昨日、青森の笛師、佐藤ぶん太さんとお会いした。
mixiの笛コミュでやりとりをしたのがきっかけで、来る6月に僕を青森に招きコンサートを企画してくださることになった。普段は秋田のねぶた村の職員をしながら、ねぶた囃子を演奏して、ジャンルを超えた活動を展開していらっしゃる。
昨日初めてお目にかかったのだが、想像していたとおりの、爽やかで聡明なスポーツマンのような方だった!僕も何曲か共演させていただく段取りだったのだが、楽屋では、リハーサルもそこそこに、お互いに珍しい楽器や奏法を披露しあい、笛の話題で盛り上がった。
ぶん太さんは津軽で「横笛普及プロジェクト」を立ち上げ、津軽の笛の普及活動にいそしんでおられる。
ぶん太。さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/yokohuehukyuu/archives/51160909.html
こちらからは僕の教本とティン・ホイッスル、僕のCDををプレゼントし、ぶんたさんからは、郷土を紹介するDVDなどに加えて、なんと津軽漆塗の「登山囃子笛」を頂いてしまった。アイリッシュ的な表現ではEb管となるこの笛。日本の篠笛に、こんなに長い笛があったのかと驚いた。

美しい漆塗り!ぶん太さんは、桜の模様の笛など、さまざまな模様の綺麗な笛をたくさんおもちだった。漆といえば黒と赤だとばかり思っていたので、その美しさに感動してしまった。

今日のライブのために来て下さった篠笛吹きの 森みわこ さんによると、漆の笛はものすごく高価とのこと・・・そんな貴重なものを頂いてしまい、身に余る光栄であると同時に、どのようにしてこれを生かしていけばよいのか、責任も感じる。
8時に開演。平日で、しかもアイリッシュ・パブでの邦楽演奏であるにも関わらず、立ち見が出るほどの盛況ぶり。演奏は、すばらしかった!一緒に来られた三味線の山田さん、佐藤さんも超絶の三味線でお客さんを引き込んだ。東北人の逞しさ、力強さよ!

ぶん太さんの音楽には、強烈な郷土愛と、青森県民としてのアイデンティティを感じた。自然体なのだ。これと同じことを、先日イギリスで地元のコンサートを見た時にも感じた。自分の地域の音楽を演奏している彼らには、妙な気負いがなく、当然のこととして伝統音楽を演奏している。演奏に無理がなく、したがって、聴いていても違和感がない。
「これが自分の地域の音楽です」、と胸を張って言えることは、ものすごい強みだ。心底うらやましい。演奏の動画がアイルランド人に絶賛されたり、海外の
ワークショップでは、習いに行ったつもりが、自分が教えている、なんていうこともあるのに、僕にとってケルトの音楽は自分の音楽ではなく、憧れと興味の対
象の域を出ない。
僕は、道産子の父に嫁いだ兵庫県民の母との間に、「移民の新天地」北海道に生まれた。北海道は日本の一部だが、ヨーロッパにとってのアメリカ大陸やオーストラリアのようなもの。家柄に本州との深い接点もなく、郷土文化にほとんど親しまないまま関西に移り住んだ。
そこで、日本とはかけ離れたケルトの音楽と出会い、10年がたった。京都の女性をお嫁に頂き、友達や生徒さんも沢山できて、関西に受け入れられたと肌身で感じているけれど、未だに、心の深いところでは自分は異邦人だという感情をぬぐうことができない。僕は根なし草だ・・・。
北海道のルーツ、また地理的要因としては東北のほうが関西よりも身近に感じるけれど、それは生き別れて成人した兄弟のように、海外移住した日系3世のように、今では違うものとなってしまった。
東北人のように気高い誇り、強烈な郷土愛は、僕が旅をしたところでは、南紀熊野、島根の石見、大分の湯布院、熊本、沖縄の石垣島でも感じた。それらの土地に行くことは、僕にとって聖地巡礼でもある。
僕は彼らほどの郷土愛を尼崎に対して持っていない・・・。郷土愛を感じるのに、雄大な自然、歴史、言葉や習慣を始めとした固有の文化は不可欠だと思う。それが、アイデンティティに結びついている。僕と、僕の住む尼崎にはそれが感じられない。
自分とは違う文化、アイデンティティを持つぶん太さんは、僕の目には同じ言葉を話し同じ顔つきをした外国人のように映った。さあ、僕のアイデンティティは何だ?
日本は奥深い!
僕は、たくさん旅をし、やがて一番好きな土地に根を下ろし、「これが僕の音楽です」と胸を張って言えるものを作り上げよう!アイデンティティを見つけるのだ。