夏の暑さも残る9月のことだった。熊野の山奥の滝に、見臺さんが連れて下さったのは。地元の人もほとんど知らないばかりか、登山道も整備されておらず、ひっそりと山にたたずむ滝だ。ここは、ある神社の聖域とされているのだ。
山奥を歩くこと1時間ばかり。水の音が近づいてくる方向へ歩くと、その滝は姿を現した。落差は20メートルくらいだろうか。さらさらという音を立てる、女性的な、優美な姿である。ここの滝つぼのそばで、休憩をしようということになった。実は、見臺さんには、神様への奉納の意味で、滝に演奏をしてはどうかといわれていた。
もちろん、このような信仰の場所で演奏させて頂ける機会など、そうあるものではない。しかし、見臺さんにお会いするのも、笛を聞いて頂くのも、この日が初めてなのだ。自分という存在を試されているように思えた。どんな曲を吹こうかと、前日の晩は悩んだ。
夜中に車で出かけて山中に停車し、数時間、真っ暗闇の中で一人で練習をした。アイルランドの曲をたくさん練習したが、どうも、ふさわしい気がしない。結局、何も決まらないまま、その日を迎えた。
滝の前で、「それでは、準備ができたら始めてください」と見臺さんは言った。しばらく、僕は無言のまま滝の前に座り、音に耳を傾け、心を静かにした。心が清められていくような気がした。その時がきた、と感じ、アイリッシュ・フルートを取り出し、思うままに、感じるままに、即興で笛を吹いた。すると、信じられないようなことが起きた。

晴れた空の明るい日差しのまま、大粒の雨が落ちてきたのだ。しかし、驚くこともなく、楽器も服もびしょ濡れになりながらも、演奏を止めようという気にはならなかった。何かに祝福されているような、静かで、暖かな、柔らかい雨だったのだ。雨粒が水面を叩き、水がダンスを踊っているようだった。周りで同行者達が見ていることなど、気にならず、好きなだけ吹いた。
2曲目は、ティン・ホイッスルでアイルランドのエアーとリールを演奏した。すると、演奏が終わるころ、ぴたりと雨がやんだ。滝は、もとの静かな姿のままである。
演奏を聞いて、見臺さんはこう言ったそうだ。「古来の日本で、音楽には、雨を呼ぶんだり、雨を止ませる力があると信じられていました。きっと、神様が聞き届けてくださったのでしょう。」