Since 2008.05.28
アイリッシュフルート
ケルトの笛レッスン、楽器や書籍、CDの販売


★東京でレッスンを開講。3/21、4/18
詳しくはこちら


ケルトの笛の世界
~ 独奏コンサート ~

【日時】 5月17日 (木) 20時~
【場所】 京都アイリッシュ・パブ field
【料金】 チップをお願いします。
【内容】 
旅をしたケルト文化圏で覚えた伝統曲や、古い楽譜からの曲を演奏します。

・スコットランドの古いフィドル曲
・ウェールズの不思議なメロディ
・18世紀イングランドの複雑な変奏曲
・アイルランドの厳選したダンス曲
・ブルターニュのダンス音楽ほか。

ケルト伝統音楽はライフワークです。
とびっきりのメロディをお届します。
ぜひ、応援にお越しください!

サンプル
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笛博バナー

アイリッシュフルート&ティンホイッスル・ブック
楽器の研究を紹介する別サイトです。
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魅力的な人
パトリック・オーウェルのドキュメンタリー制作プロジェクト
2012年1月27日 07:07
アメリカのフルート奏者で映像作家のJem Mooreさんが、同じくアメリカのアイリッシュ・フルート職人Patrick Olwellさんのドキュメンタリーフィルムを作ることにしたそうです。

これがなかなか面白いプロジェクトで、視聴者がパトロンとなり資金を出し合って予算を組んでから作り始めるそうです。いやあ、アメリカらしいですね!

なお、出資者には1$~ 1トラックの音楽ファイルプレゼント、10$でCD1枚プレゼントなど見返りがあり、1000$~の出資者には、自宅でコンサートに行くというのだから面白いです。日本にも来てくれるかな(笑) 夢があるプロジェクトで良いですね。ただし、いつフィルムが完成するとは約束していないので、出来なくても詐欺にはならないのかもしれませんが(^^;)

ホームページはこちら。

kck.st/ApyWKk

こちらが、ジェムさんご本人が出演するPVです。
なかなかのアイデアマンですね~。

おばあちゃん
2011年10月11日 08:59
短い間ですが、札幌に帰省してきました。
いつもはコンサートやレッスンを入れるのですが、今回は家族に会うのが目的です。

両親は還暦になり、祖父母の中で唯一生きている祖母は86歳。遠く本州に暮らしていると帰省できるのはせいぜい年に1回が良い所ですから、会う度に年老いてゆく家族を見るのはちょっと切ないものです。

祖母はいつも明るく、愚痴や悪口を言わず、前向きな性格。去年会った時には一緒にご飯を食べに行くなどしっかりしていたのですが、年末に梯子から落ちて骨折をして以来、独りで生活することが難しくなり、この春から老人ホームに入所しました。

初めてホームでの対面。随分痩せて、老けてしまった祖母にちょっとショックを受けつつ、手を握りながら短い時間のお話し。暮らしはどう、ご飯は美味しい?など、話しかけました。すべてのことを職員がしてくれるからなのか、ぼけが進行してしまい、同じ言葉を繰り返したり、季節を間違えたりしてしまっていました。

それでも、思いがけず来てくれて嬉しい、七夕のおり姫と彦星のようだと感激して涙ぐんでいました。「来年コンサートをしてあげるから、それまで耳を悪くしないようにね。」

そう言って別れました。

祖母が生きているうちにあと何時間一緒にいられるんだろう?そう思うと、この短い時間もかけがえのない、胸に刻んでおくべき時間のように思えてきます。そして、両親とも...111011.JPG

自分の最後のことも考えました。悔いなく生きて、家族に迷惑をかけることないだけの貯蓄を持ち、自宅で死ぬことができれば僕は満足。そうすることのできない人が余りに多いので、贅沢な願いなのかもしれませんが... 

人生はあっという間。祖母の年齢まで生きられるかどうかもわかりません。思い残すことなく生きる。家族に会いに行くのは、自分のために大切なことです。

Canna家具店さん
2011年8月30日 06:20
3月にコンサートを主催して頂いた、名古屋市東区のCanna家具店さん。若い家具職人の山本さんが古い蔵をご自分で改装して、工房とショールームにしています。

山本さんは、もともと文系の大学を卒業して、小学校の教諭をしていたのですが、家具作りに目覚め、職業訓練校で技術を学び、家具店に就職、独立してCanna家具店を開きました。

家具店では陶器や他の家具職人さんの展示会もするほか、年に1回くらいはコンサートもしたいな...ということで、僕のコンサートがその第一弾となったのです。木の建物の響きが、暖かくて心地よい空間でした。

家具の製作もしながら、接客をして、配達をしているのですから、本当にパワフルな方です。でも、お話ししてみるととても柔らかい雰囲気で、お日様のような印象です。人がたくさん集まるのも、納得ですね。

山本さんに、モーニングに連れて行ってもらいました。

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名古屋のモーニングと言えば、色々なサービスが付いてくるので有名です。名古屋の人は、本当によく喫茶店に行くんですって。たしかに、お店の数も多いし、昭和から続いている名店も多いんだそうです。

栄にある、加藤珈琲店。コーヒー豆やさんが営業している喫茶店で、挽きたての豆の薫り高いコーヒーを頂きました。本当に美味しいコーヒーを知ってしまうと、作り置きしているコーヒー、ましてや缶コーヒーは飲めませんね。

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表には、テイクアウトの看板が。なんと、その日の円=ドルレートで、1$らしいです。この日は、1杯79円!面白いですね^^

コーヒーを飲みながら、製作のことを色々と聞くことができました。
家具と言えば既製品しか買ったことが無い僕ですが、家にあった自分好みのデザインの家具があれば、暮らしも楽しくなりますね。そんな暮らし、憧れです!

旅先で出会った味わい深い人たち
2011年8月 8日 11:19
愛媛の旅で出会った、味わい深い人たち。

尺八のウベ・ワルターさんは、ドイツ生まれ。
ドイツ時代はジプシーとともに生活したり、サーカスでパフォーマンスをしていた。

しかし、形だけではない本物の精神性のある芸術がしたかった。

尺八の音色を耳にして、来日。惚れ込んだ師匠に京都まで会いに来て入門を請うたが、断られた。他に習いたい先生は一人もいなかった。日本に来る時に、ドイツのすべてを処分して、片道切符で来たので、お金もない。

ある時、どうしてもビールが飲みたくなり、安居酒屋に入った。
ドイツでは靴の形をしたビアグラスでビールを回し飲みする習慣がある。だから、これに注いでくれ、
と言い、履いていた革靴を店主に差し出した。店主は激怒して、彼を追い払おうとした。
しかし、そこにいた客が面白がり、俺がおごるから靴で飲め、と言いだした。そこにいた演劇家と意気投合し、日本でのヒッピーの生活が始まる...。

型にはまらず、自由で、感性のままに生きてきた彼の話が面白くて、車の中でずっと話を聞いていた。

もちろん、そんな彼だから、音楽で決めごとをしてその通り演奏したり、譜面を読んだり
人に合わせるのは難しい。

ちゃんと決めてちゃんとやる日本人との音楽の常識で考えると驚くことも多い。
ライブでは予想外のハプニングも多くてドキドキさせられるけれど、お客さんはそんな彼の音楽を理解して満足そうだった。彼の音楽は、心の底からありのままの姿で発せられている。

愛媛ツアー中、インドで「アンマ(母)」と呼ばれる聖人とともに11年暮らして、彼女のサポートをボランティアでしている男性と出会った。彼はアンマの来日に同行するため帰国していた。アンマに出会うまで、バックパッカーをして世界中を何年も旅をしていたそうだ。ギリシアで何年かバーテンをしたこともある。

アンマは宗教家ではなく、抱きしめることで人を癒す活動をしている女性。彼女のもとに、2000人もの人が世界から集まり、共同生活をしている。菜食で、インドではお金とは無縁の暮らしを営む。

「執着するから苦しみが生まれ、人に期待をするから失望するんです」彼は言う。
「今の暮らしに迷いはありません。初めて、無私の精神で執着なく幸せそうに生きている人に出会い、この人に着いて行けば絶対間違いないと思いました」。

同じく松山で、自然農法で世界に知られた故・福岡正信さんの遺志を継ぐお孫さんの農場に連れて行ってもらった。無農薬、管理しない農法を開発し、驚愕の収穫量を上げ、世界の緑化、食糧難解決の道を開いた。ところが、余りに突き抜けていて地元では変人扱いされていた。

「自然が全て教えてくれるのだから、科学など必要ないのではないか。」
終戦後に引き揚げてきた福岡さんは山に畑を開き、実験を重ねた。

一番有名なのは「種子団子」で、色んな種をまぜこぜにして団子にし、畑に投げると、その土地に最適の作物が発芽するというもの。農薬を否定したため農協や地元農家に煙たがられたが、世界中から彼の農法を学びに、多くの若者が住み込みで働いた。

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(福岡さんが漁師たちと建てた山の講演会場)

お孫さんは、お爺さんとは別のやり方で自分の農業をされている。
「おじいさんは農家というよりは哲学者でした。方法を継ぐことはできても、哲学を継ぐことはできません。」

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自分の枠組みを越える世界観、生き方の人と出会うことで、どんどん思考が解放されてゆく。
たから、旅が好きだ。人と出会い、話しを聞くのが好きだ。


フルート工房見学 ジル・レアールさん
2011年7月20日 22:28

長年フルートを輸入させて頂いている、ブルターニュのフルート職人のGilles Lehart (ジル・レアール)さんを訪ねた。レハールさんは木製フルートのほか、ビニューというバグパイプや、ボンバルドというオーボエ類の楽器も製作している。

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レアールさんは、フルート奏者というよりは、ビニュー、ボンバルド奏者として演奏活動をしており、ビニューについてはコンペティションでチャンピオンに輝いている。

子供のころ、父親は戦後に始まったバガッドというバンドで、バグパイプを吹いていた。
バガッドはスコティッシュ・ハイランド・パイプスとボンバルド、ドラムスによる大勢のバンドで、戦後に急速に広まったそうだ。14歳の時に、ボンバルドの演奏を始めた。

86年にボンバルドの製作を開始。楽器製作の先生はなく、自分で試行錯誤しながら楽器を作った。88年に、当時ブルターニュでフルートを専門に演奏する初めての奏者であったJean-Michel Veillon(ジャン・ミシェル・ヴェヨン。以下ジャン・ミシェル)の勧めでフルート製作に着手。ブルターニュで最初のフルートメーカーとなった。
これまでに何度か引っ越ししながら、現在は大きな古農家を自分で改装した工房で楽器を製作している。

年間に製作するフルートは50本程度。フルートは、黒檀の他に最近はアフリカのモペインでの製作もしている。

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工房のロッカーには、フルートの各部品を個別にたくさんストックしてあった。1本ずつ作るのではなく、パーツを集中的に作ってから、注文があり次第組み立てて、歌口に穴をあけ、最終調整するよう準備している。これが、レアールさんの納期が早い秘訣なのかもしれない。「フルートメーカーは
一般的に待たせすぎる」と。

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カタログ以外の注文も受けており、スペインのガリシアから、ガイタ(バグパイプ)と合奏するためにEのフルートを注文を受けたり、ブルターニュ南部で演奏される特徴的な音階(フリギア旋法)のためのフルートを特注で製作している。この特殊なフルートは、ジャン・ミシェルの録音で聴くことができる。







レアールさんのフルートは、多くのブルターニュ在住フルート奏者や、一部のアイリッシュ・フルート奏者に愛用されている。素早い反応、引きしまった硬質な音色は、いまやブルターニュ音楽に欠かせない。

現在、ブルターニュには、録音を数えるだけで両手に余るほどのフルート奏者が活躍しているが、レアールさんの言葉を借りれば、すべて「ジャン・ミシェルの弟子」なのだそうだ。

ブルターニュ音楽についてのお話も伺った。ブルターニュには、地方ごとに異なったスタイル、レパートリーがあり、それらは本来まぜて演奏するようなものではないし、音楽家たちは特定の地域の音楽に特化している。アイリッシュのようなセッションは存在せず、スタンダードなレパートリーもない。例えばレアールさんの住むトレゴールは、声楽が特に盛んな地域なのだ。ジャン・ミシェルが参加しているKornog(コルノグ)では様々な地域の音楽を演奏するが、それは珍しいケースらしい。

レアールさんもブルトン語を話すのだが、言葉と伝統音楽は強く結び付いている。ブルトン音楽がアイリッシュのように世界中に広まらず、渋くとっつきにくい感じの存在感を放っているのは、一つに言葉の壁、もうひとつにスタンダード曲の欠如があげられそうだ。

アイルランドでも、北部のドニゴール、西部のスライゴー、東ゴールウェイ、クレア、南部のシュリーブ・ルクラで全く異なった演奏スタイル、レパートリーが培われてきた。現在もそれがないとは言えないけれど、音楽家は意識的にスタイルやレパートリーを選択し、共通のレパートリーによって、全国どころか、世界中でもセッションが可能だ。

逆にいえば、アイルランドでは純粋な地域の音楽の継承が困難になってきているとも言え、ブルターニュ内の地方色が豊かなのは喜ばしいことなのかもしれない。

僕には、どこか青森のねぷた囃子を思い出させた。ねぷたは、地域ごとに異なった囃子が演奏されており、それどころか、笛の種類まで変わるらしい。県外の人にとっては、どの地域の曲に特化するか、という問題もあり、また、その地域の中に自分が生活し受け入れられなくては身につきにくいものだとも思われる。ブルトン音楽の場合は、さらに僕は外国人で言葉が通じないのだから、習得の道は程遠い。

一方で、フルートだからという利点はある。ブルターニュでは、フルートはここ30年ほどの間に使われ始めたにすぎない。そのため、伝統に縛られずに様々な実験が行われてきた。地域的なレパートリーやスタイルというのは無いようだ。ジャン・ミシェル自身は幼少のころから演奏していたボンバルドの演奏法に、インドの横笛バーンスリーやクラシック・フルートのテクニックを取り入れて演奏法を確立したそうだ。外国人がブルトン音楽に挑戦する際に、許容範囲が広いのもフルートならではだと思われる。

ここ10年くらい、アイリッシュ・ミュージシャンがアイルランド的な演奏方法でブルトン音楽を演奏することが普通になってきている。せっかくなら、リズムやアーティキュレーションをブルトン音楽に聞こえるように演奏したほうが良いのではと思う一方で、単純にメロディとして気軽に演奏できることは、伝統の外の演奏者に道が開かれ、喜ぶべきことかもしれない。

楽器職人ジョナサン・スウェインさん
2011年6月20日 08:06
ジョナサン・ショーランドさんに会ったその日の夕方に、同じくイングランドのグラフストンベリーに住んでいる楽器職人のJonathan Swayne(ジョナサン・スウェイン)さんに会ってきました。
同じ日に二人のジョナサンさんに会うのは、なんという偶然でしょう。

スウェインさんは、木製のホイッスル、アイリッシュ・フルート、各種バグパイプを製作しています。スペインの世界的な管楽器奏者カルロス・ヌネスのティン・ホイッスルを作っていることでも知られています。

スウェインさんはもともとクラシックのフルートを学び、77年にホイッスルの製作を始めました。当時は彼はフォークミュージックは演奏しておらず、友人の勧めてティン・ホイッスルを作り始めたのでした。当時はほかに木製のティン・ホイッスルを作っている職人はおらず、試行錯誤しながら設計をし4、5年かけてようやく納得いくものができました。そのころから注文を取るようになり、現在では工房で週3日働くパートタイムの職人とともに、年間50本ほどのティン・ホイッスルを製造しています。

カルロス・ヌネスのおかげでずいぶん忙しくなったのでは?と聞くと、実際はバグパイプの注文の方が多いそうです。

スウェインさんのティン・ホイッスルは不思議な構造で、頭部管に円錐形の絞りがあり、管体はストレート、先端にベル状の逆円錐の広がりがあります。材質はイギリス柘植でできています。
ちょっとティン・ホイッスルとは思えないような、引きしまった、温かい音色です。

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黒檀のモデルもあるのですが、音色が硬質すぎてご本人は柘植が気に入っているそうです。僕もそう思います。
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アイリッシュ・フルートは、キーなしもキーありも作っており、プラタンという、指孔の大きい19世紀のモデルをもとに作っています。

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演奏活動もしており、自身で製作したイングリッシュ・ボーダーパイプ6本と打楽器によるアンサンブルのリーダーを務めて、自作曲で2枚のCDを発表しました。対旋律やハーモニーなどのアレンジ、積み重なるドローンが、まるでオルガンのような、いや、どこでも聞いたことがないような音楽で、大変素晴らしいです。

イギリスの音楽家、楽器職人って、片田舎の大きな家に暮らして、のびのびと生きている方ばかりで感銘を受けました。都会で忙しく働くよりも、僕には合っていそうです。

ティン・ホイッスル(D、チューナブル)を余分に購入しましたので、購入ご希望の方には28,000円でお分けします。もしご興味のある方はメールください。




ジョーナサン・ショーランドさん
2011年6月19日 17:01
ウェールズで、フルート奏者のCeri Matthewsさんに紹介してもらった、Jonathan Shorland(ジョナサン・ショーランド)さんという管楽器職人に会いに行きました。

連絡を取ると、金曜日の晩にデボン郡のKings Bridgeという街の教会で古楽のコンサートをしているので、見に来ないかと誘われました。コーンウォールからデボンは近いので好都合でした。

Kingsbridgeは、イギリスの片田舎にある小さな街。早く着いたので、近くのスーパーで食糧調達。コールスローサラダとマンゴーとシリアルで夕食です。イギリスは外食が高く、日本だと800円くらいでそこそこ食事できますが、こちらだとマクドナルドか、レストランだとスープとパンくらいしか食べられません。

コンサート会場です。
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中世祭りとのことで、仮装した人も多かったです。ステージまわりには花が飾られて綺麗でした。

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演奏者は5人。リコーダー奏者がリーダーで、バグパイプも演奏します。ジョナサンさんと、ダルシマー&ダラブッカ奏者、ハーディガーディ奏者と歌手です。

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スペイン、イタリアの13~15世紀の曲が中心で、何度も書きますが、ハーディガーディ奏者が素晴らしかったです。自由自在!という感じでした。

仮面をかぶった舞踏家もでてきて、後半では全員が面をかぶって演奏しました。見えるでしょうか?とても盛り上がりました。

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こうして本格的な古楽(中世~ルネサンス音楽)が聴けるのは、ヨーロッパならではですね。アイルランドでは期待できないでしょう。

翌日の朝に、ジョナサンさんのご自宅へ伺いました。

ジョナサンさんは昨日のコンサートではオーボエだけ演奏していましたが、実はフルート、バグパイプも演奏し、もともとの楽器はフルートだったそうです。

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ウェールズ出身で、20年ほどまでのウェールズ音楽シーンにかかわっていました。当時、ウェールズは一度伝統音楽がすたれてしまい、人々はアイリッシュにならってウェールズ音楽を復興しようと試みていました。しかし、質の悪いアイリッシュのような音楽ばかりでした。

ジョナサンさんは、アイリッシュよりもブルターニュの音楽に共通性が多いことに着目し、ブルターニュへ何度も旅をして、そのアイデアを持ち込みました。初期は、先日紹介したケリ・マシューズさん、ジュリア・マーフィーさんと一緒にバンドをしていたそうです。

そのころからバグパイプ製作を始め、各種のリード楽器を作るようになりました。
写真は、パストラル・オーボエ。中世に使われていた、キーのないシンプルなオーボエです。

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ピブゴーンは、ウェールズ文化の展示会にも出品されました。

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ピブゴーンは一度完全に途絶えてしまい、文書と、生き残った楽器をもとにジョナサンさんが復元したそうです。D管が基本です。

ピブゴーンがほしくなったという方、いましたら僕までご連絡ください。4万円くらいかと思います。

熊野生流倶楽部
2011年5月21日 10:55
「熊野生流倶楽部」という熊野の愛好家による勉強会に参加してきました。

「縁 -enishi- 」の題字を書いて下さった須藤花月さんにご紹介頂いた、熊野研究家の満仲先生が主催している会で、大阪で毎月開催されています。40人くらいの方が参加しています。

本当の目的は、「縁 -enishi- 」を皆さんに知って頂くためだったのですが、今回は、被災地で学生100人で年に5回ボランティアに行くプロジェクトを立ち上げた代表の阪大生が来て、被災地のレポートをしており、生々しい様子に引き込まれました。大学の支援もなく、自費で行っているそうです。

震災後もアルバム製作に集中していて寄付以外の支援が出来なかった僕ですが、心はいつでも飛んで行って手伝いたい気持ちでいっぱいです。

会でCDのお話をしさせて頂いたおり、今日のCDの売上を全額、彼に寄付しますと宣言したところ、なんと14枚35000円も売り上がり、寄付することができました。僕も彼も今回1回だけの参加だったのですが、こうして巡り合えたのも縁だったのだと思います。

満仲先生と、阪大生に囲まれて。

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今日は大阪で「縁 -enishi- 」全曲演奏会。想いのたけを吹きます。


「縁 -enishi- 」の書
2011年4月25日 12:32
CD「縁 -enishi- 」の題字を書いて下さった、書道家の須藤花月さんの書展が、大阪千里で火曜日まで開催されています。花月さんは、熊野をテーマに創作活動をしていらっしゃいます。

今回のソロCDを、日本のケルトを海外に発信する、というコンセプトにしたとき、題字を書道にする案が浮かびました。しかし一方、海外では受けるかもしれないが、日本人にとってはどういう風に受け取られるのだろうか、という不安もありました。日本の伝統音楽のCDだと誤解されたり、陳腐な和風に思われたりする危険性もはらんでいるのです。

熊野の前先生に連絡し、熊野にゆかりのある書道家の方を紹介して頂くようにお願いしたところ、花月さんを教えて頂きました。なんと、僕が2年前にコンサートをした、熊野市のツアーデザインセンターで個展をなさっていたとのことで、ご縁を感じました。

早速、連絡を取ってみたのですが、電話が通じません。何日か連絡を試み、これでかからなかったら書は諦めよう...と思ってかけた最後の電話が通じました。

後で伺った話ですが、なんとその番号は普段使っていない携帯のもので、廃線にしようと思って電源を入れたところ、僕から着信があってびっくりしたのだそうです。これも偶然ですね。

突然電話をかけ、CDに書をほしい......などというお願いは初めてだと思いますが、それでも引き受けてくださいました。

お会いする前に、書いて送って頂いた「縁」の字は、力強くたくましい書体で、それは素晴らしいものでしたが、僕のイメージとはちょっと違うかも、と思い、僕のCDや熊野への想いをお伝えするために、会って頂けることになりました。

大阪のアトリエは、熊野の作品がいっぱい飾られていました。書を見る目は僕にはありませんが、タッチや字体でこれほど変わるのか......と感心しました。熊野の想い出などあれこれを楽しくお話し下さり、僕の笛を聴いて頂きました。そうして出来上がった書は、一つ目のものとは全く違う印象となりました。この書をCDに使わせて頂いています。

「糸へん」は、螺旋のDNA構造をイメージしたそうで、爽やかで流れるような書体になりました。とても感激し、パソコンのデスクトップの壁紙に使わせて頂いています。いつか伝統音楽センターを開いたら、この書を飾らせて頂きます。

これも偶然なのですが、CDのデザインをして下さった奥田さんも、「縁 -enishi- 」からDNAをイメージしたそうで、ブックレットに「∞ 無限」の文字がさりげなく取り入れられています。

書道家の方に書をお願いするというのは初めての経験でしたが、花月さんに出会えて、お願いできて本当に良かったと思っています。

このCDによって、世界中に熊野と花月さんの書を届けたいと思っています。

那智の滝をデザインした「飛竜」や熊野の名物名所をあしらった「熊野かるた」などを展示する花月さんの書展は、入場無料で火曜日まで開催されています。


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ことのは書家  須藤 花月

=熊野 IN SENRI=


4月20日(水)~26日(火)

<会場: ギャラリー 三英美術>

午前10時~午後7時30分  

*最終日は午後5時まで      

560-0082 豊中市新千里東町1-3-114(セルシ―1F)

℡ 06-6833-1266

復興応援ソング
2011年4月 8日 05:46
岡山に住むアイルランド人の友人、ショーン・オコナーさんから、復興応援ソングを作ったと連絡頂きました。彼の奥さんジュンコさんと一緒に歌っているようです。



彼のホームページからi tunes storeやamazon MP3へのリンクがあるので、有料ダウンロードをすると、赤十字に売上金が支払われるそうです。

http://www.seanmusic.com

ミュージシャンとしてできることを実践していて、素晴らしいですね。

Keep up the good work,Sean!

世界へ
2011年2月20日 22:13
朝、書道家の須藤花月さんとお会いして、書を受け取る。
オリジナルソロCDの題字、「縁」の一文字だ。

CDのタイトルが決まったとき、日本だけではなく、世界に音楽を届けたいという思いで、ジャケットには日本らしい毛筆を載せたいと思った。書道家の方を求め、熊野の前先生からご紹介頂いたのが、花月さんだった。

花月さんは熊野をテーマに創作をしており、一昨年コンサートをした熊野市のツアーデザインセンターで去年、個展をなさったという。
さらに今日知ったのだけど、花月さんの妹さんは、僕が番組を担当している箕面FMで働いているそう。これも縁の引き合わせ。

花月さんの作品「縁」は生命の循環、無限を表しているという。らせんのような糸の字、ひと筆でつながった彔の字。花月さんによると、このような曲線は、書こうと思って書けるものではありません、とのこと。書の持つ可能性、力を人生で初めて感じた。僕は、花月さんの書を冠したCDを携えて世界を旅する。

CDのジャケットデザインは、北欧関係のフライヤーやCDを手掛ける奥田さんにお願いした。僕の作曲のために熊野の風景を撮影してくださった高見さんの写真と相俟って、熊野をテーマにした写真、音楽、書のコラボレーションとなる。

ジャケットだけではない。編曲や演奏で関わって下さる方々や、本当に、本当に、たくさんの方のご協力でCDが出来上がっていく。感謝しきれない。

花月さんがおっしゃるには、スペインのガリシアのサンチャゴは、熊野とともに「道」が世界遺産に認められた、たった二つの例のうちの一つだそうだ。

なんと、同じお話しを名古屋で3月12日に開催する僕のコンサート製作をして下さっている山田さんから伺った。

同時期に同じ話しを聞く、この二つの偶然の重なり。この夏、ガリシアには、行かねばならない。

その山田さんは、僕のことをフランスのブルターニュ地方ロリアンで毎年開催される、世界的なケルトの祭典インターケルティック・フェスティバルに推薦して下さった。
今年は残念ながらタイミングが合わないけれど、ブルターニュにもこの夏に行くので、きっとつながるはず。

晩に、スウェーデンの大音楽家、アッレ・メッレルさんのグループの音楽ワークショップに参加。彼らのグループを、僕は7年前にスコットランドで見た。素晴らしいステージだった。スウェーデン音楽に、アフリカやギリシアの歌、リズムが交わるワールド・ミュージック。彼らの素晴らしい音楽を聞いていると、幻想かもしれないけれど、人類がどんどんひとつになってゆくように感じる。夢を見させてくれる。

メンバーで歌やフィドルを演奏するセネガル人のママディさんは、英、仏、スウェーデンのほか、4つの現地語を操るという。多言語、多民族のヨーロッパではマルチリンガルは珍しくない。

この時代、少なくとも母国語と英語の他にもう1ヶ国語は喋れるようになっていたい。それだけで、人生の幅、可能性がまったく違うように思う。

帰宅すると、スペインと韓国から、問い合わせのメールが入っていた。どちらも、アイリッシュを演奏していて、僕の音楽のファンだと書いて下さっていた。

アジア、ヨーロッパ... 

ケルトを鍵に、どんどんつながって、縁の輪が広がってほしい。

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中国人のケルトの笛奏者を見つけた!
2011年2月17日 01:06
今朝、僕のyou tubeに中国語でコメントをくれた方がいました。

北京在住のGuoZhong Wu君19歳です。

 「希望有一天,尓可以能来北京开音乐会,我一定会去看的!喜欢?们的音乐。」
 ※尓=ni(3)、あなた

 「いつか、北京であなたのコンサートがあれば、見に行きます!あなたの音楽が好きです。」

 彼のyou tubeには、アメリカのホイッスル奏者、Joanie Maddenのコピー演奏がたくさん 上がっていました。かなり細かいニュアンスまでコピーしていて、しかも、非常に上手いです。



北京にはアイリッシュを習える先生はおらず、独学で練習しているそうなので、 成人して、すごく化けそうな気がしました。

早速、メールの返信を書きました。

いつか彼に、僕のレッスンを受けてもらいたいと思っています。
今年の欧州旅行は、北京乗り換えで、会いに行こうかなあ!
アジアに夢が広がります。

おまけ。 彼の手にかかると、笛子も... 

民の謡 に行って来ました
2011年2月14日 09:05
岸和田のだんじり囃子を中心に、日本の横笛「篠笛(しのぶえ・しの笛)」の演奏・指導教室、 篠笛・和太鼓の調査研究を行なう株式会社、「民の謡 (たみのうた)」の京都店に行ってきました。

http://www.taminouta.com/

代表を務めるのは、森田玲(もりたあきら).さん。
僕の2つ歳上という若さながら、お店を2つ持ち、大いにご活躍なさっています。

3年くらい前でしょうか。スウェーデンの笛奏者のヨーラン・モンソンのコンサートを 見に行った時、森田さん達が前座を務めていらっしゃり、笛の音はもちろん、その美しい動作に感動したのでした。

だんじりに笛が入ること自体知りませんでしたし、こうして音楽として舞台芸になりうることも知れて、素晴らしい出会いでした。

場所は離れていますが、津軽の笛も、とても活発になってきているので、衰退が危ぶまれている日本の伝統音楽の中で、こうして若い世代が力をつけて頑張っていることを、同じ日本人として誇りに思います。

http://blog.livedoor.jp/yokohuehukyuu/

民の謡は、去年にホームページを拝見し、ぜひお店に伺いたいと思っていましたが、昨日ようやく叶いました。

楽器の製作販売、教本製作、講師の育成などを通じて会社組織として伝承をしていくという姿勢が素晴らしいです。

僕も偶然にも演奏、教育、普及を三本柱にケルトの笛のプロモ-ションに取り組んで来ましたので、まさにジャンルは違えど同じ道の先輩だと感じています。大いに刺激を受けました。

民の謡の今後の活動にご注目下さい!

台湾の後継者
2011年2月10日 10:10
オンライン・レッスンで受講している台湾の唐さん。

台湾でケルトの笛を広めようと、本気で考えているそうです。 昨日は、レッスンの仕方をレッスンしました。

僕の教材を翻訳してもらい、中国語にも対応できるようになりました。

http://irishflute.info/lesson/tinwhistle_cn.pdf

そして、2本吹きも習いたいと言うので、レッスンしました。 いや~初めて教えました(笑)

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早速、動画をyou tubeにアップロードしていました。 すぐに人に見せたくなるところも僕そっくりで、笑えます。

http://www.youtube.com/watch?v=3BETlazyiPE

愛弟子です^^

大学の先輩と13年ぶりの再会
2011年2月 5日 09:06
大学1年生の時、今や新進気鋭の日本胡弓奏者である木場君に誘われて参加した、立命館大学の軽音ジャズ部。

僕はそれまでジャズなどほとんど聴いたことがなく、ピアノが弾きたくて入部しただけだったんだけど、これが僕の人生を決定づけるきっかけになった。

木場君は淡路島の高校生時代からジャズピアノを習い、作曲もしていたスゴイ高校生だった。彼には楽器のことや音楽のこと、本当に多くのことを教えてもらった。特に民族音楽が好きだった僕たちは、民族音楽サークル「出前ちんどん」を創立し、今もサークルは続いている。

今回はそれとは別の、ジャズ部のお話し。ジャズ部は、2年生に「ちんどん」を立ちあげてから辞めてしまったんだけど、1年生の頃は、「ボックス」 と呼ばれる部室に、文字通り入り浸っていた。授業もサボって、朝から晩までピアノ弾いたり、漫画読んだり、そんな不良学生のたまり場だった。もちろん、練 習もたくさんしていた。今思えば皆、異常なほどの音楽好きだった。

この時の部長が、足立先輩こと、足立知謙さんだった。

足立先輩は力の抜けた優しいお兄さんといった風で、ピアノはめっぽう上手かった。1年生の時には同じピアノということもあっていっぱいお世話になったけど、2年生以降は会うことも無くなった。風の頼りで、卒業後は小学校の先生になったと聞いた。

それから10年ほど経って、足立先輩と再会したと、木場君から聞いた。クラブミュージックやエレクトロニカの作曲家、商業作曲家として成功してい るそうだ。2人は意気投合して共演を重ね、「木立」としてユニット活動を始めた。先日、木立のCD"JAPAN"が発売になった。

http://www.myspace.com/kodachijp

これが、本当に素晴らしい完成度。胡弓の新時代を感じる。
木立についても、また改めて書きたいです。

そんな足立先輩に、思いきって、僕のCDの1曲をアレンジして頂くことをお願いした。打ち合わせのために、自宅まで出向いて下さった先輩。13年ぶりの再会だ。

お互い全然変わらないなあ、と言いながら、13年間の時の隔たりなど感じさせないほど、心温まる再会となり、木場君とともに、まるで学生の時のようだった。

この1曲は、アルバムの中でも冒険的な曲になりそうだ。まさに、「縁」。このアルバムのテーマを感じている。

台湾の人生の先輩
2011年1月19日 00:43
日曜日のコンサートに来てくださった、台北在住の笛奏者の劉さんが、ランチに誘ってくださいました。

素敵な庭園がある高級なレストランで、久し振りの洋食を食べ、おうちにご招待頂きました。

二人のお嬢さんがいる40歳代の素敵な紳士。本職は小学校の音楽の先生なのですが、幼少より笛子(中国横笛)を演奏し、かなりの腕前ながら、現在は十数年リコーダーを演奏し、ここ数年はオカリナも演奏をし始めたそうです。

この日にわかったことですが、先週に士林楽器で買った台湾オカリナの教本の著者でもあり、また、中国音楽とジャズをかけあわせたバンドや、オカリナのための変奏曲集を書いたりもしていて、非常に実力のある演奏者のようです。また、リコーダーの先生が日本にいて、そのお嬢さんはアイリッシュ・フィドル奏者の大竹奏さんだそうです。つくづく、ご縁を感じます。

劉さんは英語が達者なので、本当に深いお話をたくさんして、ランチどころか晩御飯までごちそうになってしまったのですが、中でも非常に感銘を受けたエピソードがありました。

実は劉さん、中国笛を辞めてしまって、今は全然吹いていないんだそうです。

僕の年の頃、2人のお嬢さんもいながら、中国笛奏者として高級ホテルで連日のように演奏活動をするほか、リコーダーアンサンブルの指揮者をし、合唱グループにも参加したりと、多忙を極めていたそうです。ほとんど家にいることがなく、奥さんとの喧嘩が絶えなかったのだとか。そこで、劉さんは笛子をやめる決断をし、バンド活動もやめたのだそうです。

これが、劉さんにとって良い転機となったそうです。

というのも、中国笛を吹いていた時は競争心と嫉妬が激しく、自分より上手い奏者がいれば、負かせてやろうと練習に励み、音楽を楽しむところではなかったのだとか。以後は、自分のペースで、何をやるにも楽しみながらできるようになったのだそうです。

また、家族との思い出作りを何よりも大切にするようになり、家族旅行をたくさんしているそう。子育ては時間もお金もかかり、自分のことが思うようにできなくなるけれど、子供を持つことでやっと、自分の人生が完結したと言っていました。

何かを棄てることは、何かを得ることになるのですね。

劉さんは教本を執筆するほか、5泊のリコーダーのキャンプを毎年開催したり、海外の演奏家を招いてコンサートを主催したり、海外に習いに行ったりと、まさに僕と同じようなことをなさっています。

劉さんは言います。

40代になり、体力が衰えてくる。今までできていたことができなくなる。そして、年齢を重ねると、健康の問題も出てくる。思うように生きられなくなる。音楽との付き合い方は変わるけれど、自分の人生を認め、年齢を受け入れることで、もっと音楽を深く知ることができる...。
まさに僕の先輩としてのアドヴァイスを、たくさんいただきました。

劉さんとの出会いは、とても大きな影響を僕の人生に与えました。

台湾的友人介紹
2011年1月14日 12:36
ヴァイオリン弾きの子涵:ツーハンさんが練習に来ました。
台湾人は英語名を持つことは普通なので、彼女の英語名でリジーと呼んでいます。

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彼女は去年まで大学生だったのですが、台北の品多という所にあるカフェで演奏したとき、たくさんの女友達を誘って来てくれて、演奏後はもみくちゃにされて撮影会のようになってしまいました。峰彦さんが、「可愛~!」と大人気でした。

リジーはオーケストラで演奏もしているので、明日のコンサートではリジーも誘って一緒に演奏することになりました。

ノートパソコンを新調して持ってきているのですが、楽譜ソフトが入っているおかげでこちらでも編曲ができて、大活躍しています。

今日は、これから唐さんの友人の結婚式に誘われて、演奏してきます。200人も集まる盛大な式のようで、楽しみです。


台灣的母親
2011年1月12日 15:47
今回は唐さんの家に2週間もの間、ホームステイをさせて頂いています。

唐さんはご両親と同居しているのですが、去年に来たときは、中国語が全く判らなかったので、ご両親とは挨拶以外のコミュニケーションが
ほとんど取れませんでした。

今回は、少しだけですが話せるようになったので、こちらから積極的に片言の中国語を話しています。

昨日、朝から雨が降っていたので「寒いですね」、と話しかけました。
お母さんは、「ジャケットは持っているの?」と。「これだけです」、と答えました。

ご自宅から唐さんの事務所へは、車で20分。

着いてしばらくしてから、玄関のベルが鳴りました。

お母さんが、なんと原付を走らせて、僕にジャンパーを買って来てくれたんです。そこまでして下さる事が余りに信じられなくて、言葉を失ってしまいました。

帰ってから、おかげで暖かいです、とお礼を言うと、階段を指差して、毛布を用意しておいたよ、と。言葉はわかりませんでしたが、伝わりました。

外国人で言葉も通じない僕を、本当の息子のように大切に想ってくれる、台湾のお母さん。感謝しきれません。

この方のためにも、中国語を話せるようになって、ちゃんと自分の言葉でお礼を言えるようになりたいです。

台湾ルカイ族の鼻笛奏者との出会い
2011年1月10日 08:42
台東から台北に帰る日。
昨晩、鼻笛演奏者のディロンさんから家に寄るように誘われていたので、電車を昼の便にして、ゲストハウスの若女将、小官(シャオクァン)さんに車を出してもらう。

ディロンさんの家は、ゲストハウスから割と近く。
家のそばの朝ごはん屋さん(としか表現できないのだけど、サンドイッチや軽食を作ってくれるお店)でご飯を買って、ディロンさんの家へ。

コーヒーを頂きながら、いろいろな鼻笛を見せてもらう。

玄関にたくさんの竹が積まれていたので、自分で笛を作るのか聞いてみた。竹を切って、1年寝かせて笛を作るのだそうだ。竹を切るのは真冬が良く、穴を焼きごてで開ける。失敗したら、捨ててしまうとのこと。

鼻笛は常にペアで吹くのだけど、それは、男女の象徴で、男の笛のほうには指穴があいている。たくさんのペアを試して、一番マッチする笛をカップルにするのだとか。

吹いてくれた音楽は、静かで、自分の中と交信するような音楽。人を楽しませる音楽とは正反対のもの。

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ディロンさんの彼女が英語を話すので、詳しい話を聞いた。
ディロンさんは、台湾の少数民族「東ルカイ族」で、ルカイ語と中国語を話すそうだ。彼の外見も、多くの台湾人とは違い、肌が茶色く、ハワイなど太平洋の島々の先住民のような顔つきだ。

どうして、鼻を使って笛を吹くようになったのだろうか。
太平洋の島々には口が不浄だから鼻を使って笛を吹く文化がある、と聞いたことがあるので、そういう理由かと質問すると、そうではなく、鷲が滑空する様子を表現するために、鼻のほうが良いのだとか。

昔ルカイ族には敵の首を狩る習慣があり、首を狩ったときの曲を吹いてくれた。シャーマン的な、宗教的な曲だった。

彼は、工房にも招き入れてくれて、竹の選び方や穴の位置の決め方、笛に施す彫刻のことなども話してくれた。

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ソロCD鋭意制作中!
2010年12月 9日 07:21
来春3月、セントパトリック関連を含めて各地での演奏が決まりつつあります。3月中旬から名古屋、大阪、広島、福岡、盛岡、青森を回る、大規模なツアーになりそうです。来春に発売を予定しているソロアルバムの発売を早めて、なんとかレコ発を兼ねられないかと考えています。

目下製作中の本アルバムのタイトルは、「縁 - Enishi - 」と決まりました。人生は人と人とが織りなす縁の物語。出会いの不思議さを讃え、一期一会の気持ちで生きていきたいという決意表明でもあります。また、アイルランド語で島を意味する「Inis」と響きが似ているので、島国である日本から、島国アイルランドへのラブソングという意味もかけてあります。

ジャケットには、熊野古道の神社で撮影した写真に、書道家の方の書を拝する計画です。日本をアピールすることで、海外での販売を意識しています。

12曲中9曲がオリジナル曲で、トラディショナルなスタイルはもちろん、室内楽風、バロック風、ジャズ&フラメンコ風等の、色々なスタイルの楽曲に仕上がっています。昨日は、Karma(カルマ)という曲を録音したのですが、この曲のために、日本を代表するプレーヤーのお二人にご参加頂きました。ギターの小林智詠さん、シタールの田中峰彦さんです。

お二人とも労を惜しまず、どんどんご自身のアイデアを出して、曲を良くしてくださいました。もちろん演奏は最高に素晴らしいです。自分の曲がこんな風になるなんて!と新鮮な感動を覚えました。
お二人はお互いに面識がなかったのですが、すっかり意気投合して、よいサウンドになっていました。こうしてまた、僕の好きな人達をつなげることができ嬉しいです。

録音が終わった後は家に来て頂き、妻のピザで打ち上げをしました。

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このアルバムを携えて来年6月~7月はフランス、イギリス、アメリカでコンサートが出来そうです。各国のミュージシャンの友人がライブのセッティングを申し出てくれています。
本作によって可能性がどんどん開かれていく予感がしています。一生売り続けていける良いものを作れるよう、今が勝負時と思い励みます。

ノダゴローさん
2010年11月19日 23:31
先日名古屋の宗次ホール公演に来て下さったお客様とメールをやりとりしている中で、
その方が1度だけ書き、僕の目に留まった「ノダゴロー」さんの文字。

話題はノダゴローさんのことではなかったのに、妙に気になって検索してみた。
アコースティック・ギタリスト、作曲家。2006年6月7日、43歳で没。

とりあえず、このページを読んで欲しいです。止まらなくなるから。。

http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=NODAGORO&P=0

プロフィール
http://www.geocities.jp/nodagorojp/profiles.htm

音源への直リンクです。(探すと、他にもたくさんあります。)
http://www9.muzie.co.jp/download/113212/songs214/artist_-_almond_brossomsrain_-_1...mp3

なんだこれ。泣きそう。

出会ってしまった。
しばらく衝撃が止まりそうにありません。

ディックさんが来て1週間が経ちました
2010年10月26日 23:44
ディックさんが伊丹空港に降り立ってから、今日で一週間が経ちました。3週間の滞在の1/3があっという間に過ぎました。これまでも毎日、目が回るほどの仕事でしたが、レッスンやパブライブも続けながらディックさんとの身の周りのお世話やツアーをしているので、さらに大変な状態になっています。

アイルランドなどのサマースクール(音楽キャンプのようなもの)に行くと、先生と1週間くらい朝から晩まで一緒に過ごすのですが、今回の場合は先生を独り占めしているわけですから、ものすごく貴重な時間を過ごさせて頂いていると思っています。移動中の電車の中ですら、ドローンの楽器工学やらチューニングの話など、知らなかったことをたくさん教えてもらっています。

英語は、ちゃんと通じています。1分に1語くらい知らない単語が出てきますが、そのたびに電子辞書で調べています。でも、ヒアリングが出来てもスピーキングが不自由なので、アメリカに行くまでにもっともっと勉強しなくてはと思っています。「傘をさす open an umbrella 」、「腕時計をつける put a watch on my wrist」など、生活の基本的な用語が案外表現できなかったりします。マイル、インチ、フィート、ポンドなどの単位、乾電池の「AA」や、プリント用紙のサイズなども違って戸惑うことも。

ディックさんは日本食が口に合うらしく、何を食べてもおいしいと言ってくれます。日本食を見るとテンションが上がります。昨日は控室(Green Roomと言います)の労音さんが作ってくれた重箱に感激して、僕が食べる前につまみ食いしていました。

今日は、京都に日本庭園を見に行ったのですが、数字に強く、几帳面なディックさんは、乗り換え時間と閉門時間を調べて、一つのお寺に掛けられる時間を真剣に計算していて、なんだか可笑しかったです。

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この本は、2年前に僕がプレゼントした日本庭園の写真集です。使い倒してくれています。

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宇治の平等院鳳凰堂に、高校の修学旅行以来に訪れました。素晴らしい所ですね。

明日も京都に行くそうです。

事業家の夢
2010年10月 9日 16:14
昨晩に北海道から戻り、再び慌ただしい日常にも帰ってきた。

午前中から名古屋で3件のアポイント、どれも、とっても大切な用事。
ひとつは、名古屋の学校公演の打ち合わせ。もうひとつは、11月3日に名古屋の宗次ホールでのコンサートについて、中日新聞記者とのインタビュー。
早朝には、カレーショップCoCo壱番屋が母体の芸術基金に、笛博のレポートを提出。

実は昨日、千歳空港の書店で、ココイチ創業者 宗次さんの復刊書を見つけ、飛行機、新幹線で読んでいた。



この方は本当にすごい。
僕が尊敬する方は経営者に多いのだけど、中でも最も尊敬している方だ。

天才的な才能や経営センス、テクニックや戦略ではなく、実直で誠実、確実に、信じることをする点が素晴らしい。

毎朝4時の早起きや近隣の掃除は今も欠かさないし、社長時代はお客様アンケートにも一通一通目を通し、返事をしていたという。実際、笛博の招待状をお送りした数名のうち、手書きの葉書で参加辞退の返信を下さったのは宗次さんだけであった。一流の忙しい人こそ、瑣事に手を抜かない。

大胆な発想や、勇敢な決断によるウルトラCではなく、やると決めた小さなことを、目標に向かってひたすら積み重ねていく姿勢は、誰にでもできそうでいて、容易にできることではない。

宗次さんは「経営の秘訣は、継続することで栄えること、"継栄"だ」と言う。ドラッカーの経営論で、イノベーション(革新)とは閃きや運任せといった不安定な要素に任せるべきではなく、日常的な改善にあると読んだ。まさに、イノベーションなのだ。

しかも、意識が自分の出世や繁盛、満足ではなくお客様の満足に向いている。お客様に満足頂ければ、成果は自ずとあがると考えている。

業種は違っても僕の仕事に生かせるヒントが山とある。コンサートもレッスンも、顧客満足がなければ成功はない。お客様へ最大限、貢献をすることに尽きる。
コンサートやレッスンに通って下さったお客様が、次もまた、と思って頂けるかどうか。毎日のコンサートやレッスンにマンネリ化せずに、毎回が一期一会と心得て、魂を込めること。

日常的な改善は、例えばレッスンの説明法を少しでも解りやすくするために工夫を凝らし続けること。一度、形が出来上がっても満足せずに、飽くなき改善を求めることだ。そういう小さいことの積み重ねが、奇跡を起こすのだと思う。

企画、接客、サービスと、音楽家はかなりの部分で宗次さんに学ぶべきことがあるはずだ。そんな宗次さんに、笛博の大成功を報告できたことが嬉しい。にこやかに、耳を傾けてくださっていた。

ただ、宗次さんにどうしてもかなわないのは、宗次さんは趣味の音楽鑑賞さえ封じて、30余年、ただ経営に没頭した点だ。僕は楽しみを先に取っておくなどできない。「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」が好きだ。

だからこそ、宗次さんはCoCo壱番屋1300店舗出店、インドにも進出ができ、すきな音楽ホールを個人資産で建てることができたのだろう。

宗次さんの本を読んで、ますます熱くなってきた。

きれいごとのようだけど、音楽を通じて、幸福や喜びを提供したいと心から思う。笛博に参加して下さったすべての人の笑顔を見て、これが僕の喜びだと思った。関わる人すべてが心が満たされ、幸せになり、学びや気付きを得る、そんな事業をしたいと、夢に描いている。

夢を生きる
2010年8月24日 22:08
石見銀山の松場ご夫妻の人生は、まさに夢のようだ。

登美さんの著書にその半生が詳しく書かれているけれど、簡単に紹介したい。

お二人が出会ったのは名古屋。
当時、奥さんの登美さんは三重の田舎から出てきて画材店で働き、大吉さんは大森(石見)から名古屋の大学に進学した学生でミスタードーナッツでア ルバイトをしていた。アパートの隣同士の部屋だったことがきっかけで、交際が始まった。ほどなく登美さんが妊娠、結婚を決意し、二人は大森に住むことにな る。

大森町は人口500人、江戸時代まで銀山で栄えた名残は無く、高齢化が進んで空き家だらけで、窓ガラスは割れカーテンが風になびくような風景で、 荒れ果ててどん底の状況だったという。まして二人は貯金もなく貧乏の極み。それでも、なんとか子供を育てたいと、登美さんが唯一名古屋から持ち帰ったハギ レを手作業で縫って小物を作り、大吉さんが手押し車で売り歩いた。

ほどなく、それが世間の注目されるところになり、近所の主婦に内職して手伝ってもらいながら事業を拡大、現在は年商10億円、都内や京都など各地 に直営店を経営している。大森の空き家を取得して、景観や古いものの良さを生かした改築をし、また地域に100人の雇用を生み出した。今や、この会社で働 きたいと、全国からこの集落に若者が訪れている。

こちらに、毎日新聞の記事があります。
http://doraku.asahi.com/hito/runner/070119_02.html

僕が初めて訪れた時、近所に住む大工のおじさんと会った。大阪などに出稼ぎに出ていて、退職して、ふるさとに帰ってきたのだそうだ。古民家の改築などはこの方に任せています、と言っていた。

13年の時を経て、改築された古民家が増え、現代的で機能性を重視した本社屋が出来、大工のおじさんは、社員として雇用されていた。お店は広く、東京の最先端のデザインにも引けをとらない素敵なセンスのお店になっていた。成長の経過を知っているから、本当に驚くばかりだ。

何もないところから、一代でここまで会社を育てた松場ご夫妻。大森に引っ越してきたとき、このようになっていようとは、町の誰が想像していただろうか。

二人は、常に、この空き家はこうなったら素敵だね、などと語り合っていたという。
「心想事成」(しんそうじせい) ── 中国のことわざで、心に思い描いたことは
必ず実現する、という言葉。登美さんの座右の銘だ。

登美さんが商売を始めたのがちょうど、僕と同じ年のころだった。
僕の人生も、まだまだこれから。

夢を、生きよう。

人生の師に会いに島根県へ
2010年8月23日 22:09
18歳・大学一年生の8月でした。

北海道から出てきた僕は、本州の風土が知りたくて、大学の関東出身の友人と計画して、自転車で西日本を周遊しました。当初京都の日本海側~城崎、鳥取、島根、関門海峡をまわって山陽道から帰るはずでした。

1日の走行距離100㌔余、2週間を予定していましたが、僕の自転車は何度もパンクし、チェーンは切れ、足腰もガタガタ、日焼けで皮膚はヒリヒリ。想像以上に過酷な旅でした。

そこで、音を上げて島根県から南にショートカットすることを決意、大田市から南下しました。ところが、迎えるは中国山地。ほどなく、日暮れが近づき、石見銀山に投宿を決めました。

石見銀山には、こうならなくとも、どのみち寄りたかったのです。
北海道からの飛行機の中で読んだ「翼の王国」に、石見の五百羅漢寺の小さな石橋の写真が載っていて、ひび割れて苔むした様子に惚れ惚れしたからでした。

石見銀山のある大森についたのは夕暮れ。宿は無く、野宿を覚悟したとき、地元のおばさんが、泊めてくれそうな所を知っているよ、と教えてくださいました。

そこは、いかにも田舎にありそうな茅(かや)吹きの農家。持ち主はここには暮らしておらず、ご縁ありこの家を広島県から買って移築したのだそうです。
家人が暮らす母屋で食事を頂き茅葺きの家に戻ると、久しぶりに柔らかい布団で眠りました。まるで狐に化かされたような気持ちでした。

聞けば、ここの所有者は大森で商売を営む松場ご夫妻のもの。

大森でアパレルや雑貨メーカーを創業し年商数億円にまで成長したが、人口たった500人の山村を愛し、ここを離れずに文化を発信していました。

文化人、芸術家、政治家などが松場夫妻のまわりに集まり、理想郷の様相でした。

翌日、奥様の登美さんから、商売を始めるに至った経緯、暮らし方、ものの考え方などたくさんの話を伺いました。ものを知らない僕は、大きな影響を受けて帰りました。

ことこまかく書くことができませんが、森まゆみ著『起業は山間から』を読むと、松場登美さんの思想にふれることができます。
僕とのエピソードも ちょっとだけ紹介されており、読んだときは嬉しかったです。

茅葺きの家は、僕が創立した立命館大学の民族音楽サークル 出前ちんどんの合宿場として、僕が在学中より現在にいたるまで、毎年使わせて頂いています。

石見に行ったのはこれまで3回。松場さんは、ご縁という言葉をよく使い、大切にしていました。

人の縁、土地の縁。

僕が最近人生のテーマにしている、出会いと成長という発想は、間違いなく松場さんから影響を受けています。

今年は鳥取での仕事が入ったため、明日から休暇を取って大森に行く事になりました。松場さんに会うのは5年程振り。13年前の出会い、成長への恩返しとして、コンサートもします。 なんと、ギターのえぐちひろしさんも、偶然にいらっしゃることがわかり、ご一緒下さいます。 今なら、松場さんと話したいことが山とあるのです。

そして、いつかは、形は違えど、松場さんのようなことをしたいと思いはじめています...。

出会いのかたち
2010年7月17日 19:48
梅雨があけました。明日から四国ツアー、今治、松山に行きます。愛媛県は初めて。道後温泉って、どんなところなのでしょう。観光も楽しみです。

東京で去年レッスンをさせて頂いた生徒さんから、お礼状が届きました。手書きの笛の絵まで書いてあり、想いが良く伝わり、とてもうれしかったです。ファンレター、お礼状ほど、「やっていて良かったなあ」としみじみ思えるものはありません。

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生徒さんから、次々とお中元を頂きました。そういう習慣がなかったもので、思わぬプレゼントにびっくりです。写真は、播州から通って下さっている生徒さんより、そうめん「揖保の糸」。早速、美味しく頂いています。ありがとうございました!

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先日、友達についての日記を書きましたが、特に音楽仲間の方に、「仕事仲間」という言葉がドライに聞こえてしまって、寂しい想いをさせてしまったようです。言葉には、受け取り方が色々あることも忘れて、いつも自分の言葉で書いてしまいます...ごめんなさい。

僕にとっては、仕事(音楽)は単に「お金を稼ぐ手段」を越えて、自分らしく生きる方法であり、学びの手段であり、人と出会い、切磋琢磨する場であり、自分そのものだと言えます。

仕事をとても大切に思っています。ですから、仕事仲間という言葉には、同志という意味が大きいです。ですが、友達というとどうかな...。という気持ちがあったため、そのように書きました。いつも仕事仲間には素の自分で接したいと思っていますし、素直な心を通わせたいと思っていますので、すこしでも伝われば嬉しいです。

今、教室の理念について考えていて、何故自分はレッスンをしているのか...という問いに色々な角度から答えてみています。「仕事」であるほかに、驚くほど色々な意義をレッスンに感じていることが改めて分かりました。

中に、「素晴らしい人と出会うため」というのがあります。ライブでも、教室でも、何かを買って頂く場合でも、それは人と人の出会いの形の一つです。ステージと客席の間であれ、教室の中であれ、どんな形で出会っても、人と人は反応し合い、化学反応を起こします。

特に、レッスンでは定期的に顔を合わせるので、それだけ関係が深まります。そこに意義を感じているのだと気付きました。

人間って、色々な人がいて、色々なことを感じて、考えて、行動しているんだなあとつくづく想うこの頃。人づきあいや人間社会は、まことに深い、興味がつきないことです。

中国人からの突然の電話 Calling from a Chinese.
2010年5月27日 00:31
家でレッスンをしていたら、電話が鳴った。

取ってみると、「中国から来ました、二胡奏者の○○と申します。演奏者を募集しているというので電話しました」と若い男性の声。

ホームページを読んで、電話をかけてくれたようだった。はて、演奏者の募集などしていなかったけれど...。まして二胡?

レッスンが終わってから、こちらから電話をし、話を聞いてみた。

彼は河南省から東京に住んで、二胡のレッスンをしている。
演奏の機会を求めているらしい。自分に何ができるかはわからないが、近かったらぜひ会ってみたかったのだけど、僕が大阪のそばに住んでいるというと、明らかにがっかりした様子だった。

それでも、これもご縁。いろいろ聞いてみたくて、話を引き延ばした。

自分が彼だったら。例えば、僕がアメリカに行って、彼のように積極的に自分を売り込めるだろうか?
YES!怖いけど、断られるのを恐れずに。

頑張ってほしい!

*************

One day I was teaching at my house, somebody gave me a ring.

The young man over the phone said, "I am a erhu player from China living in Japan, I heard you are looking for performers..."

It seems like He called me by reading my website.
But I have never looked for any performer, especially Erhu player.  

After the class, I called him.

According to what he said, he came from Henan province of China, now lives in Tokyo, and teach some students.He is trying to find a chance to get gigs.
I would like to see him if he live closer to me, although I don't know what exactly I can do for him.Apparently his voice sounded discouraged to know I live in near Osaka,

If I was him, I thought,
Can I be so aggressive as he is ,for example, if I am in US?
Yes, of cource I can be.
Refusal is always heartbraking but....

Good luck to him !

旅をせんとや 生まれけむ
2010年4月25日 22:50
昨日のタナ・トラジャのコンサートにて数年ぶりに再会したある女性(僕と同年代)とのお話しがとても刺激的でした。

その方も6、7年くらい前にセッションに通って下さった方でした。その後、どんな暮らしをしていたのか聞いたところ、筋金入りの旅人になっていました。

20歳の頃、アメリカ人の彼を頼ってアメリカに移住。その後、彼とは別れたそうですが、世界のどこかに住みたい場所があれば、その地域の語学学校に留学し、卒業後そのまま暮らす、というスタイルで、ノルウェー、ベルギー、南米などで長期滞在。日本に帰って半年~1年くらい仕事をしては、仕事を辞めて世界を旅しているのだそうです。

北極圏のオーロラや白夜、南米の高地など、旅を話を聞いているだけでこちらもワクワクドキドキ。僕は旅の話をするのも聞くのも大好きですが、そその人が実際に見て感じたことだから。本やインターネットでは感じられないリアルな言葉があります。

日本にいると息苦しくなって、うずうず、旅をしたくなるのだそうです。分かります。まさに生まれ持っての旅人なんでしょうね。女性一人旅なので、もちろん怖い経験もいっぱいあったようですが、旅先で友達が出来たりロマンスが生まれたり...と、冒険もたくさんしてきたようです。

先日マネー情報誌で、家計を切り詰めて蓄財するという特集を読んで、計画的に暮らすことの息苦しさ、現実を見つめることに切なさを感じましたが、生き方はまさに色々ですね。彼女に今後のことを聞いてみたら、日本に外国人の旅人を招くような仕事がしたい、とのことでした。

僕が旅をしたい理由は、好奇心が第一、そして、誰も自分を知らない土地で、何者でもない自分になりたいという欲求もあります。

人生で何をやり残したら後悔するか、と考えた時、大旅行は重要なテーマです。いつでも旅に出られる、旅先でもお金が稼げる音楽の仕事は、まさに自分にぴったりの選択だったと嬉しく思っています。
生活の基盤を作ることと、冒険することはバランスが取りづらいものですが、僕は模索し続けます。

CoCo壱番屋創業者の教え
2010年3月20日 07:52
名古屋のセント・パトリックス・デイのイベントに演奏でお招きいただき演奏したのが6日。コンサートに、、名古屋・栄のコンサート・ホール「宗次ホール」の支配人がいらっしゃっていた。日本最大手のカレー飲食チェーンであるCoCo壱番屋の創業者・宗次徳二さんが、52歳で引退した後に、社会に還元する活動として創設した自宅兼ホールで僕のコンサートを企画したいと、見に来て下さったのだ。

日帰りするつもりだった僕は、その日は泊まることにして、翌朝一番に宗次ホールに伺い、打ち合わせをさせて頂いた。宗次さんには残念ながらお目にかかることはできなかったけれど、宗次さんについては非常に面白い話をたくさん伺えた。その場でご著書である『日本一の変人経営者』を買わせて頂き、あまりに波乱万丈・奇想天外な人生に引き込まれ、帰りの電車で読了。電車が尼崎に着くより早く、「この人にお会いする」と決断した。

宗次さんは、繁盛する店づくりの秘訣として、掃除をあげていた。早起きして店舗の周りを掃除する活動を、創業時から守ってこられた。引退した現在もホールの周辺を毎朝7時から掃除しているという。宗次さんを見習って僕も7時の清掃活動に参加しよう。帰宅後すぐに支配人に連絡し、お礼を伝えるもそこそこに、伺いたい旨をお伝えし、調整をお願いした。

15日、月曜日。4時に起床し、妻と、6時に出る朝一番の新幹線に乗って名古屋へ向かった。

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7時には栄に到着。すぐに、ごみ袋を持って路上でゴミ拾いをしているホール支配人にお会いできた。火箸とゴミ袋をお借りして300メートルくらいの通りに落ちているゴミを火箸で拾い上げ、掃き掃除をする。一番多いのは落ち葉と食べ物の包み紙や空き缶だ。ここは路上禁煙区域で、違反者には罰金が課せられるのにも関わらず、タバコの吸い殻がなんと多いことか。宗次さんが、こちらへ近づいてきて、自らご挨拶下さった。こちらは緊張していたのだが、なんと気さくな方だろう...と思った。

宗次さんは、ホールを建設した当時は草だらけで殺風景だったこの大通りの中央分離帯に一つ一つ花を植えられてきたそうだ。今日も、主に車がびゅんびゅん行きかう中央分離帯で草むしりをしている。支配人が後で教えてくれた。「このあたりは歓楽街で、環境が悪いんですよ。最近はだいぶ綺麗にはなってきたんです」。夏には花の水やりをバケツで4時間もかけてしていたそうだが、嘆願書を書き、市の水道局からスプリンクラーを設置してもらってからは、花の世話はだいぶ楽になったそうだ。

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拾っても拾っても、キリがない。ゴミを拾い上げながら、宗次さんがどうして、このような終わりのない奉仕活動を欠かさずしているのだろうかと考えていた。

宗次さんが時々近づいて、話しかけて下さる。時には、電柱などの拭き掃除をして、床のタイルをタワシでこすることまでするのだそうだ。

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3人で写真撮影。その後、朝食を摂り、ホールでご面談の時間を頂いた。

とにかくユーモアあるパワフルな方だった。朝の早起きは絶対に譲れないと仰り、4時0分台に刻印されているタイムカードを見せて下さった。早寝早起きではだめで、夜中まで仕事をして早起きなのだからすごい。色々なお話しを聞かせてくださり、僕も人生の使命や、店舗を持つ計画、ケルト音楽の事や楽器のことなどを熱く語らせて頂いた。

宗次さんはクラシックを心底愛していらっしゃる。高校生の頃にラジオで聞いて以来、クラシック音楽のとりことなったのだが、創業後は仕事に没頭し、集中するために大好きなクラシック音楽の鑑賞まで絶ちきった。引退後、自分の愛するクラシック音楽で社会に奉仕をしようと、このホールの建設をなさったのだ。だから、上演する内容は当然、貸しホール事業であっても、クラシック音楽以外はこのホールでは響かせてはいけない、と決めている。先日、コンサートで日本の歌謡曲を演奏されたことがあったらしく、余りにも悲しかったと、その時のプログラムをずっと机に貼り付けていた。そのくらい徹底している。

お酒もタバコもしない、ゴルフなどのスポーツもしない。経営一筋に生きてきた。現在は、経営という視点で音楽ホールの運営を行い、クラシック音楽離れが進む中で好調に客足を伸ばしているそうだ。

僕の出店計画をお話ししたとき、即座に「それは難しいと思いますよ」と仰った。店舗経営のスペシャリストが言うのだから、やはりそうなのか・・・と僕は表情を曇らせたと思う。続いて仰ったことが余りに素晴らしかった。「大変だからこそ、苦労して、成長するのです。最初から軌道に乗ったら、学ぶことは何もありませんからね。頑張ってくださいね。」

地の利さえ良ければ成功すると言われる飲食店業界で、ココイチはあえて僻地や閑散とした土地を選んで出店した。そこでお客様になんとか来て頂けるように策を尽くし、精神が鍛えられることで、売上はV字回復をする。ココイチと同じように苦労しながら学び、成功して下さいと応援をされた思いがした。

ご本にサインを頂いた。


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宗次さんが、朝の貴重な1時間を使って清掃活動を何十年も続けてこられたことが僕には不思議だった。経営者であれば、その1時間を使って勉強したり経営に使えばもっと繁盛すると考えるのが当然だろう。しかし、お会いして良く理解できた。普通の人がしないようなことを、しかも良いことを筋を通して続ける方だから、大成功が出来たのだと。そして、経営とは人に尽くす社会活動であり、奉仕と原点は同じなのではないかと思い至った。

30分の予定だった面談は、60分を軽く超えた。あっという間の時間だった。「近づくと、加齢臭(カレー臭)がしますよ」と必殺のギャグを仰って、僕は心底笑ってしまった。

宗次さんに丁寧に玄関までお見送り頂いて、再会を約束してお別れした。一流の人ほど自然体で、威圧感が無い。これは僕が多くの一流の方に出会って確信した持論だ。二流以下の人は、ストレスと競争にさらされて自分を大きく見せないと潰されてしまうのではないかと恐れている。だから人を圧倒する。一流の人は、すでに大きいから、大きく見せる必要もない。でも、こういう人は一流になる前から、喫茶店を1店経営していた時代(たった30数年前!)からずっとそうだったんだと思う。

ボランティアと募金のことで、読んだことがある。普通の人は、暮らしに余裕ができたら奉仕や寄付をしようと考える。しかし、そういう人はたとえお金持ちになっても寄付をすることはないし、そういう人がお金持ちになることも無い。お金持ちになる人は、貧しい時も奉仕や寄付を続けてきた。ようは、生き方であり、姿勢なのだが、その違いが大きな差を生むのだと。

帰り道、さっき清掃したばかりの道路に吸い殻が落ちているのを見て、悲しくなったが、この差が苦労しながら成長する宗次さんと、苦労のままで人生を終える人との圧倒的な違いを生むのだと悟った。

実は、この話しには後日談がある。宗次さんはメールもパソコンもなさらない。僕は帰宅後すぐに支配人に電話とメールでお礼をしたのだが、宗次さんには手書きで思いをお伝えしようと思っていた。しかし、演奏やレッスンが詰まっており、手紙を書くまとまった時間が取れず、出せないままでいた。ところが、あちらから即座にお礼状が届いて、腰を抜かしそうになった。僕は慌てふためいて、手紙を読んだ16:30から必死にペンを走らせ、3枚のお礼状を書きあげその日の集荷に滑り込みで郵便を出した。本当に恥ずかしい思いだった。そして、そのことを正直に手紙に書いた。確かに僕は忙しかった。でも30分の時間もなかったのかといえば、決してそんなことはなかった。

この違いなのだと叱られた気がした。「誰もが正しいと思う当たり前のことを、ちゃんとやる」。宗次さんからの学びの極意は、それに尽きると思う。もちろん、これからも学ぶことは山ほどあるのだが、まずこれが出来なくては話にならない。小手先の技術や見せかけで世渡りができると思ってはダメである。そこに真摯な思いと情熱、地道さが無くてはならない。僕は本当に未熟者である。

貴重な人生の時間を分けて教えて頂いた偉大な経営者・宗次さんには心から感謝するとともに、出会いに今日も感謝します。

日本一の変人経営者
2010年3月 7日 22:38
名古屋の大須演芸場のロビーでお客様とあいさつをしていると、一人の男性が僕のことを探していました。お話しを伺うと、僕の大学の後輩の、お父様だと仰います。男性は、名古屋にある音楽ホール「宗次ホール」の総支配人をしていらっしゃり、僕の後輩から僕のことをお聞きになり、コンサートに足を運んで下さったのでした。

宗次ホールは、名古屋の中心地「栄」にある、席数は約300名の音楽ホール。なんと、個人の所有なのだそうです。お話しを聞いて驚きました。あの「ココイチ」ことカレーの「CoCo壱番屋」の社長が、退職をしてから好きなクラシック音楽をいつでも上演できる場所として建てられたのです。宗次ホールでの企画候補として、僕を選んでくださったそうです。

大須でのコンサートが終わったら日帰りをするつもりでしたが、せっかくの機会ですので、一泊して翌朝、宗次ホールに伺ってきました。

もちろん、朝食にはココイチのカレーを頂いてから!

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三越をからすこし歩いたあたりに、宗次ホールはありました。
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スウェーデンの国旗柄のポスターが目に入りました。フィドルの大森ヒデノリさんが、今度の土曜日に演奏をなさるそうです。

白い壁の2階吹き抜けで、椅子にまでこだわって作った音響自慢のホール。宗次ホールではコンセプトをクラシック音楽に絞っており、貸しホールですら、クラシック以外のジャンルには貸さないという徹底ぶり。日本一偏屈なホールだと仰っていました。

ココイチについてもお話しを伺ってきました。余りに興味深いお話しだったので、社長がつい最近出版されたという自叙伝を購入させて頂きました。これが、めちゃくちゃ面白くて、帰りの電車の中で熱中して読み切ってしまいました。



社長の宗次徳二さんは、孤児として養父母に育てられたが、父がギャンブルにハマり極貧の幼少期を過ごしました。名古屋で高校卒業後、不動産会社に就職、宅建を取得し、独立して不動産業を営みます。結婚後に妻が始めた喫茶店に生きる道を見出し不動産屋を廃業。喫茶店は素人商売ながらお客様に愛され、繁盛します。やがて、メニューにカレーを開発。噂を呼び、店舗をどんどん拡大していきました。現在は国内外に1300店舗を構え、52歳でリタイアし、会長職も退き、完全にCoCo壱の経営から手を引きました。普通は子供など親族に経営権を渡すところを、CoCo壱のスタート時にアルバイト店員として入社した浜島氏に引き継いだのは、業界を驚かせました。

リタイア後は高校時代から好きだったクラシック音楽で、人の心を豊かにしたいと、宗次ホールを建設、ヴァイオリニストの五嶋龍にストラディバリを貸与するなど、ヴァイオリンの名器を何本も所有しているそうです。

61歳の現在は宗次ホールに勤めつつ、様々な慈善事業、芸術家の支援にも力を注いでおり、また年間100本の講演で全国を駆け回っているのだとか。

どうでしょう、非常に魅力的な方ではありませんか。お店を運営している方、起業家の方はぜひ、著書をご一読されることをお勧めします。本当に良い言葉、ヒントが詰まっていました。

この日は、残念ながらお目にかかることはできませんでしたが、近いうちに必ずお会いできる気がしています。宗次ホールの舞台に立つことを夢見つつ、今日も出会いに感謝。

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