楽的なインスピレーションを受ける、というのはこのことなのではないか。

僕は、今後、さまざまなジャンルの優れた作品に触れることで己を磨き、お客様に明確にメッセージが伝わるコンサートづくりをしていこうと強く思った。言葉ではあえて、書かない。

ぜひ、僕のソロ・コンサートにお越し頂き、感じとって頂ければ嬉しく思います。

憧れは連鎖する
2009年4月12日 23:57
昨日は、僕の学生時代からの恩師ともいうべき方のコンサートを聴きに行ってきました。僕は音大出ではなく、普通の大学を出たので、「音大生にとっての恩師」のような人、といえるのかもしれません。バリバリの現役プロです^^

僕は、大学1年生の頃、その方の演奏に触れて、まさに「背中に雷が走るような」ショックを受けてしまったんです。人生を変える出会いのひとつでし た。そして、その方に強烈にあこがれて、思想的にも演奏スタイル的にも影響を受けて、将来はその方のようなプロ奏者になりたいと強く願いました。

まさに、憧れの存在だったのです。その方のコンサートは丹波の田舎であろうと聴きに行き、打上げにも図々しく参加し、終電に間に合わず、車で京都まで送ってもらう、という迷惑なファンでもありました。

しかし、大学を出て本格的に演奏活動を開始したころ、その方のコピー・ロボットのような自分にほとほと嫌気が差しました。しかも、できの悪いコピーなのだから!その頃から、オリジナリティってなんだろう?自分は何がやりたいんだろう?と悩むようになりました。

そして、しばらくその方のコンサートを聴きに行くのはやめ、忙しく演奏活動をしていると、自然と距離ができていきました。

先日、その方から、久しぶりにソロ・コンサートを開くというので、聴きに行きました。

10年以上前と変わらないすばらしい演奏で、昔好きだった曲もたくさんあり、心から楽しむことができました。それは、純粋に音楽やパフォーマンス を楽しもうという心の余裕が僕にできた証でした。誰のものでもない独特の演奏や音色で、世界の一流演奏家を聴いた今でも尚、すばらしいと思いました。やっ ぱり10代の僕の目に間違いはなかった!と嬉しくなりました。

その方は、12歳の時に、外国の演奏家や音楽に憧れて楽器を始めたのだそうです。

そんな僕は、初めてその方に出会った時の、その方と同じ年になりました。

最近、僕に「hataoさんは私の憧れ、夢です!」とメールをくださった方がいました。メールを下さった方とはまだお会いしたことがないけれど、こういう気持ちを素直に伝えてくださったのは初めてで、嬉しくなりました。

12歳の時に抱いた憧れの気持ちは、僕がしっかりと受け取りました。

そして、僕の憧れの気持ちが、僕をここまで連れてきてくれた。

今、僕の憧れの気持ちを受け止めてくれる人がいる。

じんわりと、心が温かい。

食品の安全問題について
2009年4月10日 23:58
三笠フーズから事故米を混入されたとして、美少年酒造の社長が告発していました。
ところが、美少年酒造の社長は、三笠フーズから裏金をもらって、故意に事故米を納入させていたことが判明。社長は、三笠フーズが摘発された時は被害者づらしておきながら、自分に捜査が及ぶとなるとあっさりと認めたようです。騙されたのは消費者。こんなひどい話はないですよ。

いつもブログに書いていますが、お客様を舐めた会社やお店は潰れます。これは、商売をする人は肝に銘じておかねばなりません。僕はいつも戒めています。

先日、ファストフード・ネイションという映画を見ました。

以下、WIKIPEDIAより映画の紹介文を引用。

アナハイムに本社を持つハンバーガー・チェーン「ミッキーズ」。マーケティング担当のドンは社長に呼ばれ、大学が行った分析の結果、ハンバーガーのパテに大量の大腸菌 が含まれていたと打ち明けられる。ドンは調査を始めるが、そこには工場の衛生問題、店舗における店員の意識、さらには移民問題、環境問題など、様々な要因 が渦巻いていた。

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ノンフィクションの原作に基づいたフィクション。貧しいメキシコ難民が、アメリカで、ハンバーガーチェーンに食肉を卸している屠畜場で働くことになり、経験もないのに解体作業に従事、日常的に糞が食肉に混入する原因となる。ハンバーガー会社では、悪質な肉を人口香料と調味料で味を整え加工し、それを売る店舗では人件費の安い高校生のアルバイトが、衛生的に問題のある調理を行っている・・・。救いようのない話。

たくさんのハンバーガー会社があるが、どこも似たようなものなのではないか。マクドナルドの100円ハンバーガーで、どうして利益が出るのか不思議ではないですか?僕は1年に一回食べるか食べないかだけれど、もうとてハンバーガーは食べる気がしませんl。安くて、安全な食べ物なんて、消費者のわがままなんじゃないでしょうか。

食品の安全問題に興味のある方は、ぜひ見てみてください。

たまには人生を語る
2009年4月 7日 23:51
昨日、ご縁があってある方とお会いした。初対面にも関わらず、お互いにそんな気がせず、寡黙な?僕にしては珍しくあれこれを語り、数時間はあっという間に立ってしまった。
たくさんの刺激を頂き、よい時間だった。本当は一緒に練習をするつもりだったんだけど・・・。

音楽家にも本当にいろいろなタイプがいるが、自分は20代のうちから自分の使命とポジションを見つけることが出来て、本当に幸せだと、つくづく思った。

20代前半は、プロフェッショナルらしさ、才能、オリジナリティ、カリスマ性など、自分に足りないと思って本当にいろいろと悩まされた。他人と比べて嫉妬したり、誰かに仕事が来ては焦ったりした。そう、僕でもそんなことを思っていたんですよ。

あるとき、自分のことを深く掘り下げ考えた時、自分は自分以外の何者かになろうとしていたことに気がついた。そんなことが ばかばかしくなっちゃって、それから、楽になった。自分は自分らしく。好きなことや楽しいことを思う存分やっていたら、物事が好転し始めた。

オリジナリティって、苦しんでひねりだして、考えて、努力して作るものじゃない。それではいびつなものになってしまう。オリジナリティのことは忘れて、夢中で好きなことをやっていたら、オリジナルな存在になっていた、そういうものなんじゃないかな。

人間関係だってそう。昔は壊れてしまった人間関係をひきずって、後悔したり、修復しようとしたり、無理に合わせようとしていた。どこかで、誰からも好かれていたいって思っていたんだよね。過去と他人は変えられないって言うでしょう。そこにこだわり続けていても仕方ないから、今の自分にとって大切な人を大切にする。新しい出会いを大切にする。まだ、ちゃんと出来てないことも多いけど...すくなくともそう思うようになってから、楽しくなってきた。

過去の状況や自分や他人を受け入れるっていうのかな、自分と和解するとも言えるかもしれない。思い出すとネガティブな気持ちになるような出来事や人や自分の欠点も、感謝する。過去の失敗も、「気づき」のために必要だったんだと思う。そういう考え方が本当かどうかわからないけれど、少なくともそう思うことで、救われた。今でも苦手な人はいますよ、でも、嫌いな人や憎んでいる人は、いません。これは本当に、そう。

今は、圧倒的なアーティスト性やテクニック、カリスマのある音楽家が現れても、素直に尊敬し、応援することができる。それは、自分のことが前よりはわかってきたから。そして、自分の強みを生かしつつ、足りない部分は補って、なんとかやっているから。今は、大好きな人たちと大好きな音楽を出来ているんだから、本当に幸せだと思います。

そんな僕の理想は、感謝とか愛情とか希望とか、ポジティブな感情で満たされた世界に生きること・・・青臭い、ばかみたいと思う人はそれでもいいですよ。

なんだかまとまりがない内容になっちゃったけど、人との出会いって、こうやって自分の考えを再確認する機会になるので、素敵ですね。

新聞読んでます?
2009年3月31日 17:04
今日のテーマはこれ。「マスコミは斜陽産業?」

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0903/27/news004.html

最近、新聞やテレビが色々と危機的な状況にあるというニュースをしきりに見ます。うちは何年間も新聞は取っておらず、情報はネットとテレビが主です。新聞は取っても、読む暇がなく、ヘッドラインと番組表だけ読むならネットで間に合います。それに、大量にごみが出て、新聞の山がうず高く積まれるのは見るのもいやでした。

新聞では、いくつかの有力紙の夕刊が廃止に追い込まれ、今後さらに廃止になる新聞が多そうです。
http://moneyzine.jp/article/detail/131010

実際の購読部数よりも多く発行して、販売所に買わせる「押し紙」問題も表面化しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090329-00000000-sh_mon-bus_all

朝日新聞が100億円以上の赤字を出しました。
http://news.livedoor.com/article/detail/3910248/

新聞について思うことは、思想の傾いた編集方針で、事実を歪曲して伝えたり、思想の押し売りをすることが問題です。「聖教新聞」や「赤旗」など、特定の団体が発行している新聞ならそれでもいいでしょうが、一般紙でそれをやっては、読む人を限っているようなものです。少なくとも、僕は中立な立場の情報をまずは手に入れたいと思います。

最近、長年続いてきた老舗雑誌が廃刊になるケースも出ています。「新聞離れ」だけではなさそうです。

テレビもまた、スポンサーが減ってきているようです。「おもいっきりテレビ」のみのもんた氏の降板は、予算が減らされたためだと言ます。今後、大物タレントの番組がどんどん減らされて、局アナを使う番組が増えていくことでしょう。また、ドラマやバラエティよりも報道番組やドキュメンタリーが増えていくのではないでしょうか。

その時間にテレビの前にいなければならない(録画はともかく)テレビの在り方は、もうネットに置いて行かれていると思います。トレンディ・ドラマなど、今もちゃんと視聴率をとれているのでしょうか?

新聞やテレビのネットへの認識の甘さが指摘されています。
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMIT33000024032009&landing=Next

うちのVISTAのデスクトップには、リアルタイムで常時ニュースが配信されてきます。新聞が診察されて手元に届くよりもずっと早く。これを配信しているのが新聞社なので、皮肉な話です。今のメディアのありかた、ビジネスモデルは、数年と経たないうちに大きく転換するものと思います。その時に、どこが残り、どこが消えていくのでしょうか?

みなさんは、これまでのように、新聞を読み、ラジオを聴き、雑誌を買い、テレビを見ていますか?

↓ VISTAの画面

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彼岸明け、祖先に会う。
2009年3月24日 00:30
昨日書いたワンちゃん、無事飼い主さんと会うことができたようです!よかったですね。

---------------------

彼岸の明けである昨日、お墓参りに行ってきました。我が家は父母とも浄土真宗。「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることで、来世は浄土に行けるという教義です。

僕の実家には仏壇もなく、両親ともぜんぜん熱心な仏教徒ではありません。葬式やお墓参りを除いては、ほとんど生活の中に宗教が入る余地はなく、む しろ人並みにクリスマスを楽しみ、初詣にもいく、いいかげんなミックス宗教です。でも日本人の半分以上は、宗教的にこの程度の信仰心なのではないでしょう か。

尼崎には母方の祖父母のお墓があります。

20090323.jpeg

祖父は香川だったか徳島だったかの小島の生まれ、祖母は鹿児島の生まれで、ふたりとも尼崎には縁も親戚もなかったようです。いまは、祖父母の2人の子供(つまり母と、叔父)は尼崎を離れ、なぜか孫である僕と妻が、唯一尼崎にいる親族ということになります。

祖父(香川?)=祖母(鹿児島)
         |
        --・--
叔父(福岡) 母(札幌在住)--父(北海道出身)
                     |
                     僕(尼崎在住)

つまりこのようになります。

叔父も福岡からときどきお墓参りに来ているようですが、これからは僕がお彼岸やお盆のタイミングに気をつけながら、お墓参りをしていかねば・・・ と思いました。なにせ、今回は妻が「お墓参りにいかなきゃ」と指摘してくれて、いくことになったのですから。そんな妻の家庭は神道。もちろん、お彼岸もお 盆もなく、お経や焼香もありません。神道スタイルの結婚式があることはよく知られていますが、神道のお葬式や追悼(仏教で言う法事)のしかたって、知って いますか?僕は妻と結婚するまでは、神道にそういうものがあるとはまったく知りませんでした。

自分の宗教は何かと言われると仏教なわけですが、自分の宗派のことも、神道のことも、この年になって殆ど何も知らないっていうのは、ちょっと恥ず かしい。本でも読んでみようかと思っています。僕の年頃で、すでに子供が居る人は、宗教のことをどの程度子供に教えているんでしょうね。気になります。

そういえば、大学時代の社会人バンドの共演者は、とある新興宗教団体の熱心な信者でしたが、日本に潜在的な信者が2000万人いるとも言われてい るその宗教は、彼らを除いては信者だと表明している人に出会ったことがありません。やはり、日本はおおっぴらに政治や宗教の話はしづらい空気っていうのは あるんでしょうね。

先ほど書いた某宗教は、勧誘に熱心なことで有名ですが、その宗教も含めて、僕には友人・知人からの勧誘があったことはないですね~。僕がそういうものを寄せ付けないオーラを出しているっていうのもあるでしょう。

僕が、昨日「善行がどうの」と書いたので、何か宗教にはまったのかと思った方もいるかも知れませんが、僕は宗教や団体ではなくて、道徳など慣習的な倫理観を大事にしていきたいと思っています。いまは、禅宗、孔子などもちょっと興味があります。

聖パトリックによせて
2009年3月17日 16:11
聖パトリックの日、おめでとうございます!

聖パトリックの祝日は、アイルランドにキリスト教を広めた聖人聖パトリックの命日。3月17日。カトリックにおける祭日であり、アイルランド共和国の祝祭日。(Wikipediaより)

緑のものを身につけたり、仮装した人がメインストリートを練り歩くパレードの習慣は、アメリカで始まったようです。日本では、INJ(アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン)が主体となり、主要大都市で10年ほど前からパレードをする習慣が広まったそうです。 INJは、「日本に在住し、働いているもしくは留学しているアイルランド人、彼らの日本人の友人達やアイルランドに親しみを持つ日本人で構成される非営利団体」です(ホームページより)。

http://www.inj.or.jp/

Wikipediaに載っていたこの写真は、シカゴとのことです。ちょっとやりすぎだと思いますが、住民からの抗議とか、なかったんでしょうか。中国ならまだしも、日本では考えられませんね。僕はもう、絶対反対です。

僕は、これまで演奏などで各地の催しに毎年のように参加していますが、パレードは参加したことがありません。

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僕は、これまで演奏などで各地の催しに毎年のように参加していますが、パレードは参加したことがありません。

ちょっと立ち止まって考えると、これはアイルランドのカトリック信者の宗教行事なんですよね。とはいっても、クリスマスやバレンタイン・デー、ハロウィーン、イースターも日本では定着していますから、なんら不思議ではないことです。あの芥川龍之介も、クリスマスをテーマにした小説を書いています。日本では、クリスマスは1900年から祝われるようになったそうです。

ちょっと斜めから見ると、日本に仏教が伝来した日や、花祭り(釈迦の誕生を祝う行事である。毎年4月8日)、お彼岸や、釈迦が入滅した旧暦2月15日にパレードをしたりはしません。まして、天皇誕生日や、昭和天皇崩御の日にパレードをしたら、絶対反対する人や国が出てきますよね。.

日本人の宗教観はもっと静かで、内面的なものである、ということもあるでしょうね。思えば、日本には生誕何周年をお祝する習慣はあっても、没後何年をお祝いすることってなかったのではないでしょうか?根拠はありませんが、そんな気がします。

yahoo 知恵袋を見ていて、こんな回答がありました。

「日本人の気質を考察してみると"無関心"という言葉がぴったりであると思います。宗教に無関心であり、政治に無関心であり、他人に無関心であり大切なのは自分と、仕事と、家庭だけ。」
確かに、そのとおりです。

まして、日本のことでさえお祝いしないのに、日本にゆかりのある外国の記念日にパレードをしたら、世の人はどう感じるでしょう。アメリカの独立記念日、フィリピンやブラジルの独立記念日、
北朝鮮の金日正の誕生日、朝鮮戦争終戦記念日、中国共産党の建国記念日などに表参道を歩けるでしょうか。絶対、反対する人がいることでしょう。

そう思うと、日本よりはるか遠く、歴史的にも関係の浅かったアイルランドだからこそ、パレードをしても何の問題にもならないように思えます。シエ ラレオネの宗教行事パレードや、アンティグア・バーブーダの宗教行事パレードをしていても、僕は何のイメージも湧きませんから・・・。

外国のお祭りが日本に入る時、必ず何らかの商業主義や政治的意図がからんでいるものです。それ自体をどうこういうわけではありませんし、自分自身 も積極的にこういう機会を利用しているのですが、外国を愛することと同じくらい、いや、それ以上に日本を愛していきたいと思っています。

こんなことを書いて、盛り上がっている気分に水を差すと、嫌われてしまうので、この程度に。
とにかく、おめでとうございます!!!

台湾の歴史
2009年3月 2日 22:24
タウさんに出会ってから、台湾の存在が僕の中で大きくなってきました。台湾は、国なのでしょうか?残念ながら、日本は国だとは認めていません。

みなさん、台湾が50年にもわたって日本だったことを、知っていましたか?恥ずかしいことに、僕は初めて知りました。台湾が日本になった年に生まれた台湾人は、50歳になるまで日本人として人生を生きてきたのです。それが、どんな意味を持つか、想像できますか?

司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾編」を読んでいます。

よくまとまった動画があったので、張りますね。「あいのり」かな?



台湾人に愛される日本の遺産。



ついでに、中国は尖閣諸島だけではなく台湾、沖縄も中国の領土だと主張しているのです。



この辺にしておきます・・・。

アイデンティティと郷土愛
2009年2月27日 10:40
昨日、青森の笛師、佐藤ぶん太さんとお会いした。

mixiの笛コミュでやりとりをしたのがきっかけで、来る6月に僕を青森に招きコンサートを企画してくださることになった。普段は秋田のねぶた村の職員をしながら、ねぶた囃子を演奏して、ジャンルを超えた活動を展開していらっしゃる。

昨日初めてお目にかかったのだが、想像していたとおりの、爽やかで聡明なスポーツマンのような方だった!僕も何曲か共演させていただく段取りだったのだが、楽屋では、リハーサルもそこそこに、お互いに珍しい楽器や奏法を披露しあい、笛の話題で盛り上がった。

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ぶん太さんは津軽で「横笛普及プロジェクト」を立ち上げ、津軽の笛の普及活動にいそしんでおられる。

ぶん太。さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/yokohuehukyuu/archives/51160909.html

こちらからは僕の教本とティン・ホイッスル、僕のCDををプレゼントし、ぶんたさんからは、郷土を紹介するDVDなどに加えて、なんと津軽漆塗の「登山囃子笛」を頂いてしまった。アイリッシュ的な表現ではEb管となるこの笛。日本の篠笛に、こんなに長い笛があったのかと驚いた。

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美しい漆塗り!ぶん太さんは、桜の模様の笛など、さまざまな模様の綺麗な笛をたくさんおもちだった。漆といえば黒と赤だとばかり思っていたので、その美しさに感動してしまった。

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今日のライブのために来て下さった篠笛吹きの 森みわこ さんによると、漆の笛はものすごく高価とのこと・・・そんな貴重なものを頂いてしまい、身に余る光栄であると同時に、どのようにしてこれを生かしていけばよいのか、責任も感じる。

8時に開演。平日で、しかもアイリッシュ・パブでの邦楽演奏であるにも関わらず、立ち見が出るほどの盛況ぶり。演奏は、すばらしかった!一緒に来られた三味線の山田さん、佐藤さんも超絶の三味線でお客さんを引き込んだ。東北人の逞しさ、力強さよ!

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ぶん太さんの音楽には、強烈な郷土愛と、青森県民としてのアイデンティティを感じた。自然体なのだ。これと同じことを、先日イギリスで地元のコンサートを見た時にも感じた。自分の地域の音楽を演奏している彼らには、妙な気負いがなく、当然のこととして伝統音楽を演奏している。演奏に無理がなく、したがって、聴いていても違和感がない。

「これが自分の地域の音楽です」、と胸を張って言えることは、ものすごい強みだ。心底うらやましい。演奏の動画がアイルランド人に絶賛されたり、海外の ワークショップでは、習いに行ったつもりが、自分が教えている、なんていうこともあるのに、僕にとってケルトの音楽は自分の音楽ではなく、憧れと興味の対 象の域を出ない。

僕は、道産子の父に嫁いだ兵庫県民の母との間に、「移民の新天地」北海道に生まれた。北海道は日本の一部だが、ヨーロッパにとってのアメリカ大陸やオーストラリアのようなもの。家柄に本州との深い接点もなく、郷土文化にほとんど親しまないまま関西に移り住んだ。

そこで、日本とはかけ離れたケルトの音楽と出会い、10年がたった。京都の女性をお嫁に頂き、友達や生徒さんも沢山できて、関西に受け入れられたと肌身で感じているけれど、未だに、心の深いところでは自分は異邦人だという感情をぬぐうことができない。僕は根なし草だ・・・。

北海道のルーツ、また地理的要因としては東北のほうが関西よりも身近に感じるけれど、それは生き別れて成人した兄弟のように、海外移住した日系3世のように、今では違うものとなってしまった。

東北人のように気高い誇り、強烈な郷土愛は、僕が旅をしたところでは、南紀熊野、島根の石見、大分の湯布院、熊本、沖縄の石垣島でも感じた。それらの土地に行くことは、僕にとって聖地巡礼でもある。

僕は彼らほどの郷土愛を尼崎に対して持っていない・・・。郷土愛を感じるのに、雄大な自然、歴史、言葉や習慣を始めとした固有の文化は不可欠だと思う。それが、アイデンティティに結びついている。僕と、僕の住む尼崎にはそれが感じられない。

自分とは違う文化、アイデンティティを持つぶん太さんは、僕の目には同じ言葉を話し同じ顔つきをした外国人のように映った。さあ、僕のアイデンティティは何だ?

日本は奥深い!

僕は、たくさん旅をし、やがて一番好きな土地に根を下ろし、「これが僕の音楽です」と胸を張って言えるものを作り上げよう!アイデンティティを見つけるのだ。

30億円を稼ぐ男の話
2009年2月24日 10:45
朝、テレビをつけていたら、投資で資産30億円を稼いだ男、というネタを放送していた。ネットではすでに何年も前から有名なので、ここでは紹介しないことにします。

僕と同じくらいの年で、しかも、資産を築いた今の夢はロック・ミュージシャンになること、とのことで、さらに興味がわいた。彼が純粋に投資ビジネスだけで資産を築いたかどうかについてはいろいろな疑問が呈されているようだけど、どんな方法で稼いだとしても、30億円というのはすごい。

人は、第一に生活のために仕事をする。つまり「生きる=お金を稼がねばならない=仕事をする」。これは人の、社会の前提なのだ。多くのフリーターも派遣社員が、仕事がない=生活ができない、ので困っている。仕事をしなければ生きていけないのは、経済、スポーツ、文化人など各界のトップの人でもそうだ。人生すなわち仕事なのだ。

でも、30億円あれば、「一生遊んで」暮せてしまう。仕事をする必要から解放されたとき、人はどうなるんだろう?

人は、仕事=自分だと思っている部分が、大いにある。人は、ほかの人のことを知ろうとするとき、「その方は何をしていますか?」と尋ねる。英語でも"What does he do?"は、すなわち職業を尋ねる質問だ。
「学校の先生です」「自動車メーカーで働いています」などという答えが期待される。僕なら「笛を吹いて、教えて暮らしています」。リストラされた男性が、再就職の面接で同様の質問をされ、「部長です」と答えた、なんて笑い話もあるけど・・・。

仕事を通じて、人は生活の資金を得て、社会とのつながりを得て、社会に貢献しているという自己肯定感を得る。競争と改善の中で、自分を高めて、充実感を得る。

偉大な演奏家、作曲家、スポーツ選手、芸術家なども、仕事の中で己を磨き、すぐれた才能を開花させた。お金持ちのぼっちゃんで、苦労もせずに芸術家になった人など、あまり聞いたことがない。経営者や政治家になるのは向いているのかもしれない。

ともかく、仕事は自己の大半を占めているので、仕事をしないでいると、自分がわからなくなってしまいそうだ。

僕がもし投資で30億円もの資産を持つに至ったら...。やっぱり、今の仕事を続けるだろう。生徒さんや教えることが好きだ。人前で音楽を演奏するのが好きだ。音楽のことを調べたり、素敵な曲を見つけるのが好きだ。田舎に引っ越して、ちょっと広い家で、観光牧場でも経営しながら(←ここ妄想です)、資産をすこしずつ、社会をよくするために役立てたいと思う。

さて話は戻るけれど、投資家として有名になってしまった彼の音楽を、素直な心で聴けるほどの、頭の柔軟な人が世の中にどれほどいるのか、興味がある。

レッスンの辞め方
2009年2月16日 07:39
うちにアイリッシュを習いにいらっしゃっているフルート講師の方と、お話をしていた時の話題です。

2,3月という時期は、生徒さんが進学、就職、転勤などが決まり、身の回りの環境が変わっていく季節。レッスンが継続できなくなって、やめてしまう生徒さんも多いのだそう。そういえば、私の教室でも何人か、退会の申し出がありました。

生徒さんが辞める場合に、講師として辛いケースとは、どんなものでしょうか。

それは、生徒さんが教室を辞めることそのものではなく、生徒さんが音楽を嫌いになってしまうこと。もちろん生徒さんがそれをはっきりと言うことはありませんが、うちの教室に来る方で、「以前クラシックを習っていたが、レッスンが苦痛で、音楽が嫌いになった。アイリッシュなら楽しくできそう」と告白する方も時々いらっしゃいます。私は、「いったい、どんなレッスンだったのだろう...?(怖)」と思ってしまいます。

環境の変化でレッスンが継続できないのは仕方のないこと。でも、音楽を嫌いになられてしまうと、それは講師の責任によるところが大きいというわけです。これを知った時には講師自身も相当へこみます......。

辞める時に、ものすごく思い悩む方もいます。特に、中高生に多いそうですが、何か月も辞めたい、辞めたいと思いつつ、言いだす勇気がなくて、何かのきっかけにそれが爆発し、「もうずっと昔から思っていたんですが、実は・・・」と言われるケース。これも講師は辛い、とおっしゃっていました。「早く言ってくれればいいのに・・・」ですね。うちには中高生はいないので、私は未経験です。

その点で大人は賢いと思います。「中断」という言葉を使って、「忙しいので、また余裕ができたら再開します」と言えば、波風が立ちませんからね。ほとんどの場合これは建前で、再開することはないのですが、もしろん、再開できたら講師としては嬉しいですね。

辞意を伝える時にメールを使われるのも、講師としてはへこみます。講師はレッスン計画を立てて進めているのですが、メールって一方的ですから、それを突然ないがしろにされてしまう感じがします。それに、レッスン中に伝えてくれればいいのに...とも感じますね。
言いづらいことはメールで済ませよう、というのは今の風潮かもしれません。講師としてもメールを使わなければならない場合もありますが、功罪あるのではないでしょうか。

講師にとって、生徒さんにはそれぞれ愛着があります。突然の退会は、いきなり一方的に人間関係を断たれたような寂しさがあるものです。講師も人間ですから・・・。

一番スマートな辞め方は、2、3ヶ月余裕を見て、「これから(理由:ほかの習い事、育児、仕事など)に専念していきたいので、3ヶ月先をめどに退会したいのです」と伝えること。そうすると、講師にも心の準備ができますし、退会に向けたレッスン計画が立てられます。

いろいろと書きましたが、講師はどんな時も生徒さんの味方です。生徒さんの役に立ち、音楽をもっと好きになってもらいたい!と思っています。少なくとも私は。

春になると、また新規入会の方が増えてきます。楽しく、ためになるレッスンができるよう、頑張りますよ!

レッスンの辞め方
2009年2月15日 06:54
うちにアイリッシュを習いにいらっしゃっているフルート講師の方と、お話をしていた時の話題です。

2,3月という時期は、生徒さんが進学、就職、転勤などが決まり、身の回りの環境が変わっていく季節。レッスンが継続できなくなって、やめてしまう生徒さんも多いのだそう。そういえば、私の教室でも何人か、退会の申し出がありました。

生徒さんが辞める場合に、講師として辛いケースとは、どんなものでしょうか。

それは、生徒さんが教室を辞めることそのものではなく、生徒さんが音楽を嫌いになってしまうこと。もちろん生徒さんがそれをはっきりと言うことはありませんが、うちの教室に来る方で、「以前クラシックを習っていたが、レッスンが苦痛で、音楽が嫌いになった。アイリッシュなら楽しくできそう」と告白する方も時々いらっしゃいます。私は、「いったい、どんなレッスンだったのだろう...?(怖)」と思ってしまいます。

環境の変化でレッスンが継続できないのは仕方のないこと。でも、音楽を嫌いになられてしまうと、それは講師の責任によるところが大きいというわけです。これを知った時には講師自身も相当へこみます......。

辞める時に、ものすごく思い悩む方もいます。特に、中高生に多いそうですが、何か月も辞めたい、辞めたいと思いつつ、言いだす勇気がなくて、何かのきっかけにそれが爆発し、「もうずっと昔から思っていたんですが、実は・・・」と言われるケース。これも講師は辛い、とおっしゃっていました。「早く言ってくれればいいのに・・・」ですね。うちには中高生はいないので、私は未経験です。

その点で大人は賢いと思います。「中断」という言葉を使って、「忙しいので、また余裕ができたら再開します」と言えば、波風が立ちませんからね。ほとんどの場合これは建前で、再開することはないのですが、もしろん、再開できたら講師としては嬉しいですね。

辞意を伝える時にメールを使われるのも、講師としてはへこみます。講師はレッスン計画を立てて進めているのですが、メールって一方的ですから、それを突然ないがしろにされてしまう感じがします。それに、レッスン中に伝えてくれればいいのに...とも感じますね。
言いづらいことはメールで済ませよう、というのは今の風潮かもしれません。講師としてもメールを使わなければならない場合もありますが、功罪あるのではないでしょうか。

講師にとって、生徒さんにはそれぞれ愛着があります。突然の退会は、いきなり一方的に人間関係を断たれたような寂しさがあるものです。講師も人間ですから・・・。

一番スマートな辞め方は、2、3ヶ月余裕を見て、「これから(理由:ほかの習い事、育児、仕事など)に専念していきたいので、3ヶ月先をめどに退会したいのです」と伝えること。そうすると、講師にも心の準備ができますし、退会に向けたレッスン計画が立てられます。

いろいろと書きましたが、講師はどんな時も生徒さんの味方です。生徒さんの役に立ち、音楽をもっと好きになってもらいたい!と思っています。少なくとも私は。

春になると、また新規入会の方が増えてきます。楽しく、ためになるレッスンができるよう、頑張りますよ!

2009年2月10日 00:51
日本から出ると、当然靴の生活です。中国でも、家の中では靴を脱ぎません。それに比べて日本人は、畳とは切っても切り離せませんね。

昔の日本人は、畳の上で生まれ、畳の上で寝て、畳の上で結婚し、畳の上で子を産み、畳の上で死んでいったのです。そう思うと、畳に対してただの敷物以上の思いを込めずにはいられません。

畳は、日本で生まれ、日本にだけ根付いた文化です。
http://www.okitatami.com/index/history.htm

畳は、ただの家具や敷物というだけではなく、生活スタイルと強く結びついています。どんどん西洋風の生活に切り替わっていく時代の中で、今後畳業界が繁栄するかどうかは非常に微妙ですが、僕自身は畳を愛していますし、畳の上での生活はやめられません!

いまも畳に座ってパソコンをしていますし。

これから眠るのも畳。

あ、うちはレッスンも畳の上です(笑)。マナー違反ではありますが、アイリッシュは正座で演奏する習慣はないので、椅子を置きます。

昔の日本では、障子も柱も畳も、すべて自然に帰る素材を使って、家を建てていたのです。暖かく、通気性に富み、いい匂いがして、清潔。日本ならではものの中でも、畳は最もクールだと思います!

日本を満喫
2009年2月 9日 01:28
たった3週間弱日本を離れていただけなのに、感覚がすぐには戻りません。今日は、スーツケースを整理して、妻と買い物に行き、バンドの練習に出かけました。

今日一日、日本は素晴らしい!と何度も思いました。

まず、言葉が通じることって、なんてすばらしいんだろう。
僕の英語はまあまあで、会話や旅行はできても、英語の新聞やテレビは完全には理解できない程度です。言葉で不自由したことはそれほどはありませんでしたが、中国では、英語は全然通じないので、筆談と推測でなんとかせねばなりませんでした。東南アジアとか東欧諸国とか、漢字も英語を使わない国であれば、旅行はもっと困難だったでしょう。今回の旅行では、ますます英語に磨きをかけることを決意しましたよ。もちろん、英語だけではどうにもならないケースもありますけれど...。

また、日本は店員さんのサービスが素晴らしいです。愛想がいいし、丁寧です。その点ではイギリスも中国も、似たようなものでした。店に行けばものが溢れていて、安く、簡単に何でも手に入るのも、素晴らしい。

それに、交通も通信も安くて正確で便利。食べ物が安くて、おいしい。街がきれいで静かで安全。人が優しくて、丁寧。美しい女性が多い!

普段当たり前に思っていることでも、離れると分かるありがたみっていうやつです。

海外には2、3年に1回ペースで出かけていますが、何度行っても、海外で体験したカルチャーショックと、日本に戻ってきたときの浦島太郎のような感覚は心地よく感じます。もっとも、人生初の海外旅行から、その感動は除々に薄れ、イギリスにいる時も手慣れた感じすら出てきましたが...。ともかく、海外には、ぜひ行ってみるべきですし、行くならなるべく若い時に長期で、とお勧めします。

今回の旅で、日本の良さを感じると同時に、日本にいながら、世界を相手に仕事をしてきたいとも強く感じました。イギリスで出会ったミュージシャンたちは、頻繁にヨーロッパ各国に出かけてコンサートやレッスンをしているようでした。

日本に暮らし、日本の市場で活躍することも大変素晴らしいですし、大変なことであるとも思いますが、僕は日本がアジア圏のケルト音楽の拠点となるよう、アジア各国とのつながりを重視していきたいと思っています。ケルト圏を直接訪ねて自分の足で学んだことを、この日本からアジアへ、世界へ発信できたら・・・。

韓国や台湾や中国でコンサートやレッスンをすること、教本の翻訳を出版することも夢のひとつです。実は今日、台湾から僕をたずねて生徒さんがやってきます。初めての海外からの生徒さんです。

今回の旅行で、これからの活動方針が、さらに明確になってきたように思います。

ね。

旅って素敵ですよね。

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人の役に立つこと
2008年11月28日 08:15
先週はカルチャー講座と自宅でのレッスンがぎっしり。

自宅では、5人の生徒さんが替わるがわる いらっしゃる時も。レッスンだけで生計を立てている先生は、5人どころかもっと教えられていることでしょうが、僕は体力、集中力的に5人が適度かな、と思っています。遅刻や延長することも考慮にいれて1人90分の時間をあけていますから、7時間労働ですね。そのほかにパブでの演奏や、リハーサルが入ります。

ソロコンサートをした今年2月のころは、読書、ジョギング、英会話を日課にしていました。練習をする時間も取れました。ところが、日課もできないほどに、忙しくなりました。毎月、何人もの新規受講申込を頂いています。

僕は活動方針として、「演奏・教育・普及」の3つを掲げ、そのバランスを大切にしています。今は、教育に比重が偏りがちです。嬉しい悲鳴というものです。しかし、インプット(研究や、練習や、いろいろ)を怠っていては魅力的な先生であり続けることはできません。今後は、レッスンの需要を満たしつつも、インプットをし続けるよう意識すべきだと考えています。

こうして、皆様に支えられて、妻と二人(と、うさぎ)不自由なく暮らせていることに本当に感謝しています。同時に、新たな段階に入ってきていることを感じています。

僕のもてる時間は限られており、近い将来、すべての需要を満足させることは出来なくなります。自分の時間をお客様にサービスし対価を得る仕事スタイルから、一対一でサービスできない場合にも需要を満たせるような仕事スタイルに変わっていくことができれば、もっと大勢の方に喜んでいただけるはず。その時間をインプットに使えば、さらに自分は成長し、より深くお役に立てます。

来年の目標はその段階に早く到達することです。

Think global, act individually, and locally...
2008年11月 9日 15:56
今日は、昼のカルチャー講座だけで午後はフリーだったので、近くのレンタルビデオ店でビデオを借り、自宅で見ることにした。

2本借りたうちの1本は、ゴア前アメリカ副大統領が環境問題を告発した講演ビデオである「不都合な真実」。ゴアさんは、学生時代から環境問題、特に地球温暖化に取り組み、このビデオ発表のあと、ノーベル平和賞を授与されている。



わが国では、環境問題を啓発する番組が毎週放映されていたり、エコ、エコと企業も盛んにCMをしており、意識は高まっているのかもしれない。しかし、京都議定書に批准しなかったアメリカでは、温暖化は科学者の妄想で、現実にはありえない、とされているそうだ。

本作品では、大気中のCO2の増加による氷河や極地域の氷の消滅、海面上昇、かんばつ、ハリケーンなど、地球規模のシステムを豊富な資料でゴアさん自ら講演するスタイルを取っていて、わかりやすい。特に、中高生には強くお勧めしたい。

なお、このDVDについては、下記のような問題点が指摘されている。

以下、livedoor newsより引用

《イギリス教育機関が公立の小中学校に教材として映画「不都合な真実」を配布しようとしたところ、生徒の親が「作品の内容に科学的にウソがある」と訴えを起 こす。そして、その訴えに対し英高等法院は9つの科学的な間違いを指摘した上で教材として利用する場合、部分、部分に注釈を与えるよう指示を出したのだ。》 引用終わり

このことを加味しても十分価値のあるビデオだと思う。

同時に、人口問題についても触れられていた。

世界の人口は、1927年 20億人だったものが、現在は65億人に達しようとしている。僕が中学生だったころ、中国の人口は10億、インドは8億と習った。現在はそれぞれ13億、11.5億とのことだ。

日本でこそ人口が減少に転じているが、アフリカ、アジアでは人口が今後大幅に増え、2050年には世界人口が100億人に達すると予測されている。

そうなると、先ほどの地球温暖化とも絡み合い、食料と生水の確保が最大限の問題になる。多くの人が飢えにさらされる危険性がある。

豊かに日本に住んで、僕たちは飢えについて、ほとんど知らない。そこで、この本を強く勧めたい。


飢餓問題研究の第一人者である著者が、親子で対話する体裁をとっており、貧困・飢餓問題について子供でもわかりやすく、詳しく学ぶことができる。

この本では、飢えが自業自得、自然淘汰ではなく、人間の利己的な活動による結果だと考えている。内戦、環境破壊のほかに、投機マネーによる穀物価格のつり上げが、必要な人から食料を奪っている事実があるとされる。目を開かせてくれる本だった。

利己的で思慮の浅い人間の行動が、破滅的な結末を招く事件が繰り返されている。金、性、麻薬・・・大きな問題も、小さな問題も、すべては人間の弱さが発端なのだと思う・・・。

今回は書きませんが、僕はパチンコを代表としたギャンブル、消費者金融、タバコも巨悪だと思っています。

18世紀における、フルートでのヴィブラートに関する問題
2008年9月30日 22:42
おとといのトラヴェルソ・コンサートでの打ち上げでは、参加者から演奏者へ、ヴィブラートに関する質問がたくさん出た。「バロックを演奏する際に、ヴィブラートはどうすべきか?」

サラさんは、こう答えた。「ヴィブラートをかけたければ、かけたら良い。それで音楽がより良くなると、確信するのであれば・・」おまけに、「もし、バロック作品を演奏する際に、ヴィブラートをかけるのを止めなさいと、誰かに言われたら、『なぜ?』と聞き返してやりなさい。」と答えた。痛快である。

僕には、別の疑問があった。バロック期のヴィブラートは装飾音の一種類だと考えられていた。そうであるなら、息でのヴィブラート(Breath Vibrato)と、指でのヴィブラート(Flattement)は、どのように区別されていたのだろうか?

今日、たまたま、先日の古楽合宿で、リコーダーの藤田先生に紹介して頂き、届いたばかりのトラヴェルソの教本を読んでいた。




これは、現代のアメリカで書かれたトラヴェルソの教本で、著者はJanice Dockendorff Bolandさん。過去出版された教本を凝縮し、非常によくまとめられている。トラヴェルソの入門資料として、かなりお勧めの本だ。

この中で、下記のような記述があった。

---------------------

息でのヴィブラートは、18世紀において使われていた。フランスのDelusse による教本(1760)は、私(著者)が数百冊の当時の教本を検証した中で、唯一、息でのヴィブラートを推奨している。

Delusseは、「ホゥホゥホゥ・・・というように、肺を動かして、可能な限りヴィブラートをつけるべきである」と述べている。

しかし、これを除くと息でのヴィブラートを推奨する本は見当たらない。それどころか、いくつかの教本では、批判的に論じている。GeminianiとTromlitzによるものがそれである。

Geminianiは、ヴァイオリンではどんな音であれヴィブラートを使うべきだが、フルートにおいては、長い音でフラットマンを使うべきである(c.1747)、と書いている。Tromlitzは、息ではヴィブラートをかけるべきではないとしている。それは嗚咽するような音になり、それを使おうものなら、演奏者は胸を痛め、音楽もまた台無しにしてしまうだろう(1791,p214)、と述べる。

(Janice Dockendorff Boland ,"Method for the One-Keyd Flute", Univercity of California Press, 1998, p.34)

---------------------

つまり、息で音を揺らすことは、下品であり、避けるべきだということだろうか。しかし、18世紀の社会は、今ほど人の移動や情報の伝達が盛んではなかったから、色々なスタイルや考え方があったことだと思う。本当はどうだったんだろう・・・。ともかく、ブレス・ヴィブラートの存在は知られていたことには間違いはなさそうだ。

興味が尽きない問題だと思う。

ローズ共和国...
2008年9月25日 10:16
昔から言葉には興味があり、ふとしたきっかけで人工言語「エスペラント語」について調べていたら、面白い記事にめぐりあった。

イタリアの湾岸に、人口の島があり、独立宣言をしたが、結局は裁判でイタリアに負けてしまったというのだ。その島の結末は...。ぜひリンク先を読んで見てください。

ローズ島共和国

この国の公用語として指定されたのが、エスペラント語。興味深いエピソードだと思う・・・。

こちらの記事もめちゃめちゃ面白いので、おすすめ。
地理/歴史への興味が沸き起こります。

アイルランド音楽は、不思議だ
2008年9月 3日 16:36
古楽合宿のあと、京都のカルチャー講座があり、そのままアイリッシュ・パブfieldへ。
毎週火曜日のセッションの日なのだ。

バロック音楽漬けでアイルランド音楽に戻ると、すごく不思議な感覚に陥る。10秒くらいの短いメロディを2回弾いて、それを何度でも繰り返す...しかもみんな、ユニゾン(同じ旋律)で。セッションの輪はいくらでも広がることができる。この晩は、15人くらいのメロディ奏者がいた。

黙々と弾く。誰に聞かせるわけでもなく。踊りの人がいるわけでもなく。この集まりの目的は、一体なんなんだろう。

バロックは、王宮で演奏するためのプロの音楽。趣向を凝らした楽曲を、トレーニングされた楽師が弾く音楽。アイルランド音楽は、楽しみのためのアマチュアの音楽。技巧をそれほど必要としない楽曲を、普段は仕事をしている人たちが弾く。

音楽的に見れば、バロックよりもアイルランド音楽は、はるかに単純なのに、こうして多くの人に好まれる理由は、いったい何なんだろう。10年もこの音楽と付き合ってきたけれど、未だに実態がつかめない、摩訶不思議な音楽である。

安い笛の魅力
2008年8月21日 22:32
現在執筆中のティン・ホイッスル教本で、いろいろな種類のティン・ホイッスルを聞き比べるコーナーを作るつもりだったのだけど、紙面とCDの収録時間の制約があり、ボツにしてしまった。その代わりに、巻末に収録する予定の曲集を、いろいろな笛で録音しようかというアイデアが浮かんだ。

ティン・ホイッスルは本当にたくさんの種類がある。どの楽器を選んだらよいかは、初心者にとっては悩みどころである。僕の演奏を選択の一助にしてもらえれば、喜ばれるかもしれない。

さて、ティン・ホイッスルの魅力といえば、とにかく値段が安いことが挙げられるだろう。僕は普段は京都のメーカー「SZBE」や「Overton」などの値段の高い手作りティン・ホイッスルを使っているのだけど、教本で録音するのなら、この機会に、安い価格帯のティン・ホイッスルを練習してみようかと思った。

テスト録音はこちら。MDなので音質が悪いし、ボリュームが小さいかもしれません。

今日は、「Oak」と、「Clarkeオリジナル・モデル」の2本を吹いてみた。どちらも1000円代の楽器である。ああ、この感じ・・・僕は、ティン・ホイッスルを始めた10年前くらいから、安い楽器ばかり4年間は吹いていた。このしわがれた音色は、アイルランドの風景を思い出す・・・懐かしい。

手作りティン・ホイッスルに慣れていると、安い笛は、とにかく難しい。ダイナミクスの幅が狭いので、ちょっとしたことで裏返ったりしてしまう。円筒管のティン・ホイッスルは高音域の音程があがりきらず、かといって吹きすぎると音が割れる・・・。繊細な息のコントロールが必要だ。生徒さんが苦労するのも、よくわかる。音程が取りづらい。すぐマウスピースが詰まる・・・。

Oakを吹いた感想。
Generarionを細く整えた感じの音色で、ダイナミクスの幅は狭いけれど、この価格帯の楽器のなかでは音色が澄んでいる(カスレが少ない)。ちょっと金属的ではある。ジグとリールを吹いてみた(Connaughtman's Rambles)。

Clarke・オリジナルを吹いた感想。
息のほとんどが音にならずに雑音として抜けてゆくため、息の消耗が激しく、音はスカスカである。息をつかう分、ダイナミクスの幅が広い。悪ふざけで、アイリッシュ・フルート奏者のDesi WilkinsonがCDで演奏しているような、アイルランド北派の、息でリズムを囃しながら吹く奏法を試してみたら(Storny Steps)、うまくいった。これは、OakやGenerationでは不可能であろう。

同じ笛で、ホーンパイプ(Harvest home)も録音した。アイリッシュではやる人があまりいないけど、harvest Homeの4小節目に出てくる三連譜を、すべてトリプル・タンギングでアーティキュレートしてみた。タンギングの達人である、Sean Ryanさんは、しているかもしれない。練習にはいいかも?みなさんも試してみてください。

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安いティン・ホイッスルのレビューサイトもあるけど、結局は好みなんだよなあ。音色が綺麗とか書いても、基準がないし、美意識もそれぞれなので。そこが、この楽器のよさであり、奥の深さなのだなあ。

僕が高級な楽器をステージで演奏する理由は、もちろん音色や音程が良いっていうのはあるけど、楽器への信頼性が高いからなのだ。安い楽器は、演奏中に何が起こるかわからない・・・。高級な笛は、コントロールできる幅が広いし、信頼を裏切らない。プロとしては大事な要素だと考えている。

だけど、ステージ中、5分くらいしか登場させないティン・ホイッスルに、そこまでお金をかける価値があるかどうかは、また別に考えるべきことである・・・。安いティン・ホイッスルの復権をしてみるのも、面白いなあ。

アイリッシュ・フルートと音程
2008年8月11日 02:10
昨日に引き続いて、アイリッシュ・フルートの演奏についての考察。

ティン・ホイッスルやアイリッシュ・フルートは音程が不安定な楽器だ。普通の運指では音程が正しく取りにくいということもある。
音程は、クラシック音楽の根幹的な要素だ。クラシックのレッスンでは、音程が変であれば「今のFis(ファ#)低かったよね」など、すぐさま指摘される。しかし、アイルランドにてレッスンを受けて、音程のことをうるさく言われた記憶がない。演奏以前に、チューニングそのものがずれていたら、指摘されはするが・・・。

アイリッシュだけしかフルートを吹いてこなかった自分が、バロックなどで苦労することのひとつは、ハーモニーの取りかた。アイリッシュはメロディをユニゾン(どの楽器も同じ旋律を弾くこと)する。西洋の音楽はハーモニーがあることが前提である。クラシックをしてきた人間にとっては、全員ユニゾンなど、大変に奇妙に聞こえるのではないだろうか。

逆に、ハモることに慣れていないアイリッシュ・プレーヤーとして、いったいどのポイントが、もっともハーモニーが綺麗に響くのかなど、余り考えたことがなかった(メロディの上下3度を取ればいい、とかいう簡単な問題ではなくて、もっと細かく、「どの」3度を取ればよいのか)。

これにはタンブーラーマシンが大変役に立ったように思う。まだ、自信を持っているとは言えないレベルだが...。

バンド「チーフテンズ」の登場以降、ダンス・チューンをハモることは、バンドではよく行われるようになってきた。が、これはいまだに賛否両論あるし(リスナー以上に、プレーヤーは違和感を持っているだろう)、セッションでは全然歓迎されない。

ふと、果たして彼らは「ハモって」いるんだろうか?という疑問が浮かぶ。ひょっとしたら、感覚的には、ただ単に違うメロディを複数人が同時に演奏しているだけなのではないだろうか?まだまだ考察が必要なテーマである・・・。

10年、5年・・・
2008年8月 2日 22:12
時々、現実逃避したくなるときに、「教えて!goo」を見に行ってしまう。

ユーザーの質問や悩み事に、みんなで答えるというサイト。時々、本当に深刻な悩みも載っていて、そんなこと、ここで聞く前に誰か回りの人に相談したほうがいいんじゃないか、と心配してしまうけど、人によっては、友達や家族よりも、ネットの人のほうがつながっている感覚を持つのかもしれない。回答者もけっこう親身になってアドバイスしていたりするのだ。

昨日見ていたら、3年前に投稿された高校生からの非常に深刻な悩み相談があった。高校生にとっては余りに過酷な試練で、心配されたのか、回答者の数が100件以上にもなっていた。しかし、ある時期をすぎた頃から、質問者(悩んでいる本人)からの返事がなくなっていた。彼はいまは進学していれば大学生になっているはずだ。

時々、人生というのは、余りにも重過ぎる試練を与える。しかし、僕は、どんな試練であれ、すべては原因と結果があり、その人の人生に必要だから起きているのだと信じている。その人に克服できないほどの試練は、与えられないのだ。彼が、その試練を乗り越えて、もっと大きくなっていることを信じている。

10年前の僕に、今だったら、どうアドバイスするだろう?きっと、「大丈夫だから安心して」というだろう・・・。5年前の僕には?きっと、同じことを言うだろう・・・。そう思えば、今何かの試練が与えられようと、安心して挑めるというものである。

Major and Minor 葉加瀬太郎 さん
2008年7月25日 01:34

僕にとっての葉加瀬太郎さんのイメージは、ヴァイオリンの第一人者にして、インスト(楽器だけで演奏させる音楽という意味です)界の王様といえるポジションを持っている人。

僕が、インスト音楽を聴き始めた15年くらい前は、クライズラー&カンパニーで活躍されており、ソロとしてはまだそれほど有名ではなかったかと思う。父親がクライズラー&カンパニーが好きで、BSでのライブ・ビデオを見せてくれたので、印象深かった。

氏がこれほどに有名になったのは、音楽に縁遠い人にとっては女優の高田さんとのご結婚が話題になったから、ということは勿論あるだろう。しかし、情熱大陸をはじめとして、積極的にメディアに出たり、自身のレーベルでのプロデュースや、コラボレーションを行ってきたからに違いない。

作曲能力もすごいし、いろいろな意味で時代の要求に応えられる音楽家なのだと思う。

今回は、いろいろなアルバムのなかで、オリジナルばかりのTraveling Notesを借りてきた。


お恥ずかしいことに、
葉加瀬さんのCDはこれまで1枚も聴いたことがなかったのだ。長らく、こういったサウンドの音楽は聴いてこなかったけど、すっと入っていくことができる。良質なBGMとしてはもちろんだけど、よく聴くと結構凝っていて、クオリティの高いアルバムだと感じる。時々アイリッシュ的なフレーズや装飾音が出てくるのも、面白いと思う。

そういえば、フィドルの功刀さんが葉加瀬さんと演奏しはじめた頃、つまり僕が大学を出たくらいの頃、fieldのセッションに葉加瀬さんがやってきたことがあった。まわりの演奏者は緊張していたし、偶然居合わせたお客さんからサインをねだられたりしていたけど、本人はとても気さくで、腰が低くて、周りを立てることを忘れない人だと感じた。ショウマンシップがあって、全部自分にもってっちゃうんだけど、そこがまた愛されるキャラクターなんだろうな。

先日のCobaさんもそうだったし、僕の知っている一流の人は、みんな共通して謙虚だと感じる。そういうところが、すばらしいんだろうな。どの業界でも、威張る人には、中途半端な人が多いように思う・・・。

葉加瀬さんの演奏は、超絶技巧とか、深遠な芸術性・・・とかいったものとは異なり、人懐っこくて、美しくて、人を楽しませるものだ。それが、すばらしいんだなあ。僕には見習うべきことがいっぱいだ。大変、勉強になりました。

ボワモルティエに挑戦、バッハのこと
2008年7月23日 13:47
トラヴェルソのレッスンは、ボワモルティエの「55の小品」に進みました。

フランスのバロック音楽で、装飾法に独特のルールがあります。また、イネガール(不均等なリズム)という演奏習慣があり、八分音符で進む箇所は、任意にリズムを変えたりします。そういえば、大学の古楽器科を卒業してティン・ホイッスルを習いに来た子が、ホーンパイプを教えたときに、「イネガールですね!」と言っていたのを思い出します。そのときは、「そうそう、イネガール」と言ったりもしましたが、ホーンパイプのハネ方のようには規則的ではないようですね。

単純なメロディでも、こうして先生の教えどおりに吹くと、フレンチ風になるのでびっくりしました。これまでのテレマンの世界とはまったく異なりますね。技巧的で華麗なイタリア、装飾的で繊細なフランス、それらを融合したドイツ...。これから、どんどん勉強したいと思っています。



最近バッハの伝記を読んでいますが、バッハは実際的な人物で、よりよい待遇を求めて職業を転々としたり、退職願が受理されず拘留されたりといった激しい面も持ち合わせており、「天才」だけでない素顔を知ることができ、面白いです。よくある話ですが、バッハが現代に生きていたら・・・と想像をしてしまいます。現代で、バッハに匹敵する才能の持ち主とは、いったい誰なのでしょう。
バッハは作曲家としてだけではなく、器楽奏者としても一流で、オルガンやチェンバロのほか、ヴァイオリンも巧みに演奏したそうです。僕は、せめてはバッハが当時、演奏の腕を競ったという町楽師くらいにはなりたいものだな、と思っています・・・。

Major and Minor 第一回目...女子十二楽坊
2008年7月20日 01:53
女子十二楽坊 の「ベストセレクション」を借りた。

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2004年の日本公演を記録したCD2枚に、コンサートのDVDがついたものだ。女子十二楽坊は一時期アニメ「ドラえもん」のテーマを演奏していたり、NECのテレビだったかのCMに出ていたりと、結構話題になっていた記憶がある。当時はまったく興味が無かったので、CDを聴くことも無かった。それからもう5年も経つのだ。

DVDから鑑賞。東京フォーラムAという会場で、お客様がぎっしり入っている。字幕には、全国20会場32公演で10万人を動員した、とある。そんなに入ったのか・・・!

残念ながら、というか予測は出来たけれど音楽性については、とりたたて惹かれなかった。選曲もアレンジも、特に凝ったものではない。CDで聴くよりは、舞台を見たほうが楽しめるバンドだと思う。

奏者はみな、中国の音大の学生さんだったり(学業でツアーに参加できないメンバーもいたようだ)卒業生だったりして、コンクール受賞者も多い。なので、実力のある奏者なのだろう。が、楽曲の芸術性や個々人の名人芸を見せることをコンセプトにしているようではないので、本当はもっと弾ける人たちなのに違いない。

では、彼女たちの売りは何か。
①エキゾチックな民族楽器で、親しみやすい楽曲を演奏する意外さ
②容姿端麗な女性奏者のグループ
③よく構成された舞台演出
④舞台でのサービス精神

だろうか。

楽曲は中国の伝統曲、オリジナル曲、ポップスやスタンダードなどが均等の割合で入っている。確かに、民族音楽や中国の音楽を知らないお客様にはわかりやすく、楽しめる演目だと思う。

アレンジについては、各楽器ごとに複数演奏者がいるのだけど、楽器別にパートが作ってあるようで、同じ楽器奏者は同じ旋律を弾いている様子だった。ということは、12人でなくとも5人くらいで成立しそうだ。

奏者は全員中国楽器を弾いていて、バックのドラムやベースのカラオケに合わせて演奏するというのも特徴。これがあると無いとでは、人気の出方に大きな差がでただろうと思われる。僕がプロデューサーだったら、中国楽器奏者を8人くらいにして、あとの4人にドラム、ベース、ピアノ、シンセサイザーを担当させただろう。音楽好きのお客様にとっては、カラオケにあわせる演奏に興味はあまり惹かれないものだと思う。一般のお客様にとっては、カラオケでも生でも、あまり関係のないことなのだろうか。

DVDを見てよかったところは、各楽器奏者を上手にフューチャーして構成していること。二胡だけ、琵琶だけ、など、それぞれが目立つように演出されている。それに、かなりの精度でカラオケに合わせて演奏していること。これは嫌味でもなんでもなく、感心してしまった。よ~く聴くと、「きっかけ」がちゃんとカラオケに入っていて、奏者はそれを聴いてタイミングをつかんでいるようなのだ。カラオケに合わせてテンポや拍子が変わるところは、かなりの練習が必要だったと思われる。もちろん、一般のお客様にはカラオケの存在が意識されることはない。

それに、照明さんの技術の高さにびっくり。楽曲のキメなどに合わせてフラッシュしたり、一緒に終わったりしているので、これは中国から連れて来たに違いない。楽譜を読みながら照明を操作するような正確さだった。

ひとつのステージで衣装を何度も着替えていることもよかった。こういう気配りは大事。奏者の表情が、何人かはとてもよい顔で弾いていたけど、半分くらいは楽器を弾くのに必死であまり余裕がなかったのは惜しかった。

正直なところ、新鮮さというのはずっと続くものではないので、長く続けられるかどうかは楽曲の良さや演奏力にかかっていると思うのだけど、今は日本での活動は下火になってしまったようだ。

どういう曲を演奏するとお客様に喜んでもらえるのか、どういう演出がショウとして好ましいか、についてはヒントになることがたくさんあったように思う。

彼女たちの功績は、中国の民族楽器を一般の方に広く認知さえたこと、伝統的な音楽でこれだけ広いお客様に支持されることができる、と証明できたことだと感じる。

Major and Minor
2008年7月19日 09:42
毎日本当に暑いですね...!

このタイトルは、べつにコード進行のお話ではありません。メジャーなミュージシャンとマイナーなミュージシャンの違いは何なんだろう?という、最近の関心事です。

まだ13日の楽屋(らくや)さんでのライブレポートが出来ていないのですが、先日こちらで書いた豪華ゲスト陣に加えてアコーディオンのcobaさんもお客様として見に来てくださり、最後のセッションではパーカッション奏者Akiさんのピアニカを借りて参加してくださいました。

Cobaさんといえば、僕が高校生の頃にインストの音楽にはまりだした頃に、レンタルCD店でCDを借りまくって聴いていた大好きなミュージシャンの一人です。ほかには宗次郎さん、コンチチさん、村松健さん、服部克久さん、西村由紀江さん、S.E.N.Sさん、作曲家としては大島ミチルさん、植松伸夫さんなどが好きでした。僕にとっては、感性の基礎を築いてくれた、今でも思い入れの深いアーティスト達です。

そんなCobaさんと同じ舞台に立てたことは、本当に光栄なことでしたし、舞台上でほかのミュージシャン一人一人に気を配っている様子にも感動しました。今度、J-POPを代表する、あるバンドとアリーナで対バンするのだとか...どこまでもスケールの大きな方です。

東京には、僕が心から尊敬するすごいミュージシャンがわんさかいます。僕は東京に行くたびに、どこかで彼らの出演があれば、可能な限り見るようにしています。平日も週末も関係なく良いライブが目白押しで、毎晩、神業のような演奏が繰り広げられている東京ってすごい所だな~と思います。アイリッシュ系のライブやセッションには全然行きません・・・。

彼らは、CDリリースはもちろん、海外公演やCM、映画音楽も多くこなす売れっ子です。なのに、なぜかライブはコンビニくらいの規模のお店で、しかもお客様が10人も集まらない時もあります。なぜなんでしょう・・・これは僕の長年の疑問です。いろいろと推察できますが・・・。どちらかというと、実力派で、業界受けのするアーティストといえるかもしれません。

かと思えば、マスコミに露出が多い、CDを何万枚もセールスしてドームやアリーナを満員にするインスト系ミュージシャンもいます。

彼らの違いは、何でしょうか。いろいろなミュージシャンがいるので、簡単に述べられませんが、これまで余り聴いてこなかったメジャー系アーティストの作品やライブに多く触れることで、わかることがあ
るかもしれない、と思うようになりました。

そんなわけで、ツタヤに行っていろいろなアーティストのCDを11枚借りてきました。

これから、一枚一枚を吟味して、感想を書いてみたいと思います。いろいろ思うところはあるでしょうが、何に対しても学ぶことが出来ると思いますので、批判はしません(これから、何かのおつきあいが無いとは限りませんし...なんちゃって)。プロミュージシャンがプロミュージシャンのレビューを書くという、酔狂な試みですが、良ければおつきあいください。

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Small pipesのショートカット工事
2008年7月16日 17:11
SSPを練習中、右脇のふいごと左脇のバッグの間の管(写真の真ん中の部分。素材はガス管などのゴムホースである)がよじれることが多かった。よじれてしまうとバッグへの空気の供給が悪くなる。教本を読むと、これは切って調節するらしい・・・ということで、自分でやってみた。

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管のカバーをはずしてみると、オレンジ色のゴムホースが。これが無くなったら㈱大阪ガスで買えばいいんだね(笑)。このガス管は、㈱エジンバラ・ガス製!?

ハサミで5センチくらいちょん切る。スコットランド人のウエストに合わせてあるんだもん、そりゃあ日本人の中でもやせてる僕には長すぎるわなあ。

切ったら、ちょうどよい長さになり、よじれることもなくなりました。この先、こういうメンテナンス技術も覚えていかなきゃならんのだなあ、と思った出来事でした。

ライバル
2008年6月19日 22:25
昨日~明日までは自宅レッスンがほとんど入っておらず、久しぶりに家でゆっくりできる期間。

昨日は、多忙のため遅れていた19年度分の確定申告を、税務署に提出してきた。すでに領収書や源泉徴収表や控除の書類は集めていたので、合計試算表を作って、記入しただけ。これだけの作業なら、2時間もあれば終わるはずなのに、慣れないためか苦手意識があって、ずっとほっておいてしまっていたのだ...。その足で、今年分のまだ請求の来ていない市・県民税を、1年分すべて前納してきた。税金をちゃんと支払うと(所得税は還付されるのだけど)、すっきりする。

今日は朝から床屋さんに行って、髪をさっぱり切ってもらった。隣町である伊丹の初めて行く床屋さんで、感じがよかったのだ。もちろん、満足!

その後、歯医者さんに行って、2回分の歯石除去をしてもらう。特に虫歯はないのだけど、この10年間親知らずを抜いた時以外は歯医者に行った記憶が無いので、今後のためにもこの機会に虫歯予防をしてもらうのだ。歯を綺麗に磨いていますね、とほめてもらった。そりゃそうだ、毎食後と朝晩に1日5回も磨いているのだから・・・。歯はフルート奏者の宝物です。

今日は練習や、気になっていた曲の採譜もできて、とても充実していた・・・。
明日は万笛博覧会の仕事を詰めてやるつもり。

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本文とは関係ないけれど、戦前生まれのティン・ホイッスルの生徒さんが授業に持ってきてくださった高校時代の教科書。校閲は山田耕作!アイルランドのメロディとして「ミンストレル・ボーイ」が収録されていました。

昨晩インターネットで色々と調べ物をしていて、バロック時代の音楽家どうしのライバル関係のことなどを読む。ライバル・・・僕には考えもつかない。誰かから一方的に意識されているな、と感じることはある。自意識過剰かもしれないけれど・・・。

もちろん、同業者の笛吹きの方もいっぱいいるし、他のジャンルでは僕と同世代でものすごく上手い人や、メジャーで活躍している人もたくさんいる。しかし、当然ながら競わなければライバルになりようがない。競うというのは、同じ土俵で何かを比べるときだけだろう。同じ土俵とは、コンクールくらいしか思いつかない。幸い、僕のやっている音楽はコンクールとは殆ど無関係でいられる。

人それぞれに、得意と不得意があり、もって生まれた資質と使命がある。だから、競いようがないと思う。だいたい、一生で演奏しきれるかどうかという量の膨大な名曲の数々があり、この一生でやりたいことリストはぎっしり埋まっている。いま一番したいのは、家でゆっくりしながら、楽譜集を次々に吹いていきたいこと。時間が惜しくて、しかたがない・・・。それなのに、誰が何をしているかをいちいち気にはしていられない。

もっとも、それが敵対的なライバルではなく、仲の良い競争相手ということなら、ぜひともほしいところだけれど・・・それでは「仲間」になってしまうな。

アイリッシュとバロック
2008年6月18日 01:06
不定期に執筆する「バロックとアイリッシュ」についての考察。

昨日のトラヴェルソ・レッスンに続いて、今日はバロック・アンサンブル「トリーヌ」の練習があったので、連続してバロック関連の話題に触れます。
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チェンバロと多鍵トラヴェルソ

今日の練習が終わってから、自分の演奏を録音したMDを聴きながら帰りました。先日の大森さんとのアイリッシュ・ライブでの録音を聴き、音色が柔らかくニュアンスが多彩になったなあ...と驚きました。

トラヴェルソを習い始めて半年経ちました。アイリッシュ・フルートのほうが忙しく、トラヴェルソに十分な練習時間が取れませんが、半年で勉強になったことはたくさんあります。なかでも、「重要な音とそうでない音」のことや、「タンギング」について学べたことは、新鮮でした。ケルトの笛に約10年取り組んできた今、このタイミングでトラヴェルソを吹き始めバロック音楽を習い始めた自分の選択は正しかったのだと感じています。

何かの音楽を経験してからアイルランド音楽にたどり着く奏者はたくさんいます。フィドルであれば、一番多いのはクラシック音楽、ついでブルーグラスやカントリーでしょうか。ティン・ホイッスルは、古楽のリコーダー出身の方が多いように感じます。その点、フルートは他のジャンルを経験してから、という人が少ないように思います。大半はティン・ホイッスル経験者でしょう。

クラシック音楽のヴァイオリンからフィドルへ、という道筋はある程度、的を得ているように思います。音程の取り方やボウイングの基礎は、クラシックでしっかり習うほうが確実でしょう。ただし、どっぷりクラシックに漬かりすぎたヴァイオリン奏者の弾くダンス曲は、滑稽な感じがします。クラシックは基礎を固める程度が良いでしょう。

リコーダーからティン・ホイッスルへ、というのも的を得ています。タンギングのテクニックや装飾音については、生かせる部分が大きいでしょう。

しかし我がアイリッシュ・フルートとなると、モダン・フルートからの乗り換えは困難です。運指の違い、鳴らし方など、適応するのに苦労することでしょう。日本のアイリッシュ・フルート奏者にモダン・フルート出身者が少ないのは、この為ではないでしょうか。

そこで、一番近いのはトラヴェルソではないかと感じています。トラヴェルソ奏者からアイリッシュ・フルート奏者へ、というのは、かなり現実的でしょう。実際、運指ばかりではなく奏法的にも共通点が多いのです。ただ、私は日本にいながらそういう例を見たことはありません。

今、私はアイリッシュ・フルートからトラヴェルソへ、という流れをたどっていますが、将来的にはバロックとフォークのバイリンガル奏者となり、相互の特徴を生かした演奏をする予定です。

そして、もう少しでScottish Smallpipesが到着します。バグパイプは、ケルトの笛にとっては模範とすべき楽器。アイルランドでもスコットランドでも、バグパイプ音楽というのは他の器楽とは一線を画した、ある意味高尚な芸術ジャンルを確立しています。

トラヴェルソと同様に、こちらへのアプローチもまた、アイリッシュ・フルートの演奏に確実に良い影響が出るものと確信をしています。

10、20年後の自分の成長がとってもとっても楽しみです!!

2008年6月16日 09:15
土曜日に見たコンサートの感想の続きを書きます。

尺八で現代音楽を演奏するというのは奇抜なことではなく、何十年と行われてきたことです。洋楽の形式を取り入れた曲を演奏したり、和楽器がオーケストラと共演することあり、尺八でクラシックやジャズを演奏することもあります。

もちろん、尺八は5個の指孔が開いただけの笛なので、西洋フルートほどの機動性を得ることは難しく、ハンディはありますが、フルートでは得られない尺八ならではの音色や表現技法を取り入れた演奏が魅力的な場合もあります(そうでない場合も、もちろんあります)。
先日の「シリンクス」など、尺八古典本曲の要素が取り入れられていて、素晴らしかったです。

中国笛(笛子...ディイズと読む)でも、こういった取り組みは積極的に行われています。中国民族楽器だけでのオーケストラで笛子協奏曲を演奏したり、西洋フルートで演奏される難しい曲(トルコ行進曲、ヴェニスの謝肉祭など)を6個の指孔が空いただけの笛子で演奏することもあります。

ひるがえって、わがアイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルでは、こういった取り組みをしている演奏家を見ることはありません。一部、チーフテンズのアイリッシュ・フルート奏者Matt Molloyは、チーフテンズとしてオーケストラやほかのジャンルとの共演を精力的に行っていますが、演奏内容はあくまでもアイリッシュの伝統曲です。

アイリッシュ・フルートでほかのジャンルに取り組むことは可能なのでしょうか。
もちろんアイリッシュ・フルートは19世紀のフルートなので、19世紀までクラシック音楽であれば問題なく演奏できます。しかし、それはクラシック音楽演奏家の活動の範疇です。復元演奏に陥ることなくケルトの表現技法を生かした演奏をすることは、必ずできるはずでしょう。少なくとも近・現代フルート音楽を演奏するのに、尺八よりはずっと有利であろうと思います。

アイルランドのダンス音楽やエアーはこの上なく魅力的ですが、ひとつのジャンルを突き詰めて演奏していては、多くの聴衆を獲得できないのは、ジャズであれクラシックであれ邦楽であれ同じことです。先日ご一緒させて頂いた和太鼓奏者の一路さんも、オーケストラとの共演を積極的にされてきました。一部の邦楽演奏家のように、ルーツや自分の表現方法を見失うことなく、ジャンルの壁をまたいでアイリッシュ・フルートの可能性を世に訴える演奏を、僕はしていきたいと改めて思いました。

そこで、藤原道三氏の演奏していたヴィラ=ロボス作「ジェット・ホイッスル」を吹いてみましたが、無調的・高音域ばかりの作品で、尺八でこれを演奏することがどれほど難しいのかを思い知りました。この曲は、いつか取り上げてみたいです。

秋葉原事件に思う
2008年6月12日 02:24
今日は音楽に関係のないことです、すみません。

秋葉原の「通り魔」事件で、容疑者の掲示板(日記)が明らかになり、連日マスコミで報道されている。僕は今回の事件には、大きな関心を寄せている。

犯罪には、犯人なりの動機や背景がある。ほとんどの事件は、事情が明らかになっても一般的には理解されにくいものだ。しかし今回の事件に関しては、ネットでは「自分と同じだ」などと同情や共感をするコメントも多い。

容疑者の犯行そのものは、被害が最大限に大きくなるように用意周到に計画され、冷静な判断力で実行されたもので凶悪極まりなく、被害者の無念さや苦痛を思うと、同情の余地は全くない。しかしその背景として、容疑者が孤独や閉塞感で満たされたことが犯行の引き金となったと考えられる。
そんな容疑者と同じような状況で、同じような不安を抱えている若者は膨大な数がいると思われる。つまり、こういった犯罪は今後ますます増加する予感がしている。

もちろん、凶行に及んだ容疑者が許されるわけではない。
が、容疑者だけの問題として片付けられる問題ではない。

たとえば、容疑者は「彼女がいない」「顔が不細工」であることを根深くコンプレックスに持っていた。

世の中、マスコミをはじめ、広告も商品もすべてが即物的で、うんざりすることがある。街を歩いたり、テレビをつけて飛び込んでくる情報は、お金や、快楽(なかでも努力や苦労がなく、すぐ手に入るもの)や、道楽のことばかりだ。

年収、学歴、年齢、正社員か臨時雇用か、戸建かマンションか、結婚しているかしていないか、子供がいるかいないか、などで何でも「勝ち・負け」の尺度で測ろうとする短絡的な思考が蔓延している。そうやって、人をカテゴライズして、その「カテゴリーらしさ」を押し付ける。これは、新時代のカースト制度ではないのか、と思う。

人間はもっと多面的な存在だし、誰しも得手があれば不得手もある。何の良いところも無い人間なんて、いない。なのに、1点にだけスポットをあてて、切り捨ててしまう安直さは危険だ。そうやって疎外された人間が社会を恨み逆襲を考えることは、無いとは言えないのではないか。

今回の犯行を受けて、ネットで犯行予告が行われたから、犯行予告を検知し、犯罪予防に役立てようという試みが検討されているそうだ。また、ネットの匿名性を危険視し、ライセンス制にしようという考えもあるようだ。それで問題は解決すると思っているのだろうか。より、犯罪予備軍が「潜伏」してしまいそうな気がしている。

ずばり、同世代人として派遣・請負労働は非常に問題だと思っている。現代は収入格差はもちろん、将来に希望が持てなくなる「希望格差」社会だといわれる。

自分もまた、就職活動をしたから共感する部分があるが、今の若者は非常に不安定な立場におかれている。新卒で正社員になり損ねたり、一度病気などで正社員から外れてしまうと、それより良い環境で仕事に就くことは困難で、待っているのは派遣やアルバイトである。

一度不安定雇用に身をおくと、正社員に戻ることは難しい。不安定雇用である限りは専門性も見に付かず、年齢ばかりが上がっていってしまう。そうやって、働く意欲はあるのに派遣やアルバイトをしている若者が何百万人といる。

もちろん、ガッツや才能のある人間は、どんな時代のどんな環境であっても、やっていけるだろう。しかし、世の中強い人間もいれば、弱い人間もいる。弱い人間を社会から疎外し、生きづらくしてはいないだろうか。

そんな状況なのに、移民1000万人を労働者として確保する、という構想もあるそうだ。弱い日本人はのたれ死んでしまえ、といわんばかりだ。人も社会ももっと優しさがあってもいいのではないか。

このような事件を繰り返さぬように、社会から誰も疎外しない方法を、疎外された人を救済する方法を、考えていかなければならないと思う。

主体性、独創性、エンターテイメント性
2008年4月26日 07:57

最近、プロフェッショナルとして音楽をするにあたり自分が大事にしたいもの、またプロフェッショナルな音楽家に対して自分が惹かれるものはこういうものなのではないか、と漠然と考えていて、形になりつつある。以下のことは、僕が演奏しているアイルランドなどのケルト音楽に限らずに書いています。

第一に主体性。

「何を、なぜ、どのように」やりたいのかというのが明確であること。

「何を」…やりたいことがハッキリせず、与えられたものだけをやっている人は多いように思う。自分が弾く曲を自分で見つけ出せこと。

「なぜ」…売れている、流行っているから、というのは理由にはならない。その曲を弾くのが自分でなければならない理由、自分が弾く曲がその曲でなければならない理由が明確であること。

「どのように」…それをどのように弾きたいのか明確でなければならない。CDを聴いていて良い曲だったからこの曲を選びました、だからこのCDのとおりに弾きましょう、この人みたいに弾きたいです、ではそこに自分が無い。

第二に独創性。

誰かにあこがれて、頭の中にその人を思い描いて、そのように演奏したい、というのはプロとは言えない。どんなに上手くその人のように演奏出来たとしても、二番煎じは絶対に一番手に勝つことが出来ないし、それが外国の音楽であれば尚更、外国人である自分がやる必然性が無くなってしまう。
独創性というのは何も、奇抜なことをしなさいとか、オリジナル曲を書きなさいとかいうのではなく、その人そのものが音楽に現れることが大事なのだと思う。

第三にエンターテイメント性。

見る人を意識しているのかどうか。もちろん、お客さんにおもねるべきだとか、舞台でジョークを言って観客を沸かせるべきだと言っているのではない。

自分がやりたい音楽が出来て嬉しい、それをお客さまにも見てほしい、というのは自己満足だ。自分が得意なこと、やりたいことで、お客様に感動して頂き、何かを感じ取って頂きたい、というのがプロとしてあるべき姿勢なのではないだろうか。
文章にとっても言えることで、昔はMIXIをやっていたけれど、しばらくしてほとんどの日記がただの独白、読み手を意識していないだらだら書きであることに落胆してしまった。僕は、その点ではつねに読む人の目線を意識して書いていたように思う。

残念ながら、身近なところでこの3点を満たしている演奏者は、非常に少ない。誰かのコピー演奏にとどまってしまっていたり、流行の曲を流行のスタイルで演奏しているだけだったり、お客さんにおもねってスタンダードナンバーばかり演奏していたりする。極端なところでは、演奏技術が未熟なのに、お客さんを無視した自己満足的な演奏でお金を貰っている、ということすらある。プロという自覚すらないのかもしれないけれど…。

そういう意味において、Fiary Danceのメンバーは本当にすばらしい面々だと自負している。

アイリッシュに関係したところだと、最近聴いた守安功さんの「オキャロラン曲集」はびっくりするくらい独創的ですばらしかった。あまりに理想郷的な音楽で、「守安さんワールド」ではあるけれど、それは氏にしかできない音楽という意味においてとてもオリジナルなものだ。実は、このCDを出していらっしゃるWAONレコーズさんでは、僕の先生の録音も作っている。お互いに面識はなさそうだけれど、何かのご縁かもしれない。
それに、先日東京で録音した、吉原さんの完全にオリジナルだけのCD製作も注目すべきことだと思う。

アイリッシュに関係のない東京のアコースティック・ミュージシャンに惹かれる理由は、この3つをきちんとクリアできているからなのだ。先日の「尺八とお琴とウードとレクでアラブ音楽」も、とびっきり面白かった。

自分はこの3つをいつまでも心に留めていきたいと強く思う。

大事な音を大事に吹く
2008年4月25日 07:40

"忙殺"されている。

忙しくして殺される、と書くが、忙くしすぎると本当に死んでしまうのかもしれない。万笛博覧会のチラシ入稿までに、協賛ご協力をして頂く企業や後援先を集めたり、プログラムの詳細を詰めたりしなくてはならず、万笛博覧会はこの時期が本番に続いて最も忙しい。ほかにも、2回のレコーディングのための上京や、5月の労音公演のための選曲や、ネットショップの改装、ほかのいくつかのバンドの準備などが重なっているし、ありがたいことに、生徒さんがこの1ヶ月でとても増えてきている。

そんなあれこれを全力でまともにしようとすると、睡眠時間が減り、食事もろくに取れない…という状況になってしまう。忙しくするのは、今はあまり好きではない。まず睡眠時間が削られ、次に練習時間が削られ、そして自分について考える時間が削られてしまうから。

忙しすぎるのは何かがおかしくなっている警告だと思う。企業であれば、残業して休日出勤しなければ仕事が回らず、誰かが風邪を引いて休みでもしたら仕事がストップしてしまう、というのは、仕事の進め方や仕事内容などが間違っている証拠なのだと読んだことがある。

人生において、本当に大切にすべき事は、実は少ないと考えている。だとすれば、忙しすぎるのは自分が見えていないという警告なのかもしれない。「何事も全力で取り組みます」といったモットーがあるが、すべての事柄に優先順位をつけずに全力で取り組めば、どんなにエネルギーがあっても足りず、本当に大事なことが中途半端になるのは明白だ。

昨日はバロック音楽のレッスンがあった(僕が習うほう)。ちょうど、昨日の雨の日に良く似合うような、重苦しい曲だった。バロックは大事な音とそうでない音が明らかであり、退屈な演奏をしないためには大事な音を大事に吹かなければいけない。すべてを均等に吹いていたら、演奏が平坦になってしまうのだ。

これは、人生にもいえることではないだろうか。仕事も人間関係も生活も、無駄を省き大事にすべきことを大事にするだけで、すっきりし、本当に重要なことだけにエネルギーを集中できる。4月末でこの多忙がひと段落したら、改めて自分にとって重要なことを確認し、そこに集中するようにしよう。

好きなもの、それは魚!
2008年4月10日 07:50

今日の日記は、人によっては「グロい~」と思うかも?好きな人にとっては、「美味しい」話題です。

昔、大学を出てしばらくの頃、魚屋さんでアルバイトをしたことがあります。そこで魚のさばき方を習ったお陰で、お魚料理を自宅で楽しめるようになりました。近所に、「つかしん」という、とても生鮮食品が新鮮で安いショッピングモールがあり、妻とよく出かけています。朝早くに行くと、取れたての魚が一本まるごとで安く手に入れることができますので、妻とダッシュで魚を求めに行きます。

この日は、ツバス390円と、ボラ250円。ボラは、先日初めて買い、フィッシュ&チップス風にフリッターにして食べたらとっても美味しかったので、大好きになりました。それまで知らなかったのですが、海底で泥や海草を食べて暮らす魚で、漁獲地によってはやや臭みがあるが、新鮮なら造りで食べられるとのことで、今回はボラの造りに挑戦。

包丁をよく研ぎます。6年くらい前に京都「有次」で買った自慢の包丁。
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魚たち。
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2枚におろしました。
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さらに3枚におろしました。今回も、骨が透けて見えるくらい綺麗にさばけて、とても気持ちがいいです^^

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お刺身になりました。
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ボラは、フグのように歯ごたえがかなりあり、臭みは心配したほどでもなく、美味しかったです。ツバスは淡白ながら甘みがあり、プリップリで美味しかった!

僕は、アジ、鯛、サンマ、カンパチ(ブリ)のお造りが好きです。青魚は、新鮮だとびっくりするくらい美味しいので、ぜひ試してみてください!

大好きなもの… それは動物!
2008年4月 6日 09:36

昨日はレッスンのお仕事が午後までだったので、そのあとで妻と王子動物園に行ってきました。お天気が良く、桜が満開で最高の春の一日でした。

ここでは何度も書いていますが、動物は大好き!もう動物のことを考えるだけで目じりが下がってしまいます。神戸の王子動物園はうちから30分という近場ですが、これまで入ったことがありませんでした。調べてみると動物ふれあいコーナーがあるというので、行くことを即決しました。

入場したのは午後3時。閉園まで2時間です。
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園内すぐにフラミンゴ池がありました。ピンクの群れは桜のピンクとマッチしてとても幻想的です。
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ダッシュでふれあいコーナーに入りました。リャマ?が迎えてくれました。パンフレットに「こどもの国」と書いてあって笑いました。大人だって動物と触れ合いたいんです!

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モルモットに触ってきた!可愛い!!
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アシカです。水槽でガラス越しに見ていると、目の前でターンを見せてくれて、「ニマっ」って微笑むのです。もう、たまりません!アシカたちが突然引き返したかと思うと、一箇所に集まりました。車の音を聞きつけていたようで、おじさんが餌をくれるのを知っていたのです。賢くて感動しました。
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ほかにも、キリン(とっても優しそうでした)、カンガルー(ぼーっとしていました)、愛嬌のあるウサギ、極彩色のインコなど、見ごたえたっぷりでした。

また、夢がひとつできました。アフリカのサバンナで、野生のフラミンゴやライオンや像やシマウマを見てみたいのです。きっと、感動することでしょう。

動物は不思議です。彼らの見せる行動や表情、しぐさは本当に興味が尽きることがありません。インスピレーションが湧きまくります。いつか、動物に囲まれて自然の中に暮らしたいものです。

嫌いなもの それはタバコ!
2008年4月 5日 08:00

昨日は大好きなお花について書きましたが、今日は嫌いなものについても書いてみます。僕が世の中から無くなれば良いのになあと思うことのうち、「戦争」についでランクインされるのは「煙草」です。

★☆★☆ここからの文章は、特定の喫煙者に向けて書くものではなくて、「タバコ」について書いているだけですので、喫煙者の読者の方は傷つけられた!と思わないで下さいね。喫煙者は、肩身が狭い余りに、タバコへの非難を自分への攻撃と受け止めやすいようです。例えばセロリが大好きな人が、セロリが嫌いって書いたブログを読んで怒るなんて、おかしいですよね!?★☆★☆

うちの父親はヘビースモーカーで、家にいるときは所かまわず煙草を吸っています。おかげで小さい頃から、タバコの煙には慣らされてきて、車の中が煙っていてもあまり気にならなかったのですが、思春期になり、周りにタバコを吸う者が出始めて、タバコが大嫌いになりました。

タバコの何が嫌って、①煙たいこと、②臭いこと(特に、髪や服ににおいが着きます)、③健康に悪いこと(僕の場合、目がかすみ、息が浅くなり、鼻が詰まり、頭が痛くなります)、④壁紙が黄ばんだり、じゅうたんが焦げたりすること などなど、他人に迷惑を及ぼすことが多いからです。そばでタバコを吸われると、とにかく嫌な気持ちになるのです。

余り言いたくないことですが、喫煙者のマナーは大問題です。路上落ちているゴミの大半は吸殻ですし、歩きタバコや自転車や車に乗りながらのタバコは危険です。レストランでタバコを吸う人は、他人が食事を楽しんでいることが理解できないのでしょうか。タバコのアレルギーの人は本当に存在するので、人前でタバコを吸うときは、許可を求めて欲しいものです。自分勝手な喫煙者が多すぎるのではないでしょうか。(ここの読者にそういう方がいないことを祈ります!)

僕の友人では喫煙者は少なく、生徒さんでは殆どいません。アイリッシュ関係者は健康志向なのでしょうか。喫煙者の方は、少なくとも、僕の最高の状態での演奏を聴きたいと思うのなら、どうか近くでタバコを吸わないようにお願いします。タバコの煙を吸うと、むせこんでしまいそうになのです。

さて、先日、レッスンに行く途中に「PASMO」という、自販機でタバコを買うための認証カードにサインアップするために並んでいる人の列を見ました。そこまでするのですから、当然、ここに並んでいる人は全員喫煙者でタバコが大好きなわけです。

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僕は、いったいどんな人相でどんな身なりの人が、ここに並ぶのだろうと興味深く観察しました。自分と違う世界の人を観察するのはとても興味深いです。時々、早朝からパチンコ店に並んでいる人の列や、バーゲンの開店に並ぶ人の列を眺めたりもします。そこから、一定のオーラや、行動パターンや、人相や身なりの共通点が浮かび上がるのではないかと考えるからです。

タバコといえば1995年に放送された、テレビ番組「世にも奇妙な物語」で筒井康隆原作の「最後の喫煙者」というショート・ショートがあり、記憶に残っている方も多いかもしれません。ストーリーは、上記リンク先をご覧ください。傑作でした。おそらく筒井さんは喫煙者で、嫌煙への風潮を風刺して、自虐をこめて書いたのでしょう。you tube等で探してみたのですが、見つからないですねえ。もう一度見たいです。

海外ではタバコは日本より高い国が多いようです。なぜ日本では安くタバコが買えるのか?

日本の輸入農産物に占めるタバコの位置は大きく、加工品を含めると農産物輸入額第3位(2002年)になります(1位 豚肉 4700億円 2位 木材 3330億円 3位 タバコ 3208億円)。
そのうち、輸入先はほとんど米国です(88%)。

つまり、アメリカでは税金を高くかけてあまり吸わないようにさせているのに、日本にはどんどん売っているということが分かるかと思います。タバコの健康被害は、社会保険費用を増大させて、問題視されています。

世の中は確実にタバコ廃絶へと進んでいるように思います。僕は、タバコは割礼とか、いけにえとか、魔女狩りとか、太古の時代に生まれ、現代には決してそぐわない、忘れ去られるべき風習だとまで思っています。

ここまで読んでタバコをやめたい喫煙者、またはやめて欲しいと思っている嫌煙家の方には、下記の本をお勧めします。成功に関する本ですが、健康についてかなりのページを割いていて、特にタバコ、アルコール、カフェインなどを「毒」として、やめる方法について色々提案しています。

今日はついつい書きすぎました。みなさまの反響をお待ちしています

好きなもの それはお花!
2008年4月 4日 07:40

春、桜満開ですね。桜は本当に綺麗です。春は街中が花でにぎわっていて、非日常な感覚に思わず心を打たれます。

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近所に、お花が好きなおば様が住んでいます。宝塚にお姉さんがいて、綺麗なお庭を持っているのだそうです。それで、時々、薔薇などの花を手折っては持ってきてくださいます。先日は、水仙やチューリップの鉢植えを持ってきてくださいました。
昨日は、帰宅すると郵便受けに桜の枝が刺さっていて、ちょっと驚きましたが、そのあとでおば様が来て、プレゼントです、と説明くださいました。

僕は去年まで殆ど花には興味が無かったのですが、コンサートで頂く花を玄関に飾るようになり、また、人に花をプレゼントする習慣を身に着け、おば様のお陰もあって花が大好きになりました。

うちはお客様が多いので花が玄関にあると、雰囲気が華やぎますし(花だから!)、家で一番良く通る玄関だから、通るたびに「美しいなあ、和むなあ」と思うことが出来るのは幸せなことです。

先月から、何も無くてもお花屋さんで毎月花束を買って飾ることにしよう!と妻と話しました。近所にかわいらしいお店があり、ひいきにできればなと思っています。今月の花はこれ。

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やがて、花を自分で育てたり、花の名前をひとつひとつ覚えていくことが出来れば嬉しいなと思っています。

手紙大好き!
2008年4月 1日 08:49

おはようございます!うちの近所の桜が綺麗です。

今朝も5時に起き、ジョギングをして朝ご飯にフルーツをいっぱい食べました。
6時からは読みたかった本を読み、見たかった映画を見ました。
やるべき仕事は業務時間内に済ませ、やりたいことは早起きすることでやる習慣にすると、早起きするための意欲も湧いてきます。

今日見た映画は、アメリカ映画です。「素晴らしき哉、人生! It's a Wonderful Life.」 公開:. 1946年

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とても古くて、白黒ですが、本当に良い作品でした。音楽や演出などの効果が素朴な分、役者さんの演技が素晴らしく、無声映画だったとしても充分に意味がわかるくらい訴えるものがあります。アメリカ映画という枠を超えて、人類の遺産ともいうべき普遍的な作品です。

後半で意表をつく展開が待っており、最後にはホロっと涙してしまいました。生きているって素晴らしい!毎日ご飯を食べたり、好きなことをしたり、好きな人に囲まれて暮らしているだけで、この世は天国のようだ。僕は心からそう思っています。ぜひお勧めします。

さて、昨日は20通くらいのメールをだし、5件くらい電話をかけ、8通の郵便物を出しました。
もちろん全て仕事関係です。

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手紙は大好きです。毎日のように手紙を書いて出していますし、最近は自社ブランドのレターセットを作ったので、手紙を書くのがより楽しくなってきました。ハガキ、封筒、便箋、切手は常に携帯していますので(ついでに、ライティングボードも持っています)、電車の中でも執筆することができます。

電話、手紙、メール、ファクス、直接会う…人にコンタクトを取る方法は沢山ありますが、適切なタイミングに適切な手段を選び、コミュニケーションの達人になりたいものです。

時間は資産
2008年3月26日 08:48

昨日は、昼間に10月の学校公演でご一緒するダンスチームと合同でプロモーション・ビデオ撮影。J-Clickの皆さんのダンスが素晴らしく、見とれてしまいます。我々も衣装を身に着けて、演奏を撮影しました。このPVは、MTVでは流れませんが、you tubeで放映されるかもしれません。

収録後、シナリオ会議。どのように演奏者が登場し、ダンスが登場するか、演奏者とダンスの饗宴について等の構成を決めました。非常に充実した内容の会議で、早くも10月の公演が楽しみです。この公演を皮切りに、来年は中高校での公演を多数企画し、大勢の生徒さんの心に残る仕事をします。

晩は堺カルチャーでのティン・ホイッスル教室。体験の方が見えました。生徒さん達もお馴染みになってきたので、レッスン後に近くのイタリアン・レストランに食事に行きました。皆さんを寄り身近に感じることが出来て、これから更に良い授業をするよう、気持ちが引き締まりました。

細かいお話は省きますが、時間は資産です。もしティン・ホイッスルやアイリッシュ・フルートを習得したいと思ったら、独学でもできることはできますが、レッスンに通うことが時間の有効活用になります。無駄な寄り道や挫折をすることなく、一定のレベルまでは引き上げられるのです。
レッスン中の楽しみ以上の価値を見出して頂きたいと思っています。もちろん、no secret!僕が知っていることはすべて、惜しみなく提供する姿勢でいます。

いつもこのブログでは誤字・脱字があって読みづらく、すみません。いつも、パソコンの使用制限時間のなかで優先すべきことを優先していると、ブログにかける時間が10分くらいしかなくなってしまいます。それでも取りこぼしている仕事もあって、処理速度を更に上げる方法を試行錯誤しています。

今日も時間とお金を無駄に使うことなく、良い一日をお過ごしください。

お客様に支持されるお店の条件
2008年3月23日 15:52

晴れた土曜日の朝。気分が良いのでお昼ごはんは妻と近所のお好み焼き店に行くことにした。一般的なファミレスくらいの大きさのチェーン店で、以前に何度か行って気に入っていたお店だ。しかし、結果的に、とても不愉快な気持ちになってしまった。

11時半の開店と同時に入店。お客様第一号だった。表にランチあります、とノボリが立っていたので、じゃあ、ランチを、と店員に言うと、若い男性の店員がメニューを持ってきてくれた。急いでいたのでその場で注文。しかし、しばらくして、女性の店員がやってきて、無愛想に違うメニューを差し出し、「ランチは平日のみですので、こちらからお願いします」と伝えられた。おいおい、そういう場合はさっきの男性店員が来てお詫びするもんじゃないの、と思ったが、注文をしなおした。

このお店は、注文した料理が届くまでスナックが出される。それをポリポリやっていると、すぐ無くなってしまったので、女性の店員に「これのおかわりって出来るんですか。」と聞くと、「はい」。と言って、どこかに行ってしまった。10分くらい待ったがそのまま別の用事をしている様子だったので、完全に忘れられている…と思い、「さっきおかわり頼みましたが、まだですか?」と聞くと、無愛想に運んできてくれた。

僕達が食事中に、新しいお客さんが入ってきた。しかし、気づいている厨房の男の店員は、知らん振り。まるで、ホールスタッフの仕事は自分には関係ないと思っている様子だった。お陰でお客さんは空いているのに待たされている。

極めつけは、届いたお好み焼きに髪の毛が入っていたこと。店員にクレームをつけると、その店員は詫びずに、「はい。少々お待ちください」とだけ言われた。しばらくして店長が詫びに来た。不愉快なことが重なったので、さすがの僕も文句を言ったけど、結局はその代金はタダになった(当然だ!)。

アルバイト店員には、目の前のお客様が自分のお給料を払ってくれるのだ、という想像力はないのだろうか。自分は自分のサービスだけを提供していれば、それで問題ないと思っているのだろうか。アルバイトを使わないとやっていけないのはどの店も一緒だけれど、アルバイトだからといってお客様に甘えるようなことは、あってはならない。

似たような例がある。
とてもひいきにしているレストランがあった。そこはフレンドリーな接客が人気で、料理も美味しかった。当然、週末などは入店を断るほど繁盛していた。しかし店長が入れ替わってから、スタッフの質が落ちて、接客が無愛想になり、料理がまずくなり、雰囲気が悪くなり、おまけに値段も上がってしまった。これで常連のお客様が納得するはずがない。結局、そのお店は週末でも閑散とするようになってしまった(当然だ!)僕は何度か店長に忠告したけれど…。

結局は、指導者(ここでは店長)の指導力不足なのだ。志が低いのだ。そして、お客様をなめたサービスを提供するお店は、やがては潰れてしまうだろう。

ちょっと別の話をしようかな。

前に住んでいた家のお隣に、よく分からない会社が引っ越してき、事務所に使っていた。何しろ引越しの挨拶がなかったので何をしている会社なのか良く分からない。あるとき、うちのスペースにタバコの吸殻が落ちていた。どう考えても隣からしか捨てられないような場所に、だ。
それで文句を言いに行くと、「なんか証拠でもあるんかい!?」と、食って掛かってきた。誠意のない対応だった。その会社はもう、そこには無い。つぶれたのかもしれない…。

今の家のそばに、半年前に居酒屋ができた。僕は絶対行かないような店構えだったけれど、あるとき料理に大失敗し、出かける用事があって急いでいたので、やむをえずそこで夕食を食べた。案の定、これでお金取るか!?という内容の料理が出てきて、僕は食べ残してしまった。そのお店はつぶれて、今は貸し店舗になっている…。

この二つの例からわかることは「クレームに誠意を持って対応しない」「お客様の満足するものを提供しない」お店は、例外なく潰れるということだ。

サービスを提供する人間は、これの間逆のことをすれば良いのではないだろうか。つまり、志を高く持ち、スタッフを高く教育し、お客様の満足を追求し、お客様からのお叱りには誠意を持って対応するのだ。それを徹底すれば、きっと繁盛するに違いない!

そんなこと、いっぱしの経営者であれば分かっているだろうけど、それが出来ていないお店や会社がいかに多いことだろう。お好み焼きの件は不愉快ではあったけど、僕の仕事の上でも参考になる体験でした。

欲しいものを手に入れる
2008年3月12日 22:47

昨日、アメリカにフルート代金の支払いを済ませてきました。ブログで何度かご紹介した、200年近くも昔のロンドンの名工"Rudall and Rose"による柘植のフルートです。良い状態で現存する楽器が少なく、正直なところ博物館ものかもしれません。もちろん、日本の店舗にないばかりか、マーケットに殆ど出回らないレアな品物です。

こういう巡り合わせはご縁としか言えないと思います。ただ、僕には信念があります。それは、「本当に欲しいと心から願えば、それは絶対に手に入る!」ということ。聖書にある「求めよ、さらば与えられん」です。

3年前に、今の手帳を使い始めたときに、十数個の手に入れたい物のリストを作りました。そのリストは「フルートケース」と「革の手帳」を除いて、現在すべて手に入れることが出来ました。中にはお金で買えるものも、買えないものもありました。
「フルートケース」と「革の手帳」が現在手に入れられていないのは、本当には欲しい!と思っていないからだと思います。ちょっとでも心に緩みがあると、手に入りません。

求めていると手に入る!という経験がこのごろ3つありました。

今年に入ってから我が家のテレビが壊れてしまいました。DVDを見るのにテレビが必要だったので、テレビも欲しいものリストに入れていました。どうせ買うならテレビ付パソコンにしようかとお店に見に行ったりもしたのですが、先日法事で母に会ったときに、母のお古をもらえることになりました。

妻はずっとオーブン付レンジが欲しかったのですが、妻の実家のオーブンレンジが壊れたので買い換えたところ、壊れていたはずのレンジが蘇り、1個余ってしまったために、古い方をもらえることになりました。

僕は自宅教室に伴奏用キーボードが欲しかったのですが、生徒さんにその話をしたら、お借りできることになりました。ひょっとしたら譲ってもらえるかもしれません?!

欲しいものを、人にそれとなく言い続けるのも良いかもしれません!?

今のところ、欲しいものリストに入れるべき品物がないくらい、豊かになりました。
もともと、妻も僕もそれほど物欲が無いというのもありますが…。

今使っている自作の「欲しいものシート」です。今日は特別に公開しちゃいます!
これがすべて埋まるくらい信念が強ければ、あなたも必ず欲しいものを手に入れられることでしょう。

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使い方は明日。ぜひ、欲しいものを書き込んでみてください。

休暇を取る
2008年3月11日 08:47

昨日月曜日は、自分で設定した休日。

自分でビジネスをしていると、自分の好きな時間に好きなだけ働ける分、逆に仕事に振り回される結果にもなりやすい。誰からも縛られないから、むしろ自己管理しないととんでもないことになってしまうのだ。

去年の今頃の僕はお酒を飲みながらパソコンの前に明け方まで座っていて、最後のほうは仕事のつもりが脱線して、という時間の浪費を繰り返していた。去年暮れにパソコンの使用時間を厳しく制限するようにしてからは、できる時間にやるべきことを仕上げるように目的意識をもって取り組めるようになり、練習時間も妻との時間も増え、効果は絶大だった。

この春からは、「休暇」を導入しようと思う。月曜日にレッスンなどの仕事を入れないで、パソコンの使用時間は午前中のみとし、午後はそれ以外の有意義なことに使うのだ!昨日は以降期間の1日目。晩に予め入っていたレッスンがあったものの、昼間は妻とバトミントンをし、思う存分読書をし、練習もし、晩御飯をゆっくり食べ、DVDで映画も見た。布団に入るときに、これ以上の幸福はあるだろうか、今借りに心臓が止まっても、今日は後悔しない!というくらいの充実感だった。非常によいリフレッシュになった。自営業やSOHOの方には、休日を自分で作ることを、お勧めします。

さて、我が家をちょっと紹介します。僕達夫婦はこの家を本当に気に入っています。長い間引っ越す予定はありません。

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家の概観。2階建て3LDKで、家の東に大きな窓があり、日の光がとってもよく入るのです。


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玄関は家の顔です。花をよく飾り、お香をたくように習慣付けています。

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昨日、お隣からイカナゴの釘煮を頂きました。即座に晩御飯に用意していたピザを半分お返ししました。こういうお付き合いも嬉しいものです。

あなたの住む家を最高のものにし、愛しましょう!

今を生きる
2008年3月10日 08:42

昨晩DVDで見た映画です。

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"59年、ニューイングランドの全寮制学院を舞台に、学生たちの愛と生、そして死を描くドラマ。製作はスティーヴン・ハフトとポール・ユンガー・ウィット、監督は「モスキート・コースト」のピーター・ウィアー、脚本はトム・シュルマン、撮影はジョン・シール、音楽はモーリス・ジャールが担当。出演はロビン・ウィリアムス、イーサン・ホークほか。"(映画gooより)

青春ドラマですが、役者たちの演技がとにかく良く、ストーリーにも共感したり感情移入するところが多くて、良い映画でした。高校生くらいの子にはぜひ見てほしいと思います。

この映画で特に惹かれたのは、「すぐに行動を起こし、いつ死んでも悔いの残らない人生にしよう」、そして、「誰にも素晴らしい個性、才能があり、それは本人が気づき、磨くことで花開く」ことです。

昨日の服装についての日記で書きそびれたことですが、僕は高校生の頃、大変な外見コンプレックスを持っていて、これでは人前に恥ずかしくて出られないと思っていたし、女の子に振られると外見のせいにして、余計に傷ついていました。

今なら僕は、「誰もが美しい原石を持っている」と確信を持っていえます。流行の顔やスタイルは確かにあります。「ダサイ」というのは、その人の個性と流行がマッチしていないだけのこともあります。
しかし、人は自分を知り、ありのままを受け入れ、流行や他人の好みを基準にするのではなく自分のしたいように内面・外見を磨けば、その人に似合うスタイルが必ず見つかり、誰もが光るのだと考えます。

顔の表情や清潔にしているかなどを含めて、外見というのは内面の現れです。外見を悔やんだり、変えることに必死になる前に、ひとステップ。自分を知ろう!高校生の僕に、今ならこうアドバイスするでしょう。

自分を知る …服装について
2008年3月 9日 07:23

あなたは、どんな服が好みですか。

どんな色が自分に似合いますか。

20歳くらいまで、僕はファッションに殆ど興味が無かったし、自分の服装について無頓着に生きてきました。服の形や素材や種類について余り知らなかったし、どんな服装が似合うのかなんて考えたこともありませんでした。その頃着ていた服といえば、黒、紺、茶などの暗い色調。その時々で安売りの(言ってしまえば、「自分が着たい服」ではなくて、「店が売りたい服」)を着ていました。

そういえば両親とも「とても」オシャレだというわけではありませんし、どちらかといえばあまり服装に頓着しませんでした。服を一緒に選びにいくときも、派手だったり奇抜で個性的なものよりも、長持ちして、体に合っていて、どこにでも無難に着ていけるものを選ぶようにアドバイスされていました。

20歳くらいから服の趣味が変わったのは、自分でなく、お洒落な女性に服を選んでもらうようにしたことがきっかけでした。当時の自己イメージは低く、「自分にお洒落は似合わない」と思っていたし、「地味な服でもいい」と考えていました。しかし、自分のことを高く評価してくれるセンスの良い女性の視線で選んでもらえると、「黄色だって似合うんだ」とか、「タンクトップや花柄シャツも着ちゃえるんだ」と、新たな発見があり、それと同時に自信が高まっていきました。お洒落するのって楽しい!と知った瞬間でした。

結婚してからも、何度か友達の女性に買い物に付き合ってもらったことがあります(もちろん、妻の公認で)。新たな服を買うと同時に、自分のイメージに合わなくなった服はどんどん捨てました。

先日、妻と自己イメージの棚卸をし、今後どういうイメージで行きたいのかについて打ち合わせをしました。ネガティブな発想は排除し、徹底的にポジティブに考えました。
そして、似合う形や色について雑誌モデルを見ながらイメージを固め、実際に妻と服を買いに出かけました。この作業により自己イメージはかなり確立し、今後はスタイルに迷うことがなさそうです。

その際に参考にしたのはこの本。図やイラスト付きで非常にわかりやすく、自分に似合う素敵なファッションが見つけられるかと思います。(※このサイトでは、僕の気に入った商品を紹介していますが、「本を売る」のがサイトやブログの目的ではありませんので、誤解しないでくださいね!)

私達が認知できる世界は、二つ。
それは、自己と、自己をとりまく環境(世界)です。

世界を知ることはもちろん大事ですが、もうひとつ大事なことは自己を徹底的に知ること。

自分はどんな人間なのか?

何が好きで、何が嫌いなのか?

何が似合い、何を食べ、何をして生きて生きたいのか?

どんなことを、なぜ、いつ、どのようにしたいのか?

服装はほんの一例としても、シンプルな生き方とはつまり、自分のことを徹底的に知り尽くし、自分の行動や環境を、自分にとって最適な状態にチューニングすることだと考えています。

自分の好きなものを知り尽くし、日々それを求め、「本当には好きではないもの」「本当には必要のないもの」を身の回りから排除すれば、家はすべてが愛着のある必要なもので溢れ、最高に居心地の良い空間になります。

服、食べ物、住む場所、付き合う人、時間の使い方、お金の稼ぎ方、使い方。
すべてが最適化されれば、人はストレス無く生きられると思うのです。

僕のブログを読んでくださっている皆さんには、そういった世界への僕の探検をご紹介し、皆さんの生活改善の何らかのヒントになれば幸いです。

舞台に立つということ
2008年3月 4日 13:24

ここ数ヶ月で、「変わろう」と思ってから、いろんなことが急激に変化し、内面も変わりつつあります。変わりたいと思う気持ちがあり、行動が伴えば、人は変われるものだと、信じています。

変わったことといえば、舞台にかける気持ち。

先日のソロ・コンサートやフィドル倶楽部でのコンサートでも、お客様の半分は、教室の生徒さんやお知り合いの方で、残り半分はお顔を存じ上げないお客様。楽器をしていない方が大半です。
以前は違いました。殆どが愛好家・演奏者ばかり。終演後のセッションを楽しみに来て下さる方も多かった。殆ど、「内輪の発表会」状態でした。
もちろん、今でも楽器をする方には自分の演奏を聴いて頂きたいと思っています。何かしら、刺激になればと思います。しかし、本当に聴いて頂きたいお客様は、実は普段アイリッシュもフルートも良く知りません、という方です。
そういう方に、小難しいことを考えずに、ただ僕が美しいと思うメロディに心を打たれ、僕が良いと思うリズムに足を動かして欲しい。そんなことを考えています。

過去にプロ音楽家とアマチュア音楽家の違いについて深く考えた時期がありましたが、今なら明確な回答が出せそうです。そのひとつに、アマチュアは自分のために演奏し、プロはお客様のために演奏するというのがあります。

アマチュアの方にも中にはプロ並に上手い方はいます。そして、プロ並に研究熱心で勉強されている方もいます。しかし、自分の研究の成果を出したい、自分のやりたいようにやりたい、自分を理解して欲しいという意識では、プロとはいえないように思います。

確かに研究や練習は大切ですし、僕自身、日ごろの努力を認めて欲しいと感じることも、ままあります。以前の僕は、ステージでやたらと「説明」して、「理解」してもらおうと思っていました。しかし、勉強したことを披露して喜んで頂ける方は、マニアか学者に限ります。そういう方ではなく、普通のお客様に楽しんで頂きたい。
言葉に過剰に頼ることなく、音楽や演奏振りで、お客様に何かを伝える、感じていただく、楽しんでいただく、そういう意識を持ちたいと思います。

本当にお客様にステージに来ていただき、ステ-ジを楽しんで頂き、その関係をずっと維持したいのなら、お客様と知り合いになるのが一番だと思います。つまり、ホームパーティを開くときのホストのように振舞うのです。招待状を送り、会場までの案内をし、お客様に思いっきり楽しんで帰って頂き、その日のうちにお礼状を出すのです。そうして、お客様一人ひとりの個性や考え方に触れると、お客様みんな友達状態。もう舞台は怖くありません。

先日のフィドル倶楽部では、大勢のお客様を前に、開演後しばらくは緊張しました。しかし、途中で冷静になり、「今日は、お客様に思いっきり楽しんで、良い一日だったねと満足しながら床に就いてもらえるために、僕はここに立っているのだ」と考え、それからは緊張も力みもしなくなりました。

ステージでの演奏家の役割とは、「お客様に魔法をかけること」だと考えます。

お客様は、生演奏という非日常空間を体験して、いろんな想念を抱いたり、人によっては夢の世界に行くことを期待しています。演奏上の失敗が許されないのは、「間違ってはプロらしくない」とか、「テクニックが完全でないといけない」からではなく、失敗によってお客様の魔法が解け、日常空間に引き戻されるからです。

魔法にかかり続けて頂くためには、演奏中だけではなく、衣装、舞台演出、MCの場所やトークの内容、チューニングのタイミング、さりげない演奏者へのステージドリンクの準備にも気を配り、準備を完全にしないといけません。まだまだ不完全ですが、先日のコンサートでは良い気づきを得ることができました。

音楽家は、魔法使いなのだと。

子供の頃夢見た魔法使いに、僕はなっているのだと、今日も嬉しく思っています。

いつも応援してくださりありがとうございます。

仕事の面白味
2008年2月26日 08:27

月曜日は、朝に自宅レッスン。

昼間は、秋に西宮で予定されている高校の芸術鑑賞公演について、イベント会社の担当者とダンス・チームのリーダーと梅田で打ち合わせ。数百人の生徒さんに見て頂くことは僕には初めてで、どのようにしたら飽きられず、楽しく、学習にもなる内容を作れるか、それぞれが意見しあい、建設的で有意義な時間となった。
若いイベント会社の担当者はとても協力的で、普段の公演の様子や、他のグループが苦労したり工夫したりしていることを率直に教えて頂けた。ダンスのリーダーの方も、いかに魅せるかについての豊富な経験を語って頂ける。僕は経験が浅いけれど、アイデアの種をまいてみる。打ち合わせって、なんて楽しいんだろう。
3者お互い立場は違うけれど、今回はひとつのチームだと僕は思っている。目的はとにかく生徒さんに感動して頂けるものを作ること。今回だけで収支をみるのではなく、完成度の高いものが出来れば、次につながる可能性が開けるのだ。

その担当者と待ち合わせていた時に、梅田でホイッスル講座の生徒さんの一人で、若くして会社経営をされている方とばったり出会い、これも何かのご縁と夕方にオフィスにお伺いした。僕がいま考えている仕事のアイデアやPR作戦について時間を割いて聞いて頂き、素晴らしいアドバイスやご指摘を次々にいただけた。僕は自分ではちょっとしたアイデア・マンだと思うけれど、僕に足りないのは細部を詰める細やかさ。この方にはどんどん思いついたことを聞いてもらいたい!

帰宅後、夜は自宅レッスン。自宅まで通ってくださる生徒さんは、モチベーションが高い方が多く、皆さんどんどん吸収して確実に成長されているのでとても嬉しいです。

火曜日はカルチャー講座。講師をして1年たったけれど、こちらこそ、毎回勉強をさせて頂いています。とにかく、皆さんに音楽を楽しんで頂き、皆さんの目的を達成するお手伝いをすることが僕の役割。
1年間で、残念ながら辞めていかれた方も多かった。辞めるからには何か理由があるはず。「去るもの追わず」で考えないという講師もいるだろうけれど、今の僕は徹底的に考えてみたい。
考えることが、講師としてさらに成長し、より多くの方に喜んで頂けるようになるのだ。

それまで、ただやりたくてやっていた「演奏・教室・普及活動」の3つが、お互いに絡み合いながら相乗効果で回る様子が、想像できるようになってきた。この仕事は面白い。工夫すればするほど、成長すればするほど、キャパシティが増え、収入に反映されていくのだ。
現状が困難でも、逃げずに、やりきること。そうすることで道が拓けるのだと信じて、目の前の仕事に誠意を持って取り組むことを、改めて確認しました。

健康管理はプロの条件!
2008年2月22日 08:33

いよいよ明日、コンサートの日となりました。

こんなにしっかり計画したのは本当に始めてくらいかもしれません。3ヶ月前に準備を始めたのに、あっという間でした。練習が気になる箇所があったりと、もっと計画をしっかり立てて取り組むべきだと、もう次回に生かすことを考えています。

1週間前から、風邪だけは引かないように気をつけてきました。どんなに忙しくても23時には仕事を切り上げる、朝はちゃんと食べる、帰ったらうがいと手洗い。生姜やみかんを沢山摂る、ビタミン剤も飲んでいます。おかげさまで、風邪は引きそうにありません。というか、今シーズンまともに風邪を引いていません。

どんなに準備をしっかりしても、技術を磨き上げても、体調不良でベストパフォーマンスを出し切れないのであれば、それまでの準備はしていないも同然です。音楽家に限ったことではありませんが、会社員であれなんであれプロと自覚するのであれば、ここ一番での体調管理は当然だと、襟を正しました。

同時に、メンタル面での充実も考えるべきです。こういう時こそ、こちらの緊張が伝わり、周囲と摩擦を起こしやすい状態になっています。家族や友人に対する接し方にも気をつけ、また、マイナスを寄せ付けないようにしないといけません。

今回は「無料のパブ・ライブ」を、「成長する格好の機会」に変えてしまった、我ながらうまいことを考えたものだと思います。まだ終わっていませんが、来年もこのような機会を企画したいと思っています。

好きな曲「だけ」?
2008年2月14日 08:43

今回のソロ・コンサートでは、自分の好きな曲「だけ」を、納得いくように演奏するのだ、と目標を定めていた。しかし、いざセット(メドレーのこと。)を組む段になって、好きな曲「だけ」で構成されたセットは、とてもつまらないものになってしまうことに気がついた。

理由を考えてみたのだが、好きになる曲というのは傾向が似ている。だから組み合わせると似たような雰囲気の曲ばかりになってしまい、変化に乏しくなる。それに、どの曲にも思い入れがあるので、どこが聞かせどころなのかがぼやけてしまうのだ。「好きなものだけ」というのは危険だと思った。

好きな人とだけ付き合う、好きな本だけ読む、好きなCDだけ聴く、やりたいことだけやる…とても素敵に響くけれど、いろんなタイプの人とつきあったり、好きではないけれど必要な本を呼んだり、一般的に人気のあるCDを聞いたり、気が進まなくても必要なことをやったりすることも大切なのだ。料理にも、「箸休め」や「付け合せ」があるではないか。

引き立て役がなければ、主役は輝かないのである。これは、大きな学習だった。では、いかに「優れた引き立て役」と「必要のないもの」を見極めるかだ。

そんなわけで、いよいよ来週のコンサートに向けて、セットを若干組み替えている。

アイリッシュ・フルート奏者として、自分だけの山に登りたい。
ソロ・コンサートという自分にはちょっと高いが、頑張れば達成可能なハードルを課して、ポッドキャストに曲を公開していく…この目標設定は、われながら素晴らしい思いつきだと思った。おかげさまで、日々目的と目標を持ってキビキビと充実して過ごせるようになったし、練習時間がぐっと増え、集中力も上がってきた。記録としても残るので、毎年この時期の恒例にできればと思っています。ライバルは、間違いなく、自分だ。応援してくださる方々に、今日も心から感謝しています。

時間管理のこと
2008年2月 6日 08:22

特にアポイントや仕事が立て込んでいるわけではない日も、いつも慌しいのはどうしてなんだろう?と思い、自分の時間の使い方を監査してみます。2月5日(火)はどんな一日だったかと言うと…
この日は、固定した仕事はカルチャーセンターだけ。あとは自分の裁量で出来る仕事が詰まっています。

7:00 起床。本当は6:00起きの習慣にしたいけれど、
   前日が遅かったので…シャワーを浴びる。
7:20 町内をジョギング。
7:40 朝食を用意
8:00 パソコンを立ち上げ、朝食を食べながらメールの返事を書く。
   メモリ増設を試みるも出来ず、調べたりする。
9:00 朝の家事の時間。風呂掃除、ゴミだし、食器洗いほか。
10:00 トラヴェルソの練習開始。テレマン2曲に取り組む。
   うーん、むずかしい!2時間集中。
12:00 英会話講座。昨日できなかった分の録音とあわせて、30分。
12:40 ボーダーパイプ(バグパイプ)の練習20分。
13:00 昼食を取りながらDVD「クリムゾン・タイド」を鑑賞。
14:00 妻のアイリッシュフルートの練習に付き合う。
15:00 パソコン作業開始。万笛博覧会の企画書を書いたり、
    3月の公演のチラシを書いたり…
17:00 アイリッシュフルートの練習。ソロコンサートの曲目をざっと吹く。
18:00 夕食。
18:30 電車で京都へ移動。ウェブ関係の本を読みながら。
20:00 カルチャー講座60分
21:15 webデザイナーさんとサイト改良の打ち合わせ。
23:20 最終急行の乗り、手帳を整理しながら24:30に帰宅。
~1:40 夜食を取りながら、トラヴェルソの先生のコンサートDVD視聴。
 本当に、何度見ても素晴らしい。ついつい最後まで見てしまう。
今朝は7:40起床。

この日は暇な方でした。個人レッスンがたくさん入ったり練習に出かけるのが普通です。時間管理については、まあまあのパフォーマンスだと思うのですが、午後になると急ぎの用が入ったりして、どうしても練習時間が圧迫されやすいのが不満点です。実際、ソロコンサートのための練習は(トラヴェルソも含めて)3時間しかできませんでした。事務的作業や家事をいかに短時間に済ませて、午前中のうち集中して練習できるかが鍵となります。

さて、今年から活用している道具「タイマー」を紹介します。

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なあんだ、タイマーかと言う事無かれ。ヨドバシカメラで買ったもので、4個まで別々のタイマーがセット可能です。僕は5分、15分、60分、6時間としています。6時間は睡眠用タイマーで、寝る直前にセットします。目覚まし時計よりも正確に睡眠時間を管理できます。
15分は、ブログ執筆や読書などに。1件の執筆は必ずこの時間内に終わるようにします。5分は、短い作業に。練習では、15分タイマーで基礎練習のメニューを組んでいます。ロングトーン15分、運指15分、といった具合です。運指練習などは、はまると次に進まなくなるので、色々な項目をまんべんなく練習したい時はに重宝します。曲でつかえるところは5分タイマーで5分間みっちり練習します。5箇所つっかえるところがあれば、5分×5箇所=25分間という計算です。それでもつまずくなら、5分を繰り返します。

タイマーのお陰で、時間あたりの集中力が格段に上がりました。時間内に出来る作業量を決めておいてスタートするので、サボったり、わき道に逸れる暇がなくなりました。おすすめです。

時間管理についての金言。

・いかに沢山のことをするかではなく、いかに「しないで済ませられるか」を考えよう。(中谷彰宏)
・時間は管理できない。管理できるのは自分の行動のみだ。(フランクリン・コヴィー)

このサイトのこと
2008年2月 5日 08:53

ウェブ・デザイナーの宮田さんと打ち合わせをしてきました。

このサイトが稼動しはじめて1年。最初の半年は更新がマメではありませんでしたが、今年の目標は毎日記事を書き、カレンダーをすべて埋めることです。このホームページは、対面営業が苦手な僕に代わって、みごとに役割を果たしてくれています。アイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルについての記事、曲などはもちろんのこと、僕の考えたこと、ライフ・スタイルも発信でき、読者との距離が縮まっていると感じています。2年前に企画書を提出し、こちらの無理な要望を聞き入れて作業してくださった宮田さんには心から感謝しています。ありがとうございます。

と、同時にこれからの課題も見えてきました。ほとんどの音楽家がそうですが、僕はこのサイトを自分の宣伝にしか利用してきませんでした。自分の演奏活動や商品を紹介するには、充分役に立ちました。しかし、アイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルという認知度の低い狭い世界で、一人気を吐いていても同業者との小さなパイの奪い合いに陥るだけです。それよりは、利用者の利益を最大限に考え、国内のアイリッシュ・フルートやティン・ホイッスル奏者の活動も積極的にここで紹介していくことが、国内でのアイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルの認知度を高め、日本人演奏家の国際競争力を高め、しいては長期的に見ると僕自身にも還元されると考えるようになりました。

以前から持っていた「アイリッシュ・フルート・ウェブ・サイト」も、もとはそのような目的で立ち上げたのでしたし、「万笛博覧会」も、ジャンルを超えた笛文化のプロモーション活動です。

今後は、自分の活動だけではなく、アイリッシュ・フルートに興味のある人がここに来れば内外の色々な動向がわかるよう、メルマガ・ブログ・ホームページ全部において、ニュース配信やデータベース化を重視していきたいと思っています。

春頃からそのような活動に切り替えていく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。

アイリッシュの魅力って何? ①曲の魅力
2008年1月10日 17:41

 いつも考えていて、考えがまとまらず書けないテーマです。

おそらくひとつの日記としてはテーマが手ごわすぎるので、色々な問題定義をして徐々に明らかにしていきたいと思います。これは、あくまでも自分の主観に基づき自分のために書いているので、あまり鵜呑みにしないでくださいね。ご意見などお待ちしています。

 先ほどまで、2月23日のソロ・コンサートの選曲をしていました。

アイリッシュやスコティッシュには膨大な数の曲があります。ダンスがしやすい明確なリズムを内包した曲や、メロディが美しい曲や、技巧を凝らした曲や、個性的な旋律を持つ曲など、それぞれに魅力があります。そして、この曲はこう弾くものと決まっているわけではなく、奏者が「感じる」ものであり、演奏の仕方によっては全く違った魅力が出てくることもあります。

 では、クラシック奏者のように(?)曲の持つ魅力を最大限引き出すのが奏者の役割なのかと言うとそうではありません。ダンスの曲はダンスのためにあるのです。究極的には個々の曲は何も表しておらず(標題音楽ではない)、「ノリ」を出して演奏することが最重要とされます。

 果たしてそうなのでしょうか。

ダンス曲が、ダンスのためだけに存在するのであれば、こんなに沢山もの曲は要らないはずです。リールであれジグであれ、どの曲も踊れることに変わりはないのですから。

 僕は、ダンス曲である以上ノリを大事にするのは大前提として、その曲の持つリズムや雰囲気や情感を引き出してやらねば、何を弾いても一緒のように思います。

 以前は、たくさんの曲を知っていて、それらを上手に弾けることが良い奏者の条件であると思っていました。何千曲という曲は、だてに何世紀も継承されてきたわけではありません。やはり、よい曲だから、譜面に書かれずとも現代まで引き継がれたのです。

しかし、一人の奏者の覚えられる曲数には限界があり、奏者と曲の間にも相性がある。自分の雰囲気に合う曲、自分の演奏スタイルに合う曲を選ばなければと思うようになりました。

 今度の曲は、いわば僕のこれまでの音楽人生のベストテンのようなもの。

自分のキャラクターを表してくれるような本当に良い曲か?

生涯忘れずに弾きたいと思うような本当に好きな曲か?

お客さんに何を聴いてもらいたいのか?

聴いてどんな気持ちになってほしいのか?

これまでに無かった発想で臨んでいます。

働かざるもの食うべからず?
2008年1月 8日 08:53

まずは下記のページを読まれたし。
「教えてgoo」より。

僕も質問者のように思ったことが正直何度もありますから、質問者の気持ちは非常に良く分かるのですが、それに対する回答者の色々な立場・意見が面白いですね。

それにしても、鬱病を患っている可能性のある人に「働かない人には社会的価値はありません」と切り捨てる回答者はいかがなものかと思います。

さて、彼が問うているように「仕事が出来ない=生きる価値が無い」でしょうか?
ここでは、家事労働も含めて考えることにしましょう。

働ける年齢になっているにも関わらず働いていない人はたくさんいます。本人の意思で働いていない人、病気や怪我で働けない人、遺産やギャンブルなどの不労所得で暮らす人、生活保護や障害年金で暮らす人。

確かに、直接的に誰かの役に立ったり、感謝されているわけではありません。税金のお世話になっている人の中には、社会のお荷物といわれても仕方ない人もいるかもしれません。でも、「働かざるもの食うべからず」では、これらの人は皆死んでしまえ、という意見になりませんか。

そう、ナチスドイツでは優性政策をおしすすめていたんでしたっけ?

今の世の中の風潮が、競争をしろ、弱いもんは這い上がれ、となっているように思えます。
努力は尊い事です。そして、努力して成功した人は素直に認めるべきです。
しかし、自然界を見てもわかるように、集団には一定の数で必ず、弱者がいます。
弱者に生きる価値無し、それでは息が詰まります。

みんなそれぞれに、生きる価値があるのだと、僕は思いたいです。

こういう悩みを抱えている方は、加藤諦三の「自分のうけいれかた」や飯田史彦の「人生の価値」をぜひ読んでいただくことをお勧めします。きっと心が軽くなることでしょう。

労働者と経営者
2007年12月25日 06:33

友人(といっても一回り年上)のご夫妻が経営している建設会社が年末で猫の手も借りたい状態、とのことなので、お嫁さんと一緒に手伝ってきた。久しぶりの事務作業のバイトである。手伝いに行ったのは、会社設立の経緯や事務のノウハウをちょっとでも見てみたいと思ったからだ。

ここは舗装を専門に高卒で20年間やってきた旦那様と、外資系の会社の社長秘書をやってきた奥様が今年設立した会社で、役員のご夫妻を除くと社員数1人+アルバイト(かな?)と小規模だけれど、とても繁盛している様子だ。作業の内容は書類作成と伝票の整理なんだけれど、たくさんの刺激を受けて、その後で色々なことを考えた(仕事が終わるまでは忙しすぎて全然余裕がなかった…)。

いまさら言うまでもないが、世の中の頭脳明晰で仕事がものすごく出来る人というのは、学歴とは一切関係なく存在する。70年代に生まれた僕達には終身雇用や学歴社会というのは高校を出るくらいまではしっかりあって、それを支えていたのは高学歴→高収入というレールが前提だった。今こんなことを言おうものなら鼻で笑われてしまうだろう。僕もまたそれを信じて一生懸命に勉強を頑張ったタイプだ。

でも、現在は高学歴のフリーターが世にあふれているし、大学院に行っても就職難が深刻だ。それよりも中卒や商業高校卒や専門学校卒で手に職をつけている人のほうが数倍も稼いでいる。大学生だけど信じられないくらい未熟な子もいるし、学歴って見栄と趣味の問題なんじゃないかと真剣に思う。今、自分のお金で社会人学生として大学に入れたら学費をどれだけ有効に使えるかわからない。

良く中卒の社会人は「自分は学が無いから…」という。先日もある漫才師が本にそう書いていた。でも、学が無い人こそ学習意欲が高くて一生勉強する。それに比べて難関大卒でもう勉強は終わったんだからと気を抜いてしまうと、その差はすぐに縮み、やがて抜かれてしまう。人生の中で学校で学ぶ時間と量なんて、たかが知れているんだ…。

この会社に関して言えば、奥様は社長秘書時代に会社の運営やジムのノウハウを身につけ、結婚後は旦那様に独立を薦めてずっと励ましてきたそうだ。現場のプロと会社運営のプロの2人は、本当にベストパートナーだと思う。どちらか片方では会社にはならなかったことだろう。そして、お二人とも本当に頭が良くて、仕事ができるからここまで出来たのだ。

僕は人の期待に応えるために勉強に励み、こんなことを覚えて何になるんだろう、と疑問を持たずに、言われるがまま期待されるがままに勉強してきた。国語 算数 理科 社会…。社会人になって役に立った知識なんて、本当に少ない。それよりも、常識や生き方やお金の稼ぎ方や使い方を学んでおけばよかった。成績は良くても頭は悪かった、と言われても仕方が無い。でも、今からどうするかが問題なので、後悔はそのくらいにしておきます。

経営者と労働者の差というのにも考えさせられた。

優れた労働者が経営者になれるのではない。志があり頭の良い労働者が経営者になるのだ。この会社の社長のように20年現場をやってきたって、ベテランの職人で一生を終える人もいる。
何十年現場で経験を積んだって、会社登記の方法や税務処理や事務の流れが身につくわけではない。現場で完璧に仕事が出来た上で、さらに時間とエネルギーを使って勉強ができる人だけが、上の立場になる資格を持つのだ。

音楽でも一緒だ。日々のレッスンやコンサートに追われるだけではなく、その上プラスアルファをして自分の価値を高めることができる人だけが、上にいける資格を持つのだ…。

労働者と経営者は世界がまったく違う。労働者は、自分の給料を時給や日給や月給で計算する。いくら目の前の仕事に没頭して成果を上げても、給料は「いくら(時間)働いたか」で計算される。時間をお金に変える世界にいる限り、いきなりものすごく儲かる、ということはありえない。
よく、アルバイトが定時(例えば時計が16:59から18:00に変わる瞬間)になるまでタイムカード機の前で待ってからタイムカードを押す、というのがあるけど、経営者には理解できない発想だと思う。
そういう感覚に慣れてしまうと、自分の価値は時給いくらいくらです、と時間を切り売りしてお金に換える発想になってしまう。そうなれば、たくさん稼ぐのは困難になるだろう。僕も昔はそういう発想だった。

経営者は、ビジネスがまったく儲からないときもあれば ものすごく儲かる時もあるから、時間をかけたら稼げるわけではないことを良く知っている。だから仕事には、ある意味で時間の感覚がない(一方でものすごく時間にシビアだったりするけど…言っている意味、伝わりますか?)。
日々の稼ぎはもちろんだけど、それ以上に遠くのビジネスチャンスを見据えているから、細かいプラス、マイナスでは動じなくなる。そうなると、沢山稼げる可能性も出てくる…。

労働者の視点でいる人は、視点を変えない限り一生労働者で終わってしまう。たとえ資格を取ったりして「優れた労働者」になって、より多くを稼ぐようになっても。

今あるフリーターや派遣労働の雇用問題で深刻なのは、正社員の雇用が少ないだけではなくて、労働者が単純労働や時間をお金に換えるその世界に馴染みすぎて、稼ぐ力や稼ぐための視点を持て無くなっていることでないだろうか。

音楽稼業は、たった一人の自営業者であり、もともと無いところに雇用と需要を創生するベンチャー・ビジネスだ(だって、極端な話自分がなくても世の中の音楽ビジネスは回ってますからね)。

御社の強みはなんですか、御社の企業理念はなんですか、と聞かれてしっかり応えられる商品や体制を作っていきたいと切に思う。

汚くて、美しい話
2007年12月18日 00:54

今日は午前中と昼、夕方にレッスンが計3件。

最初の生徒さんに、朝早いのはつらいですか?と聞かれた。いいえ、そんなことはありませんよ、大体は午前8時までには起きて、朝ごはんを食べ、お風呂に入り(うちはお風呂は朝にゆっくりつかります)、3日に1回は洗濯をして、家の前を掃き、ゴミを出したりしてから練習しますよ、と言うと、とても驚かれてしまった。音楽家っていうのは夜型だと思われているご様子だ。

習慣の力ってすごい。僕は食後すぐと演奏前には歯を磨くこと、基礎練習(特にロングトーン)、ブログを書くこと、水を沢山飲むことなどを、半ば意図的に続けて毎日の習慣にしたけれど、最初は面倒だったりしたことも、習慣化すると、それをしないと気持ちが悪くなってくる。歯を磨かずに布団に入るなんて考えられない!さらに、散歩や英会話も加えたいなあ。ここが中々上手くいかないんだけど。

今日は珍しく京都のセッションに行った。その帰りの阪急の大阪行きの最終急行で、思いがけず感動する出来事があったので、報告します。

京都の烏丸から電車に乗り、対面ベンチ席(ボックス席ではない)に運よく座ることが出来た。同じ駅で、若いカップルが乗ってきて僕の向かいのベンチに座った。年は20代前半といったところ。男のほうは、女の子の肩に寄りかかっている。甘えているんだろうな。僕は気にせず本を読んでいた。

しばらくして男が、手に持っていたペットボトルを床に落とした。それが向かいにいる僕の足元に転がってきたので、キャッチして、女の子に渡した。その時、男は甘えているのではなくて、泥酔していることに気が付いた。

高槻駅で電車が停車したとき、どうやら彼らの降りるはずの駅だったらしく、女の子が、起こしても起きない男の肩をかついで電車を降りようとドアに歩いていった。ところが、こともあろうにドアの前で男がバランスを崩し、女の子と一緒に倒れこんでしまったのだ。しかも、そのショックで男は吐いてしまったらしい。ドアは閉まり、男はうずくまったまま。衆目を集める中で、女の子は顔を真っ赤にして、困ったふうでひとり男のそばで寄り添っていた。

しばらくして、次の停車駅の茨木で女の子は男をホームに降ろした。普通だったら、一緒にそこから高槻まで戻ることだろう。でも、なんと女の子は電車に戻ってきて、男の吐しゃ物をティッシュでひとり掃除しはじめた。その様子を、誰も手伝うこともなく回りは見ている。僕も何かを手伝いたかったけれど、あいにくティッシュも何もなく…。ふがいなさを感じてしまった。

床を綺麗にふき取ったあとも、女の子はその場を離れず、皆の目を気にせずに次の駅まで立っていた。僕が彼女だったら、まず茨木で男と一緒に電車を降りたと思うけれど、床を掃除したとしても、同じ車両にずっと残れるだろうか…。恥ずかしさで別の車両に行ってしまうだろう。

女の子の責任感の強さと、彼への愛情に本当に感動してしまった。
こんな子は中々いるものではない。そんな苦労かける男は、罰当たりな果報ものだ!お酒をやめて、彼女に尽くすべき。

人間のふとした優しさ、美しい心に触れるとき、思わず泣きそうになるほど感動してしまう。
そして、憎悪や欲や悪意に触れるとき、とても悲しい気持ちになってしまう。

ああ、この世は面白い…。

ネガティブになること
2007年12月14日 12:31

昨日の話題の続きですが、本田健氏の本を読み進めていてその答えがありました。それは、こういったことです。

誰もが、変化を恐れるのだ、それが良い変化であれば特に…。多くの人は幸福のために多くを変えるよりは、平凡な幸せがずっと続くことを望む。やっかいなのは、それを自分ばかりでなく他人にも求めることだ。
飛行機が飛び立つには風がないよりも、向かい風があったほうが離陸しやすいのと同じで、
自分を変えることに対する批判やネガティブな意見は、飛び立つための向かい風なのだ。

ネガティブな意見は、すなわち、長年僕を見て僕を知っている彼だからこその応援の形だったのですね。安心しました。そして、僕はこうした変化の過程を楽しみながら、成就させることを確信しました。

ネガティブな友人
2007年12月12日 06:25

「自分の話すことに注意しなさい。普段君が話していることは、君の未来を作る。君が人の悪口、否定的なこと、ゴシップの話をすれば、君の将来はそういったネガティブなもので満たされる。」
本田 健 『ユダヤ人大富豪の教え』 ( だいわ書房 ) p132より

先日、久しぶりにある友人と話をしたときのことだった。僕は、ここのブログに書いてきたように、和歌山に旅行に行って以来(!?)、大変化が起こっている。

これまでの人生と音楽へのかかわり方を心から反省し、変化することを決めた。具体的には、お金にはなるけれど嫌いな仕事、興味がない仕事、やらなくても良い仕事は毅然と断り、自分のお金と時間を大事にし、演奏する曲と共演者を厳選して、自分の本当にやりたい音楽の研究と演奏に集中すること…「選択と集中」を決意した。

それからというもの、お酒を断ち、mixiをやめ、身の回りから不要なものをどんどん廃棄していきった。「お金にはなるけれど嫌いな仕事や興味のない仕事は断ってきた。自分の音楽をお金を払って聴きに来てくださるお客様のために、毎回、妥協せずに最善を尽くすことを決意した。これまで、なんてヤワな気持ちで演奏をしてきたんだろうか。本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいだ。

来年の展望としては、あれこれいろんな相手といろんな曲を演奏してきたことを改め、「これが自分の音楽です!」と言える曲と演奏スタイルを作ることに専念し、それをいつでもベストの状態でお客様に聴いて頂けるように磨きあげることに専念する。そのため、音楽を追求していける仲間(共演者)も1人に絞った。

友人に来年の展望を訊かれたのでそのようなことを話したとき、彼からはこんな言葉が返ってきた。

「たくさんの曲を弾けるのが君なのだから、曲にこだわるようなのは向いていない」

「こだわりというものは生来備わっているものだから、後から考えて作ろうとしても無理だ」

「(僕が共演者として選んだ人)は、自分のスタイルや曲へのイメージがしっかりあるから、伴奏者としてはうまく折り合えないだろう」

長年の友人のこのようなネガティブな言葉に、返す言葉もなく、がっかりしてしまい、それ以上このことに関しては何も話す気になれなくなった。なぜ彼はこのような言葉を発したのだろうか。友人としての助言だろうか。しかし、一体、こんな助言がどんなプラスの価値を生むのだろう。

助言というのは、覚悟がいるものだ。相手の立場に立って、相手の幸福のためにその人が間違った道に進まないようにすることだと僕は思う。そして、どの道に進もうとも、その人の失敗を慰め、前途を応援してあげたい、というのが善意のある助言だ。

ことわっておくと、彼はいつもマイナスの言葉を発しているわけではない。むしろ、逆だとまわりからは思われていると思う。では、彼は、僕のことが嫌いなんだろうか?この段階ではなんとも言えない。

ただ明らかなのは、世の中にはどんなに正しいことや素晴らしいことをしている人にも、それをやっかんだり、妨害したり、嫉妬したり、足をひっぱる人はいるということだ。自分もその立場にいたことがあるから、よくわかる。

そして、やっかいなことに、こういった「ネガティブな意見」は、「もっともらしい助言」の形を取って発される。その言葉が、相手の心のどのあたりから出ているのかをよく考えることが大事だ。

僕は昔から気をつけていることがある。ネガティブなことは口に出さないことと、悪口や噂話はしない、ということ。

「自分は、もうダメだ。」「何をやってもうまくいかない」と口にしていると、自分の前途は暗くなる。
「あいつはダメなやつだ。」と言う人は、自分もそう言われる立場に進んで身を投じている。
奥さんに、「お前の料理はいつもまずいよな」といえば、永遠においしい料理にありつくことは不可能になり、「今日もしょぼくれた顔だな」といえば、どんどん奥さんの人相が悪くなっていく。そればかりか奥さんからの信用や愛情も失われていく…。

言葉というのは、現実になる。

説明するまでもないけれど、こういうことの逆をすれば、どんどん運が向いて、楽しく、幸せになる。

友人の言葉にはとっても落ち込んだけれど、それがバネになって、燃えさかる闘志が湧いてきた。

欲が苦しみの根源
2007年11月28日 03:28

カルチャー講座の帰りに、梅田の紀伊国屋に寄る。読みたい本がたくさんあって、いつも本屋さんでは時間がいくらあっても足りない。

そうそう、本を衝動買いしない工夫を身に着けた。買いたくなった本があったら、その場で本の表紙を携帯カメラで撮影する(本の中身ではないので、店員さんには怒られないはずだけど、この点は確信が持てない)。自宅に帰ってからamazonでその本を調べて、レビューを参考にする。よさそうだったら、マーケットプレイスに安く出ていないかを確認する。時々、恐ろしく安く出品されていることがある(1円とか)。

でも、面白そうでも人生の必携書に値する本はそれほど多くないことに、人生30年近く生きてきてようやく気がついた。それからは、なるべくは読みたい本は図書館で借りて読む習慣に変えた。もし図書館になければ、リクエストをしたら良いのだ。

先日とあるクラシック音楽家のおうちにお邪魔した。クラシックの方は本当に勤勉だ。壁一面に奏法や歴史や音楽学や理論の本がぎっしり。これを見て、僕はあえて逆を行くことを決意した。置いておく本は、絶版しそうな本や楽譜、いつでも必要になりそうな資料にしていこう。

日ごろから金言に出会ったら何かに書き溜めておこうと思っていて、単語帳や手帳など色々手段を考えたけど、ブログにつけたらいいことに気が付いた。これなら、カテゴリーごとに分けられるし、外出中でも携帯からメールできるし。ということで、早速作ってみた。いつまで続くか分からないし、全く私的なものなのだけど、もし良かったら思い出したときに見てみてください。たぶん、3ヶ月くらいしたらそこそこの記事になるかも?

有り余る知的好奇心が僕を苦しめる…。読みたい本や勉強したいことは山ほどある。何より、練習と音楽を最優先にした。人生の時間は短い。「選択と集中」…と、念仏のように唱えて、本屋を立ち去った。

運について
2007年11月25日 10:52

今日は千里でのカルチャー講座。月に2回のここの講座は生徒さんもすっかり打ち解けて、リラックスした雰囲気で、とても教えがいがある。いくつもの講座をしているけれど、本当に人間関係は化学反応だと思う。そして、ここの反応はとても良いみたい…!

教室が終わってから、携帯電話がなくなっていることに気がついた。生徒さんも一緒に教室を探してくれたけど、見つからない。地下鉄に乗ったときはメールを使ったのを覚えているから、きっとカルチャー教室への道の途中で寄ったトイレに置いてきたに違いない…と思い当たった。
それで、そのトイレに行くが、もうすでに2時間も経過しているので、あるわけもない。生徒さんに、心無い人に拾われたら大変、とか、警察に届いているかも、とご心配を頂いたけれど、その直ぐ後に寄った落し物センターに届けられていた。

落とした場所も分かっていたので、見つかる確率は高かったのかもしれないけれど、やはり運が良かったと思う。生徒さんの言うように、もし心無い人に拾われていたらどうなっていたかわからない。

運といえば、明日から宝くじが発売になる。あたりが良くでる券売所でくじを買うために一日並ぶ人もいるそうだ。僕はこれまで一度しか宝くじを買ったことがないし、それも興味がなくなったので当たりかどうか見ることもしなかった。が、あたる人は当たる。今年で億万長者が累計5000人になるのだそうだ。ちょっと興味があって、「宝くじの当て方」で検索をかけてみた。きっと、何かしらのテクニックで当選確率が上がることは出来るのではないか、と期待したからだ。

すると、神棚にくじを置くと良い、とか、玄関を掃き清めると良い、とか、およそ宝くじの当選とは結びつかない「げん担ぎ」の情報ばかりで落胆した。確立と結果の集計で、科学的に、どこどこの県は当たりが多かった、どこの売り場が多かった、とはいえるかもしれない。けれど、それは過去のデータなので、今に生かせるとも思えない…当たるときは、どこでも、誰でも、たった1枚のくじを買っても当たるものなのだろう。

これまでの自分は「運」とか「ツキ」とか「流れ」というのを信じてはいなかった。学生の頃だけど、身の回りのある人がある人と喧嘩をして、僕はその人に色々アドバイスをしたのだけど、結局その人は相手の星を占って、「めぐり合わせが悪いので」関係修復を諦めた。僕はその時、そんなことより目の前の問題を何とかしようよ、と思ったのだけど、今なら、その人はそういうものを使って自分の本当には関係修復はしたくないという気持ちを理論づけ(?)ていたのかなと思う。

でも、この頃そういうものがあるのかな、と感じ始めている。習慣や考え方や自分しだいで人生はどうにでも変えられると。それは一見因果が見えないけれど、考えてみれば当たり前のことのように思う(よい笑顔を作っていればツキが来る、とかそういう類のこと)。

やっぱり星占いやジンクスやまじないに人生の選択を委ねたくはない、という気持ちは変わらない。自分の経験と信念で自分なりのツキの呼び方を体得していこう。

ヴァイオリンとヴァイオリニスト
2007年11月23日 13:09

僕は生まれ変わったらヴァイオリン弾き(それも超一級品の)になりたいと願うくらい、ヴァイオリンが大好きだ。学生の時に、生まれ変わったらと言わずに、今から始めてみたら20年計画くらいで願いがかなうかもしれないと思って、知り合いから中国製ヴァイオリンを譲り受けて弾いていたことがあった。実際に、フルートもフィドルも名人芸的に弾く音楽家はアイルランドに数多い。しかし、笛のように音程が決まっていないので自分の音痴さに苛立ち、運弓も分からないので手放してしまった。先生について習えば少しはましだったかもしれないが、まあ、それほど本気ではなかったということか。

ヴァイオリンにこれほどまでに魅せられるのは、この世のものとも思えないくらい美しい音も、情熱も、乱痴気騒ぎの楽しみもすべて表現しつくしてしまうその余りに人間的で、かつ人間離れした表現力ゆえ。本当に心打たれる音楽に触れる時は、実はフルートよりもヴァイオリンの演奏が多かったりする。それだけに、音程の定まらない、運弓がちぐはぐなヴァイオリンを見ているとなんとも気の毒な気分になってしまう。

昨日、大阪の図書館でパールマン演奏によるパガニーニのヴァイオリン協奏曲のCDを借りてきた。なんともイタリア的な作風にのってヴァイオリンの至芸が展開されるこの曲に、すっかり虜になってしまった。
パガニーニといえば、ヴァイオリン独奏のための「24のカプリース」という練習曲がある。重音や飛ばし弓やピッチカートなどを駆使した超絶技巧練習曲集である。パガニーニのプロフィールを読むと、ヴァイオリンを始めて数ヶ月ですべての曲を弾けるほどのテクニックを身に付け、成人してからは賭博に女好きで、最後は病気で亡くなったという彼自身が、余りに人間的でかつ人間離れしており、ヴァイオリンそのもののように感じる。

中でも、人間離れした演奏振りに悪魔に魂を売ったからではないかと恐れられたり、賭博でヴァイオリンを賭けて負けて愛器を手放してしまったり、芸が盗まれるのが怖くてカデンツァ(即興的な独奏)の楽譜を作らなかったとか、シューベルトが家財道具を売り払ってまで彼の高いチケットを買ったといった話が秀逸である。彼は弟子を取らず、自分の芸を一代で途絶えさせたというが、パガニーニがビデオに録画されていたら、いや、楽譜に書き留められていただけでも、彼はどれほどの影響をこんにちのヴァイオリニストに与えられたか計り知れない。

このCDで演奏をしているのはユダヤ人のイツァーク・パールマン。現代を代表するヴァイオリニストである。彼は若い頃に下半身不随になり、車椅子で演奏活動をしているが、その演奏は五体満足なヴァイオリニストよりも、自由そのものだ。日本人でも色々なヴァイオリニストがいるけれど、僕がテレビで始めて見たその時に一瞬で心を奪われたのは川畠成道さん。彼も、目が見えないにも関わらず、ぞっとするほど美しい音色を奏でる。パガニーニは背が低く醜悪で病弱だったと伝わっているが、そのことと才能の関係にはとても興味がそそられる。

フルートと実に相性の合うヴァイオリン。これからも沢山のヴァイオリニストと共演する機会があると思うけれど、いつも彼らの音色をとても楽しんでいる。

(日記により語尾「だ・である」「です・ます」体がちぐはぐですが、自分の日記や感想は前者で、読者に語りかけるようなときは後者で書くようにしています。)

楽器とのご縁の話
2007年11月22日 08:37

昨日は元・Butter Dogsのメンバーによる練習。4月の東京での万笛博覧会以来、半年振りにきちんとしたハーフ・ステージを勤めることになりました。半年前の曲をそのまま演奏するのですが、もう曲を忘れて大変です。ソロパートで何をやっていたのか、全然思い出せません。練習に来る前に自分の演奏音源を聴いて復習しておくんだった!
でも録音を帰りの電車で聴いていたら、自分の笛については半年前よりは良くなってました(自己評価ですが…)。基礎練習の成果かな!?

それはさておき、ギターのゲンタ君が、たぶんここ1年くらいの間、東京で一目惚れした子を連れて来ていたのに、今日は昔の子と来ていました。なんで?と聞いたら、「俺がいくら頑張っても、答えてくれなかった。成長してくれなかった」からなんだそうです。出会った頃は最初は声が大きくて「ライオンみたいだ」とか言っていたのに、近々、売るかもしれないんだそうです。古い子は、ドイツのドライゼンタさん、今日の子はローデンさん。ドライゼンタさんは、御茶ノ水の楽器店で一目ぼれして即買いしたギターなのです。

ゲンタ君の楽器に対する話を聞けば聞くほど、僕には恋人の話にしか聞こえません。昔にどこかで、ミュージシャンにとっての楽器は、どこに行くにも一緒だし、ご機嫌を常に伺わなければならないし、仕事上のパートナーでもあるので、恋人かそれ以上の存在だと書いたことがありました。来年には僕の新しいアイリッシュ・フルートが届きますが、同じメーカーによる今の笛と、新しい笛のどちらかを選んでどちらかを売らばねばならず、身につまされます。

同じような話が今週行ったパブのセッションでもありました。僕が、新しいアイリッシュ・フルートを注文した話をしたところ、「アイリッシュ・フルートを買うのって難しいんやろ?」と質問されました。確かに、日本の店舗では取り扱いがないし、海外のメーカーに直接連絡を取ったり、入金したり、長い待ち時間があったりと手に入れるまでの過程には手間がかかります。しかしそれ以上に大変なのは、両手の指の数くらいある名の通ったメーカーから自分好みの楽器を見つけることです。

「世界1のヴァイオリニストは誰か?」と聞かれても、人それぞれ好みがありますから、あるレベル以上は決められないのが本当でしょう(いくら、世界一を決めるコンクールがあったとしても、それは審査委員の基準なわけだし)。アイリッシュ・フルートもそれと同じで、それぞれのメーカーの個性や方針があるので、あるレベル以上は好みの問題なのです。だから、自分の音楽の志向と楽器の特徴がマッチしていないと、いくら高いお金を払っても良い楽器には巡り合えません。

そのためには、日々の練習と、楽器についての情報収集が欠かせません。何せ、クラシックフルートのように店舗で吹き比べが出来ないこの楽器。アイリッシュ・フルート奏者どうしが出会うと、相手の楽器を吹きあったりしますが、それは情報収集のためなのですね。同じメーカーでも常に品質のばらつきがあるので、もう手元に来た楽器とのご縁を信じるしかありません。僕の楽器は、5社から絞った挙句に、メーカーとの長いメールのやりとりをし、最終的にはスイスに行って頭部管のタイプを選ぶなど慎重にしましたが、それでもこれがベストマッチなのか自信はまだありません。さしあたって問題や不満はないので、あとは自分の努力の問題だとおもっています。

楽器にこだわるのは、質の良い楽器によって演奏者のレベルがぐんと引き上げられるからです。もちろん、いきなり最上級の楽器を手に入れても使いこなすのは無理でしょう。僕も、今の楽器にくるまでに2本のフルートを経てきました。これ以上はもうないかも…と思いつつも、さらに自分を高めてくれそうな楽器に出会ってみたいものです。楽器との出会いは、人との出会いと一緒。ご縁を信じましょう。

シンプル・ライフについて
2007年11月 7日 12:24

最近、シンプル・ライフを学ぶことに興味があります。自分の考え方の傾向や行動を観察してると、驚くほどシンプル・ライフ志向であることがわかりました。シンプル・ライフについて殆ど本は読んでいませんが、実践していることをご紹介します。

第一段階はモノです。

・不必要な物を捨てる。聴かないCD、着ない服、読まない本や、義務感で持ち続けているもの(いつか読まなければと思っている雑誌など)は迷いがあれば、とりあえず捨ててしまう。高かったけれど着ない服などは、捨てるときに心の痛みが伴うもの。でも、それを生かして買うときによく選んで買うように心がけること。

・余分なものを家に持ち込まない。特に、タダでもらえるノベルティや、人からのもらい物、おみやげ物、プレゼントに注意。普段から、物は要りません、という意思表示を。買いたい衝動が起きたときには、すぐに買わずに1週間、1ヶ月待ってみる。

・本は図書館で読み、どうしても手元に置いておきたいものだけ買う。CDはダウンロードサイトを利用する。

・モノは適材適所に。すぐに取り出せるように整理する。収納スペースの7割を越えないように常に一定の量を保つ。

・出したものをすぐにしまう。壊れたらその場で修理する。汚れたらすぐに掃除する。終わったらすぐに捨てる。借りたら直ぐに返す。を習慣にする。

このほかにも色々とありますが。今回は良いと思った本を紹介します。

「持たない暮らし」
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モノは時間とエネルギーを消費する、という考え方が素晴らしいです。シンプルライフの入門書として推薦します。

「シンプルライフ・シンプルラブ」

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主に夫婦関係を扱った本で、結婚生活について考えるきっかけを与えてくれましたが、シンプルライフの本としても優れています。特に、車や家や家電などの物質的豊かさを目指して収入アップ競争に巻き込まれてしまう現代社会で、不要なモノを買うためのお金を稼ぐ労働時間を減らし、その時間をパートナーと向き合ったり、自分のやりたいことを追求するために使う暮らしを提案している箇所が素晴らしい。

お金は人生の大いなる目的(使命、と言っても良いかも知れません)のために稼ぐのだと心得て、収入やモノに振り回されることなく、充実して生きることの大切さを学びました。

たとえ低収入でも、その範囲内で必要なものをまかない、時間を有効に使いながら幸福に暮らすことは可能です。要点は、収入の多寡ではなく、時間とエネルギーを幸福のために使えているのかどうかということでしょう。

必要なこと、出来ることと出来ないこと
2007年11月 6日 03:24

静かな夜。今日はとても疲れていたので、帰ってすぐに眠ってしまったら、夜中に目が覚めてしまった。図書館で借りてきた本を読みながら眠気が来るのを待っていたけれど、考えたいことがことがたくさんあって、起きてまた物を捨てたり、整理したら、心が落ち着いてきた。今はこういう時なんだと思う。

今まで必要なものもそうでないものも、無反省に生活に取り入れていた。CDでも楽譜でも、それが自分にとって有意義かどうかよりも、収集すること自体に満足していた。物を持つことが力になるのだと思っていたのではないか。
CDも楽譜も、それを聴いたり弾いたりすることに費やすことの出来る時間なんて限られているのに。これからは、手元に来たときに必要なのかそうでないのかを判断して、必要なものだけを身の回りにおいておこう。

今日、昨日の日記に書いた大学の民族音楽サークルのOBによるコンサートのための練習があった。それぞれがオリジナル曲を持ち寄って練習した。どの演奏者も実に個性的で、それをのびのびと生かして演奏が楽しめるのが素晴らしい。後輩の、「ザッハトルテ」というバンドで活躍中の2人は、楽譜の視奏は僕や木場君に比べると速くないし、要求どおり器用に弾きこなせるタイプの音楽家ではない。でも、彼らは自分の音色を持った、本当に優れた音楽家だと思う。僕は、「出来ること」が沢山あることが良い演奏者だと思っていた。楽譜に強く、作編曲が出来て、即興演奏が出来て、聴音が出来て…でも、スタジオミュージシャンで生計を立てるならともかくも、それらは出来るなら便利だけれど、音楽家の本質ではない。やはり、自分の音を追及することが一番大切だ。

僕の尊敬するギター奏者の足立宗亮さんは素晴らしい曲を書くし演奏技術も並外れて高いけれど、楽譜は読み書きできないので、バンドのヴァイオリン奏者の壺井さんにしてもらうのだそうだ。人間には色々なタイプがあり、向き不向きもある。要は自分の才能・使命を見出し、不要なものを排除し、必要なものに時間とエネルギーを集中させることが幸福への道なのだ。

どこまでもその人の音
2007年11月 4日 18:25

僕が学生時代に友人と立ち上げた立命館大学の民族音楽サークル「出前ちんどん」は、来年でもう10周年になります。卒業とともに引退してからは殆ど関わることが出来ませんでしたが、今でも僕のことを大切にしてくれる後輩もおり、こんな先輩だけどこれまでよく続いたなあと感慨にふけってしまいます。

1~3期生からは多くのプロ奏者が輩出され、中にはメジャーデビューした仲間もいますが、とってもユニークなメンバーばかりだったため音楽性がばらばらで、日ごろはなかなか一緒に音楽をすることが出来ません。

そのOB有志によるリユニオン・ライブをしようと考え、年末12月28日に京都のライブハウス「アバンギルド」で行う企画をしています。これまで飲み会のたびに口にしては実現してこなかった企画です。

出演は、僕のほかに胡弓の木場大輔、ジャンベの三好東曜、バンド「ザッハトルテ」で活躍中のアコーディオンの都丸智春、同じくギターのウエッコ。

今回は、それぞれのベースになっている日本やアフリカやケルトの伝統音楽ではなくて、オリジナルを持ち寄って共演するという趣旨。胡弓の木場君から楽譜とMDが届きましたが、本当に彼らしさが出ている作品です。他のメンバーの曲も楽しみ。

それとは別のお話ですが、先日、僕がゲスト参加させて頂いている東京のバンド「リヴェンデル」のお二人から、最近彼らがザバダックというバンドと一緒に出したCD「宇宙のラジヲ」を頂きました。

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リヴェンデルのアコーディオン奏者の藤野由佳さんの作品も含まれているのですが、これもまた、どこまでも彼らの音なのですね。もう、本当に彼ららしくて素敵でした。

僕の中で最近色々なことが変わりつつあります。これまではテクニックがあって、色々な演奏者と合わせられて、沢山の曲を弾きこなすことが出来ることが、良い演奏家の条件だと思っていました。でも、僕はそれほど器用ではなかったようです。そして、そのような「どこでも通用する演奏家」、というのは、世間の求める聴きたい音楽家というよりも、どちらかというとプロ受けする音楽家のようです。

一生は、何かを追求するには余りに短い。

これからは、自分のやりたい音楽を絞り、自分の好きな曲を一生懸命磨いて、自分らしさを大切に演奏活動をしようと心に誓いました。そして、木場君やリヴェンデルのように、どこまでも自分らしい音楽を作っていこうと思います。音楽活動10年目の誓いです。

さて、そんなわけで僕も年末のライブに向けて3曲作曲しました。伝統音楽には優れた曲がたっくさんあるので曲にこまったこともなく、自分が作るまでもないと思っていました。しかし、これからは自分らしさの出る曲、自分が喜びを感じられる曲を作ることも活動の一環にしていきたいと考えています。

12月のライブをどうぞお楽しみに。

「求めない」思想
2007年11月 2日 01:51

最近、本屋さんで『求めない』という本が平積みされている。時々立ち止まって、ぱらぱらとめくって読んでみる。文章量が少ない本なので、すぐに読めてしまう。この手の本というのは、言葉や内容よりも、サブリミナル効果というか、反復効果というか、潜在意識に訴えるのを期待しているのだろうか?

『求めない』これは、色々な意味に取れる。何を求めないのか、は書いていないからだ。「我慢なさい」とはちょっと違う。我慢することは、結局は求めていることなのだ。

人間は、求めるものだ。求めないと、生きていけないからだ。

生きていると、『求めなさい』とあらゆるところからプレッシャーがかかる。季節が変わったから新しいファッションを求めなさい、体にいい食べ物を求めなさい、恋人がいるのが普通だ、結婚したら子ども作るのが普通だ、英語くらい話せて当然、太ってはいけない、はげてはいけない、新聞読みなさい。ああ、面倒くさい…!!

僕は、『求めなさい、必要なものだけ』だと思う。何が必要で不必要なのかがきちんと分かれば、いらぬものへの渇望は無くなる。「求めなさい」ばかりにまみれて求めたいものが見えていないことがとっても多いように思う。「求めなさい」のプレッシャーを無視して、求めたいものだけを一心に求め続けるのは実は結構勇気がいるものだろう。

僕も、普段から実践している「求めない」がある。

人というのは、自分の思い通りにはならないものだ。「人を変えることは出来ない。変われるのは自分だけ」という言葉には深く共感する。人に期待をするから、期待どおりにならなかったときに腹が立つ。

旦那が仕事から帰ったとき、ご飯が出来ていないと、妻に腹を立てる。
妻が、旦那が旅行にも連れて行ってくれないと、旦那に腹を立てる。
先生が生徒に、こんなにも丁寧に教えたのにまだ分からないのかと腹を立てる。
彼女が、私はこんなにも彼のことを愛したのに、彼は浮気をしたと腹を立てる。

自立した人間なら、誰もが自分の稼ぎは自分で作って、自分の食事は自分で作らなきゃいけない。
(夫婦が会社と家事の労働契約でも交わしたというのなら別だけれど…そんな家庭って!?)
旅行に行きたければ、自分で旅行の計画を立てて、行けばいいのだ。
生徒がいつまでたっても覚えなければ、先生の教え方がまずいか、努力の方向が間違っているのだ。
愛したから同じ分愛せなんて、愛は取引ではない(愛は、ただ与えるだけのものだ)!

人には求めない、自分に求めよう!自分が求めるものは、頑張って手に入れよう!

そして、僕はその本を「求めなかった」わけだが…。

世の中、うまく出来ていると思う
2007年11月 1日 14:45

人生や世の中ってとても合理的でシンプルな法則で動いているのだなあ、と思うことがしばしばある。

誰にでもわかって貰えそうなお話から初めてみる。
仕事もお金も、持っている人のところに集まる、という法則がある。

例えばコンサートで毎回、練習もせずに、段取りも悪く、毎回同じところで間違える音楽家がいたとする。要するに志が低い人である。その人は仕事の来ない自分の不遇を恨んでいる。たとえ仕事が回ってきたとしても、そんな調子ではお客様やクライアントを満足させることが出来ない。結局その人は仕事に干され、暇になる。

ここからが勝負である。

この人が暇な時間に練習をみっちりやり、自分のやりたい音楽を見定め、そして自分に見合った演出方法を考え、自分にあったクライアントを開拓する努力をする。そうすると、当然、人が人を呼び、評判が評判を呼んで仕事には困らなくなる。

しかし、やがて余りに忙しくなると、仕事一件一件にかけられる時間も労力も限られてくるので、クオリティーとの戦いになる。そして来る仕事をこなすことで精一杯で、やがては自分が何をやっているのか自信がなくなり、勉強する暇もなくなるのでレベルアップが出来なくなり、仕事に対していいかげんになり、ふりだしに戻ってしまう。

さらに、ここからが勝負である。

来る仕事の中でも自分を高めてくれそうな意義ある案件とクライアントを厳選し、やりたい音楽に忠実に、お金に惑わされること無く仕事を選び、最高の出来を常に確保し続けるのだ。一時的に収入は落ち込むかもしれないが、そうすると、よくないクライアントからは距離が出来、良いクライアントが更に良いクライアントを紹介し、レベルの高い演奏家が集まり、さらに仕事がしやすくなる。

僕はこれまで、第二段階に届いたり、また戻ったりしている。そして、第三段階にはなかなか進めていない。

このお話から分かることは、仕事がなくなるのは、暇な間にレベルアップしなさいと言われているのだ、ということだ。そして、忙しくなってからも、自分を見失うことなく正しい努力をしなさいといわれている、ということだ。この法則で、別の例を考えてみると、とてもよくあてはまる。

お客の来ない暇なレストランは、その暇な間に、サービスに問題がなかったかどうか見直し、向上を目指しなさいということ。好きな人に告白しても振られる人は、つきあう前にその人に見合った魅力を持てるように自分を高めなさいということ。試験に失敗する人は、次の受験までに大学に見合うレベルになりなさいということ。

でも、本当は和食に向いているシェフが、イタリアンで勝負しようとしたって無理なこと。
自分とは本当は合っていないかも知れない女性にアタックしても、うまくはいかない。
自分の進みたいか方向どうかも分からないのに、試験を受け続けるのは、無意味なこと。

大事なことは、まず自分を見定めること。
そして、正しい方法で努力を重ねることだと思う。

つまり、僕は自分の音楽を見定めて、それに向かって正しい努力をすべきなのだ。
それができていなかったんだ。

選択することと、集中すること…。

レッスンで伝えたいこと
2007年10月29日 23:35

書きたいことがたまっているので、連続投稿します。

今日のお昼には、教室に1年通ってくださっていた生徒さんのレッスンがありました。

次回を最後に、レッスンをやめたいということでした。

こういうとき、ほかの先生はどういう反応をするのか分かりませんが、僕は自分の無力さにとても落ち込んでしまいました。

その方はフルートを買って、演奏できるようになりたいと、ずっと頑張っていました。僕は少しずつ上達していく姿を見るのが毎回楽しみでした。でも、ここ何回かは明らかにモチベーションが低下して、日ごろ練習をしている様子もなく、ずっと指導し続けていた演奏の基礎もできなくなってしまっていました。

もちろん、レッスンに来る方が皆が皆、進歩しなければいけないわけではありません。日ごろ全然練習できないから、レッスンの時間だけでも演奏できるのを楽しみにしているという方なら、レッスンの間に演奏を楽しんでいただければ、たとえ進歩がなくともこちらとしても嬉しいのです。また、僕との会話の時間を楽しみにしてくださる方もいます。

要は、生徒と講師どちらも貴重な時間を費やしているわけですから(生徒さんは更にお金も費やしています)、お互いにとって有意義な時間でなければ、お金も時間も全くの無駄なわけです。
それなら、どこかに散歩に行って、美味しいレストランで3000円のコースを食べたほうがずっとずっと有意義です。

僕は生徒さんが一人でも多く集まればよいと思っているわけでは、決してありません。最近は生徒さんが増えてきて、丁寧に一人ひとり教えることが出来る人数の限界を意識するようになりました。ある数を達したら生徒さんをそれ以上取らないようにする方針でいます。それはもうすぐそこのように思っています。生徒さんの個性も要求も無視して大量に同じような教育をするようなレッスンはしたくはありません。

生徒さんが音楽の楽しみを知り、楽器や知識にとらわれることなく音楽の基礎を身につけ、音楽を通じて何かを見つけることができたなら、どれほど講師冥利に尽きることかわかりません!毎回、どんな小さなことでも良いから何か学んで欲しいのです。

僕は、何の隠し事もなく知識も方法論もすべて教えるつもりでレッスンしています。もちろん、必要な時期に必要なものを与えることができるよう、適切な手順もまた常に意識しています。生徒さんが望み、僕が必要だと判断したら、何でも与えてあげたいと思っています。生徒さんが出来るようになりたいものがあれば、それを叶えられるように努力しています。

でも、生徒さんのモチベーションを上げることは、それとは別の問題です。

生徒さんが目的も無く漫然とレッスンに来ているだけなのに、僕があれこれ課題を出したり、目標を設定するのは無意味です。なぜなら人は、望んだものしか手に入れることができないからです。車の運転免許や資格の勉強とは違い、アイルランドの音楽を、ホイッスルを、演奏しなければいけない理由なんてどこにもないのですから。

目的の無い生徒さんとのレッスンほど、双方にとって勿体無いと思えるものはありません。逆に、生徒さんが好奇心旺盛に、スポンジのように吸収してくれると、こちらもノッてきて楽しくなり、何時間でも何でも教えたくなってしまいます(これは僕のいけないところだと思っています)。

生徒さんのモチベーションを上げるには、褒めるとか叱咤するとか色々な技があるのかもしれませんが、そんな小手先のことではなくて、根本的には自分が生徒さんの憧れになるような素晴らしい演奏や仕事をすることに尽きるのだと思っています。どうせ音楽を習うなら自分が感動できる良い演奏家に習いたいものですし、先生にとっても、自分のやるようにしか音楽は教えられないのですから。

以上の理由から、僕はレッスンで生徒さんのモチベーションをあげるために努力をしようという気にはなれません。それで生徒さんが減ってしまったとしても、その時間を自分のために使って、より魅力的な演奏家になるべく精進すべしと言われているのだと、考えるようにするつもりでいます。

こんな諺を思い出します。

You can take a horse to water, but you can't make him drink.
馬を水辺に連れて行くことは出来るが、馬に水を飲ませることは出来ない。

練習して、もっと魅力的な演奏家になるぞ!!

「もしも・・・が出来たら」
2007年10月19日 21:43

「もしも、こんなことが出来たら。」

出来たらよいなと思うことを考えてみてください。

ただし、「顔がもっとよければ」とか、「お金もちの家に生まれたら」とか、
「一日が30時間あったら」とか、自分の意思や努力ではどうしようも
ないことはだめですよ。

小さいことから大きなことまでたくさんありますよね。

僕のを思いのままに書き出してみます。
だって、僕の日記なんだもの、好きに書いてもいいじゃない。

歌や踊りが上手だったら。

英語がネイティブ並に喋れたら。

絵が上手だったら。

文章が上手だったら。

イラストレーター(ソフト)が自由に使いこなせたら。

ヨガやアレクサンダーテクニーク(検索してみて下さい!)ができたら。

自分の畑の野菜で暮らすことが出来たら。

料理や掃除や家事がもっと上手に出来たら。


たくさん見つかるでしょう。
でも、僕達の持っている時間も注げるエネルギーも限られている。
ついつい「いつか~」をつけてしまうと、ずーっと先延ばしになるもの。
だって、僕は10年前から同じような夢を持っていたのですから!

たから、簡単なことから挑戦してみています。

最近、ダンスに誘われても恥ずかしがらなくなりました。
(コーラスで)歌も歌うようになりました。そしたら自分の声が好きになりました!
猫の額くらいのうちの庭の雑草を抜いて、野菜を育て始めました。
お酒をやめて、ヨガなどの習い事をしようと考えています。

挫折しても、またやればいいんです。
やりたいことをやるのは、楽しいことですから。

今、買って手元に置いておきたい本はこれです。
『1歳から100歳の夢 』

100人の夢がつづられています。人って、人生の色々なステージでつねに生まれ変わりながら生きているんだなあ。100歳の方の夢には、ついつい泣きそうになりました。

人間の一生は、一炊の夢。

もしも・・・が出来たら。究極のそれは、
「健康で、悩み苦しむことなく、一日一日を心豊かに、充実して生きていきられたら」。

夢はありますか
2007年9月30日 02:13

僕は万年思春期なんですが、ここの所物思いに耽ることが
多くて。秋だから?ちがうか。笑

僕は高校までそれなりに成績も良く、北海道の母校ではただ
一人関西の大学に行きました。

大学は立命館だったのですが、わざわざ関西の大学に行って
まで何かしたいことがあったのかと思われるでしょうが実は
何も考えていませんでした。

いや、受験生の当時は受かることに本当に必死でしたから
考えていないわけはないのですが、何でそこに入りたいのか
は考えていなかったはずです。北海道を脱出することに憧れて
いたこと(脱北といいます、笑)、そして立命館は有名な
大学なんだから受かれば将来はなんとかなるだろう、と。

案の定、受かったは良いけれど目的が見出せずに1、2年生の
頃は学校には殆どいかずにサークルに行くか家でごろごろ
している生活でした。
でも大学ってそんなもんだろうと思っていました。

そんな僕ですから大学から現在までの10年間そりゃあ苦労
も挫折も失敗も一杯して、紆余曲折ありましたが、それは
今回のテーマではないので置いておきます。

そうそう、今回のテーマは「夢」ですよ。
この10年も、今思い出せるような、人に胸を張って言える
ような「夢」というのは無かったように思います。

って、えらそうに書いておきながら、今でも「夢」と胸を
張っていえるものはありません。

世の中「夢を持つのが良いことだ」みたいな風潮があると
思うんです。しかも、大志というか、「マザー・テレサの
ような偉い人になってたくさんの人を救う」的な夢。
そういう夢のある大人になるようにしつけられません
でしたか?

そんな大志のない僕は夢の無い大人っていうことになります。

でも、僕なりにあるのですよ。

それは、「今のように健康で、貧乏に苦しまずに、好きな笛
だけずっと吹いて暮らせたらいいな」です。
小学校の作文で「夢」というテーマでこんなの書いたら
きっと赤点ですよね。

自分のことしか考えていないし、働く気もない怠け者だ、
と思う方もいることでしょう。

でもね。これが違うんだな。

この夢はおよそ社会から認められにくい夢だけに、実現して
いくためには、おそらく皆さんの想像を絶する努力が必要なんです。

好きな笛だけ吹いて生活するとは、アルバイトをしないで
暮らすということ。笛で生計を立てるには、人に感謝され、
人から必要とされるようにならなければならない。
現代は貨幣社会なので、お客様の感謝の度合いがお金に
なって返ってきます。

人に感謝されお金を頂くためには人を楽しませたり、感動してもらったりするように日々練習をしたり、芸を磨いていかなければならない。
レッスンで音楽の楽しさを伝えていくことも人に必要と
されることです。

そして、今ある自分の能力の中だけでやっていこうとすると
限界があるから、旅をして見聞を広めて、本を読み、人と会
い、自分を見つめ、レベルをどんどんあげていくことが
大事だとわかる。

こうして、最初は「自分が笛を吹いて楽しければ…」という
利己的な動機でも、とことん突き詰めると音楽で人に尽くすという発想に変わっていく。

そのことに気がついたのって、本当に最近です。

人に感謝されて自分が幸せになるなんて、本当に恵まれた
連鎖です。そして、そういうのが「仕事」というものなん
じゃないかなとうっすら感じてきています。

もちろん仕事として音楽をすると色々としがらみも出てきます
が、この道を選んで今とても満足しています。

だって、僕の夢は「健康で、貧乏に苦しまずに、好きな笛
だけずっと吹いて暮らせたらいいな」なのですから。

循環呼吸とフレージング
2007年9月27日 01:11

循環呼吸なんて、ただ息継ぎがないだけだと思いませんか?フレージングをだらだらと引き延ばすだけだと?でも、循環呼吸は音楽に大転換をもたらします。

循環呼吸のない管楽器の演奏は、息継ぎという「やむをえない理由」で、音楽の流れをストップすることが当然とされましたし、それをいかにリズム、フレーズを壊さずに取るかがテーマとなってきました。
しかし循環呼吸が出来ればわざわざ笛から口を離して音楽の流れをストップする必要がないわけですから、音楽の流れと呼吸とを完全に切り離すことが出来るのです。

もちろん、音楽に休符や沈黙は必要です。しかし、循環呼吸が出来ることによって、沈黙が意図した場所で、意図した長さだけ取ることができるようになり、意図しない場所では吹き続けることができるわけです!

循環呼吸が自然に出来るようになったことは、今年の、いやここ数年のスケールで見ても一番の収穫といって差し支えがないでしょう。これは、もっともっと研究していきたいテーマです。

好みが変わりました
2007年9月25日 23:55

あまり自覚していなかったけれど、アイリッシュに対する
好みがここ数ヶ月で完全に変わってしまっている。

昔は(ごく乱暴に言うと)派手で速くて、テクニカルで
アレンジが凝ったものに特に惹かれていた。
ロックっぽいリズムのバンドの演奏が好きで、ソロ
アルバムはフルート以外は殆ど聴かなかったし、歌なんて
興味もなかった。

今はというと、中ぐらいのテンポ(リールなら1拍100前後、
ジグなら120前後)で、演奏に派手さよりもステディーな
リズムがあって、基本に忠実で、その人の個性がにじむ
ような演奏が良いと思う。

バンドの演奏は殆ど聞かなくなってしまい、無伴奏のソロ、
デュオやピアノだけの伴奏の演奏によさを感じる。
フィドルとパイプも大好きだし、歌も良いなと思う。
やがて自分でも歌ってみたい、ダンスを踊ってみたいと
すら思っている!

自分が演奏したい曲にしても、シンコペーションや、
トリッキーなメロディーのものが好きだったけれど、
今はそれらが根無し草で虚飾に思える。
セッションで演奏されるとうんざりする…スミマセン。

リージョナル・スタイル(地域スタイル)への志向も
はっきりしてきて、北部(スライゴーやベルファスト)の
音楽やスタイルがとても好きだ。

曲も、リールやジグだけでなく、他のリズムももっと演奏
したいと思うようになった。

都会的で新しいものよりも、ローカルで古いものを聴いて
いたいと思う・・・。

年だろうか(笑)

でも、教える仕事が多くなるにつれ、伝統的なものや
アイルランド人の美意識に興味が行くのは当然のなりゆき
だと思う。

好みがこう変われたことを、嬉しく思っている自分がいる。

もっとローカルに根ざした音楽を楽しんでいきたい。

アイリッシュが一番好きなんですね?
2007年9月 9日 07:37

先日、スウェーデン音楽をされる方と練習をさせて頂いた。その方はもう10年近くもスウェーデン音楽に関わっており、現地でも研鑽を積んだ方。

最近日本でもスウェーデン音楽はだんだんと身近になりつつあり、僕も興味を持っている。アイリッシュ・フルート(多鍵式フルート)はスウェーデンではおそらく使われていないけれど、アーティキュレーションやリズムを模倣することで、演奏は不可能ではないはず。

その方に、「はたおさんはアイリッシュが一番好きなんですね?」と尋ねられた。一瞬、はっとしてしまった。今の演奏活動はアイリッシュが大半だ。しかし、聴く音楽はアイルランドに限らずケルト圏全域に及ぶし、最近はスコットランド音楽の演奏にのめりこんでいる。第一、仕事にしてしまってからはアイルランド音楽は好きという概念ではとらえられないほど大切なものになってしまった。

僕は、最近はアイルランドに限定せずケルトの音楽が好きです、となんとも割り切れない回答をした。

でも、本当はこの楽器が一番好きなんだと思う。そして、この楽器が生き生きと演奏されるアイルランドをはじめとしたケルトの音楽、そしてバロック~古典時代の音楽が好きだ。楽器への興味は、この楽器が演奏される、されうる色々な音楽へと興味を広げさせる。この楽器の演奏方法を学び、その可能性を追求することが自分の目的なのだと、改めて考えさせられることとなった。

アイリッシュフルートとは何か
2007年8月23日 11:32

ちょっと難しいテーマに取り組んでいます。アイリッシュフルートとは何か、アイリッシュフルートは民族楽器なのか、僕の吹いているフルートはアイリッシュフルートなのか…。

実際のところアイルランドではIrish fluteとは呼ばずfluteとかwooden fluteとか書きますし、Irish fluteと呼んでいるのは日本を含め外国だけの呼称のように思えます。第一、楽器よりもやっている音楽が大事ですから、そんなことはどうでも良いようにも思えます。しかし、演奏者として明らかにしておきたい部分でもあります。そんなわけで文献をひっぱりながら読んでいますが、頭がくらくらしてきました。

今月のメルマガに執筆予定です。登録はホームページから。

福知山線脱線事故 追悼
2007年8月14日 17:57

世間はお盆のまっさなか。

自宅のレッスンが終わって、園田のお墓にバイクで
ひとっ走り、お墓参りをしてきた。途中にお花を買って。
墓地はまるでテーマパークかのようにたくさんの家族連れで
にぎやかだった。真夏の空だった。

園田に行く途中には久々知という地名の場所がある。
福知山線脱線事故の現場だ。
お盆ということもあって、尼崎市民としての自覚なのか、
犠牲者の若者に思いをはせたのか、ともかくもお参りを
しようという気になった。

あの事故からもうかなりの時間が経過したと思っていた。
でも、事故現場はほとんど当時のままで、献花台の他に
お地蔵様が立っており、警備員が3名、それぞれの持ち場で
僕が通り過ぎるまで無言で深々と頭を垂らしていた。

それは、事故の最初の年のお盆にお参りに行ったときと
殆ど変わらない光景だった。
事故のことが生々しく思い出され、なんとも暗くて嫌な
気分になってしまった。

警備員さん達は何も悪くないのに炎天下に立たされて。
本当にやるせない…

犠牲者の冥福をお祈りします。

※今日は頂いたEメールの一部にお返事を返すだけで
精一杯でした。コメントのお返事、もう少しお待ちください。
コメントを書いたりメールの返事をするのって、日記を
書くことの比にならないくらい僕にはエネルギーが要るのです…

バロック音楽とアイルランド音楽の比較
2007年8月14日 01:54

昨日と今日はバロックカルテット「アンサンブル・トリーヌ」の演奏会(僕には新鮮な呼び方!)のための集中練習。

バロックとアイルランド音楽は、表面的には全く違うように聞こえるけれど、その実はとても似ているものがあると時々感じる。違う点についてはまさに自分に足りない点でもあり、それはとても勉強になる。
今回は「違い」について考えてみたい。

まず、アイルランド音楽では全ての楽器がユニゾンで演奏するのに対して、バロック音楽はハーモニーがあることが前提になっている。アイルランド音楽を数年間演奏してきて、リズムやユニゾンについての感覚は鍛えられたと思うけれど、アイルランド音楽ではハーモニーをつけることは不必要、邪道とされるので、とても勉強になる。3度、4度、5度などの音程をきちんと合わせるには音を良く聴かなくてはいけない。まして音程の不安定なトラヴェルソでのこと。神経を集中させることが大事だ。
音程よりもリズムを重視するアイルランド音楽と、ハーモニーを重視するバロック音楽の2つの視点を持てれば、とても為になることは間違いない。

バロックがアイルランド音楽の演奏形態と異なる点は、低音旋律楽器がつくことだ。アイルランド音楽はずっと無伴奏の音楽だったし、ティンホイッスルを除けばどの楽器も同じ音域でユニゾンする。また、音域は2オクターブ以内に収まる。その環境にいれば気がつかないけれど、中~高音域に音が偏っている。バロック音楽ではフルート、リコーダー、ヴァイオリンなどの中音域の下にガンバが付く。結果、音域的なアンサンブルが安定したものになる。アイルランド音楽では低音はバウロンが担当しているという意見もあるけれど、音程感のあるバウロン奏者はともかくとして、大抵はドローン的な意味合いが強いのではないか。

バロックではアーティキュレーションやニュアンスが重要な意味を持っている。バンドのヴァイオリン奏者の横山さんとは、とあるシーケンスがある時にどうスラーをかけるか、ということが話題になるけれど、アイルランド音楽をやってきてそんな場面に遭遇したことは無い。アーティキュレーションのかけかたを変えるだけで音楽的な表情が全く異なってくることを知ったのは驚きだった。
逆に、アイルランド音楽では繰り返しが多いから、全ての回を同じ用に弾くことは時として音楽を単調にしてしまう。だから即興的にヴァリエーションをつけたり、リズムを崩したりする。バロックも即興の要素があるのだそうだけど、その点は未知の領域だ。でも、きっとアイルランド音楽の発想に近いような気がする。

アイルランド音楽は基本的に楽譜を使わずに演奏され、曲の骨格を逸脱しない限りはある程度演奏者の自由に任されている。逆にバロックには楽譜があり、それにどう肉付けをするかがテーマになる。楽譜に付点があればそれをどう付点らしく弾くかを解釈する。アイルランド音楽では、付点をつけるかつけないか程度は演奏者の自由に任されている。

なるほど、飛び込んで体感するバロック音楽の視点は面白い。この視点をもってアイルランド音楽を見ると、また違った見方ができるものだ。

楽器上達の秘訣とは…
2007年8月 8日 00:45

10年間音楽を演奏してきて感じる、当たり前のような真実。

楽器がデキることとは、少なくとも「あるべきタイミングで、あるべき音を出すこと」だ。
簡単なようで、これを完璧にするのは難しい。

得意な箇所や苦手な箇所で走ったり、リズムが安定しなかったり、音程をはずしたりミストーンを出したり。もう音楽を始めて10年にもなるのだし、ここはきちんとできるようになりたい。
クラシック奏者が毎日音階とリズム練習をする理由が最近とてもよくわかります。

楽器初心者の皆さん、これが出来ればあなたは楽器をかなりモノにしていますよ。
ただし、それはあくまで「初歩段階」であって、そこにプラスアルファを加えるのが音楽家の役割なのでしょうね。

音楽に投資をする
2007年7月17日 11:43

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というのも「若い音楽家を青田買い」するわけではありません、悪しからず。

先月はバロック音楽やトラヴェルソ関係の洋書をたくさん、アメリカから取り寄せました。送料が高くついて合計5万円にもなってしまいました。実はもう半年くらい前からamazon.comのウィッシュリストに入れていたのですが、高いので我慢していました。でも半年たっても買いたい気持ちは収まらず、さらに以前は正規版があったものが絶版になってしまったのを発見して、中古でも良いので確保しておこう、ついでに他の気になっていた本も…と決断をしました。

この手の本は余り売れないため少量を出版して、売り切れたら絶版…、というケースが多く、他にも読みたい本はたくさんあるのですが、海外の大学図書館にでも行かないと読めなさそうです。
良い例が、先日のIrish flute player's handbookです。
大学図書館に行って探すことになるくらいなら、少々高くても買えるうちに買っておく、というのはある意味投資といえるでしょう。もちろん、自分の知識・技術に投資するという意味においても。

音楽家に関わらず職業という意味でのプロって自分の能力へ投資し続けることが大事だと、常々感じています。サラリーマンであれば資格取得や講習を受ける、料理人なら高いコース料理を食べに行って味覚を鍛える、など。音楽家にとっては練習と勉強、コンサートやCDで刺激を受けることではないでしょうか。
そういう投資jは一時的に手痛い出費になるものの、結果的に職業的な専門性を高め、その人の収入に反映されていくはずです。

買った本から分かるように最近はバロック音楽にとてもはまっています。自分の職業的ポジションは、ヨーロッパの古い音楽と民謡のフルート専門家という立場をとっていきます。まだまだ公言するには実力不足ではありますが…。最近は勉強や個人練習が楽しくて。知的探究心や好奇心が活発な時期のようです。ちょうど演奏活動が比較的暇なので、この時期にしっかり成長したいな。

ところで、投資した本は僕の場合、買った時にはちんぷんかんぷんで、3年後くらいに自分が読めるレベルに達することが多いようです。これらの本も、時がくるまではのめりこまないようにするつもりです。

気になる「?」の用法
2007年7月13日 00:55

毎週木曜日、演奏から帰ってくる頃に丁度テレビでやっている
NHKの「エリンの日本語できます」という番組をつい
見てしまう。

この番組が好きな理由は、出演者がかわいいのが一つ
(ごく個人的趣味)、もう一つは日本語を喋らない人に
日本語で日本語を教えるという矛盾にどうやって取り
組んでいるのか興味津々だから、というものだ。

そのあとのミニ番組が「ことばおじさん」なのも見逃せない。
「ことばおじさん」とは、気になる日本語の表現を
取り上げて解説するおじさんの番組である。

ところで僕も最近気になる表現がある。
「?」クエスチョン・マークの用法だ。
書き言葉なので「ことばおじさん」に登場したかどうかは
わからないけれど。

日本語にはもともと「?」も「!」もなかった。
定着したのは外来語の輸入と同じ時期なのではないだろうか。

昔のマンガなど読むと、どんな疑問文も「。」で終わらせる
ものもある。

例)「君は何が好きなの。」
  「君は明日、遊園地に行くんだよね。」

こういった表現は現在、疑問文であることを明確にするために
「?」がつけられる。この用法は僕も抵抗感なく使う。

気になるのは、疑問文ではないものに「?」が付く場合だ。

例)「僕はアイスクリームが好きですが?」
  「明日は遊園地に行くって言いましたよ?」

時々見るこういった例に僕は大きく違和感を覚える。
それは、言外にこんな風に言っているように感じられるのだ。

「僕はアイスクリームが好きですが?
 (何か文句でもありますか?)」

「明日は遊園地に行くって言いましたよ?
(ちゃんと伝えてたのに忘れたのですか?)」

書いているほうは他意が無いのかもしれないし、
一般的に広く受け入れられているのかもしれない。

こういう表現を皆さんはどう感じるのでしょうか。

1日練習8時間って!?
2007年7月 5日 15:13

「プロになるには毎日8時間は練習しなきゃ」とか、プロの人が「楽器を始めたてのころは8時間は毎日弾いたものさ」とかいう話をネットで見たり人から聞いたりしたことがある。統計を取ったわけではないけれど、何故か8時間という数字が残る。どうして8時間なんだろう?

そもそも、1日8時間というのは現実的な時間なのだろうか…。
自分の経験からすると練習で8時間費やせたのは学生の頃くらい。しかも、授業を一日中サボらないと無理だったと思う。今は学校はないけれど、家事をしたり、メールを書いたり、といった庶務があって、とても8時間も練習はできそうにない。

1日練習8時間の人の生活を考えてみた。
一般的な人であれば、朝7時くらいに起きるだろう。朝食を食べて、そこから会社や学校があれば残り時間を計算すると、とても8時間は無理。となると、会社も学校も行かずに9時から練習開始、昼食休憩、午後に5時間練習…。あっというまに夕食やらお風呂の時間だ。掃除も洗濯もしなきゃいけないし、
これでは遊びに行くこともメールを書くことも映画を見ることもできない。

例え、たまに3時間とか5時間の日があったとしても、練習では生活は成り立たないだろう。
これが出来るのは学校もろくに行かない学生か、誰かが養ってくれて身の回りの世話をしてくれる特別な存在の人??まして、レッスンやらリハーサルのあるプロの音楽家には無理!!

そこでふと思いついたんだけど、サラリーマンは朝9時に始業して午前3時間、午後5時間くらいは働く。その間に昼休憩もあるだろうけど、その場合終業は5時半くらいかな?
つまりこれは、音楽を生業にするには一般のサラリーマンが働くくらいの時間を練習に注がないと、仕事としてはお話にならないよ、という訓示なのではないか。
もしくは、プロになる前に1日8時間くらいやって基礎固めをしないと、プロになったら練習どころではないよ、という先輩からの助言だったとか。

最近は少し余裕が出てきたのでみっちり基礎練習をするのが日課になったけど、練習したなあ!っていう日でも5時間が限度かな…。もっとも、その後に本番があったりして結局8時間くらい吹いているのかもしれないけど。

モノに頼らない生活は
2007年6月16日 10:00

時々「モノを持たない暮らし」とか「お金を使わない」といったキーワードの本を読みます。
我々の財布がどれほどの力で広告会社に握られて、購買欲を刺激され必要以上のモノを買わされているかというのは、中々気がつかないものです。
買っても着ない服、読まない本、食べない食べ物など、ナシでも済んだと思われるモノはとても多いのではないでしょうか。

モノに頼るのは便利です。挨拶のとき、感謝の気持ちを表すとき、お祝いの時、お詫びのとき、私たちはモノを贈りあいます。最たるものは結婚式。モノとお金が飛び交っています。しかしモノは当然ながらモノ以上ではなく、気持ちそのものではありません。

何かの仕事で大変お世話になったのでお返しがしたい、そんな時にはデパートで素敵な洋菓子や花を選んでデパートから送るよう頼めば、それでその一件は片付きます。気持ちもすっきりして、もう考えることもないでしょう。
しかし気持ちをモノに頼らずに表そうとしたら?相手の喜ぶことを考えるのには頭を使うし、実行するには時間も労力もかかります。例えば感謝の気持ちを手紙を書く、会って感謝の気持ちを伝える、自宅に食事に招くなど。言葉だけならタダですが、気持ちを伝えるのはとても難しいです。

でも、そのほうが人間関係として健全で、かつ素敵だなと思うんです。頂いたモノというのは、有難くも時として邪魔者あつかいされることがあります。
問題は我々自身があまりにモノに頼ることに慣れすぎていて、モノに頼らない人間関係を受け入れることが出来る人が少ないのではないかと思うことです。周りを見ても、モノに頼らないタイプの人はあまりいるようには見えません。

時間がかかるかもしれませんが、そういう人が世の中に増えれば、もっと楽になるかもしれないな、と思っています。

ものすごい絶対音感
2007年5月23日 13:04

最近ときどきご一緒させていただくチェンバロ奏者の方は実にいい音感の持ち主。
その方の音楽室で練習するとき僕は何台かあるチェンバロのうちの1つの前に座りフルートを吹くのだけど、時々フルートをひざに置くときにフルートがチェンバロの鍵盤に触れて音が鳴ってしまうことがある。
そんな時チェンバロ奏者の方は「ド#!ただしバロック・ピッチのね。」などとすかさず音を当ててくださるのだ。

これはもう反射のようなもので、チェンバロの音が鳴ったらご本人が喋っている間でも、センテンスを無視して「F!ただしバロック・ピッチのね。」などと言ってくださる。
接尾語の「ただしバロック・ピッチのね。」という注釈はポイントで、バロックピッチはモダンピッチよりも半音低いので、モダン奏者が聞いたら間違ってると指摘されそうだから、だそうだ。
※つまりバロックピッチのドは、モダンピッチでは半音低くシになる。

しかも、チェンバロに触れた時間が短いと音も短くなるので、「え?何やった今の?もう一回!!」とおっしゃる。すごいこだわり!!

その方には蚊の音もドレミで聞こえるそうで、夏場はとても気持ち悪いのだそうな。
絶対音感の持ち主がまわりにいたら、いろいろと試してみてください!結構ご本人も楽しそうですよ。

リージョナルスタイルを考える
2007年3月23日 12:53

色々なことがかさなり、アイリッシュを演奏する上でのリージョナルスタイルを考える機会があった。リージョナルスタイルというのはアイルランドの地域ごとの演奏スタイルや曲の違いで、交通機関もラジオもなかった昔、音楽は地域に深く結びつき、特に他との交流が難しい僻地ではその地域に特徴的な演奏スタイルが育てられた。リージョナルスタイルは人々も音楽も世界中をとびまわっている現在でもなお、そのスタイルを演奏する代表的な演奏者の影響により再生産されている。

アイリッシュのフィドルの演奏スタイルは地域的な違いが目立ち、僕などが聴いてもドニゴールとスライゴー、ケリーの違いはほぼ判別できると思う。フルートではフィドルほどは地域スタイルが話題になることはなく、特にホイッスルについては明確な地域スタイルはないと思う。
同様に、日本ではそれぞれの地域に関係の深いフィドル演奏者が何人かいらっしゃるけれど、フルートに関しては余り聞いた事がない。
僕自身は特定のスタイルに意識的にコミットしてはこず、無意識のうちに好きとか興味があるかないかで練習をしてきたけれど、最近、本を読んだり古い録音を良く聴き色々発見があり、特定のスタイルを勉強してみたいと思うようになった。

Fintan vallelyの辞典"The companion to Irish traditional music"では、SligoとLeitrimの二つのスタイルが紹介されている。また、http://www.theflow.org.uk/ では、フルートの演奏スタイルについての詳細な解説がある。ここでは、sligo、east galway 、piping styleという3つが紹介されている。とてもわかりやすいとは思うけれど、僕の認識とはちょっと違うと感じる。僕は、Northern、sligo~Leitrim~Roscommon、Clare&east Galway、pipingという4つが思いつく。

Northernはベルファストやフェアマナ、ドネゴールなどで、リズミックな演奏が特徴。ロールを余り使わずに三連符などで代用したり、ロールを使うとしてもちょっとはねてて、タイミングが均等ではないように思う。曲調も独特で、マーチやマーチ調のポルカを演奏することが他より多く感じる。息で一定のパルスを作る特徴の人も多く、音色は息のまじったもの。

sligo~Leitrim~Roscommonはフィドルのsligo Styleととても似ている。比較的速いテンポで、様々な装飾音やロールを多用する。北のスタイルほど跳ねないけど、ドライブ感がある。

Clare~east Galwayは、他のと比較してゆっくりで落ち着いていて、平坦だけれど流れるようなリズム。曲調も他の地域では余りみないCとかGmとか、フラット系も演奏するように思う。リズムよりもメロディックで、経過音に半音を使ったりする印象がある。

Pipingは、イリアンパイプスを模倣したような演奏で、リズムの規則的なパルスよりも一定のテンション、リズムで演奏をしていく感じ。タンギングはほかのスタイルのなかではもっとも少ないように思う。とはいえ、全く使わないわけではないけれど。
それから、Matt Molloyはpiping styleの代名詞としてよく出てくるけれど、それは初期のことで、今の演奏はそれを超越した彼独特のスタイルのように思う。今もっともpipingらしいのはkevin CrawfordやMcGoldrickかな。でも、Piping Styleは曲調やリズム感はsligo Styleに根ざしていると思う。

これらの特徴から、スタイルを区別するポイントはリズム感、アーティキュレーション、曲調になると思う。
北の脈打つような演奏は基本的には聴くのも吹くのも苦手だなあ。もっと北のスコットランドに行くと、それはあまりないので、とても不思議な演奏方法だと思う。クレアの特徴的な曲調は好きだけれど、演奏スタイルに深くコミットしようとは余り思わない・・。

この4つのうちで僕がもっとも関心があるのはPiping Styleで、すなわちSligoの音楽につながる。フィドルの演奏を聴いていても、もっともすきなのはsligoだし、フィドルとフルートのデュオなんて一番好きだ。
ただ、フルートに対して僕は強弱のダイナミクスやタンギング、アーティキュレーションの可能性を強く感じているので(ここが、バロックとの共通点にもなる)、完全にpiping styleにコミットは出来ない。

やはり、なんだかんだ言ってもっとも尊敬するのはChris Normanのパイピング・クラシカル?スタイルということになるのかな・・。でも、アイリッシュをするときは意識してスライゴーの曲やリズムを学んでいこうと思っています。好きな曲もSligo由来のものが多いようです。

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